スイッチ・オン
- 2017/04/30
- 08:54
アナタだって覚えが有るでしょうが、若い頃に人を好きになるのは、ある時突然スイッチが入ったような状態になる事が有るんですね。それまで、なんて事も無かった娘に対して何かの切っ掛けで不思議な感情が動き出します。
男でも女でもスイッチがイッタン入ってしまうと突然切れるなんて事はあまり有りません。比較的冷めやすい恋愛感情などでも「急に熱が冷めた」などはヨクヨクの事です。実例で言うと、好意を持ってくれていた女の子の前で、酒に酔って小便を垂れ流した浅野先輩みたいな事さえしなかったら・・・。
でも、良くしたものかどうかは別にして、タイガイの事は何時の間にか次に熱中の対象が移ります。それでも人生の一時期にでも熱くなっただけに、後になっても懐かしさは残ります。ですから、人間30を過ぎると、女の子に振られて歎いている後輩にも率直に「良いナア」と感想を言えるんです。次の対象でダメならマタ次が有るし、その次だってタブン有りますよ。アタックして駄目でも失うのはプライドだけ。それも形の無いものですからね、年月が経つとアッサリしたものです。何にせよ後になってみると、その時に深刻に歎いた事も懐かしい思い出になる事が多いですね。それに、どんな事でも経験した思い出の多い人生の方が面白いでしょう。
これはなにも恋愛だけの事では無いですね。私も数知れないものにハマり、ほとんどのものが何時の間にか興味が過ぎ去り、そしてタマに人との会話がその方面の事にふれると話にスンナリ入っていけます。
私も尺八に多少なりと興味が有ったからこそ、友人に勧誘されたとは言え大学の邦楽クラブに入ったのですが、入って驚きましたよ。そりゃ私だって、邦楽というものがツマラナイモノだとはウスウス知っていましたよ。だけどね、ここまでとは思わないじゃないですか。
それでも続きました。クラブの先輩や同僚達が最高に気分の良い人達だったことと、たとえ曲は嫌いでも段々と尺八をコントロール出来る技術が高まって面白かったからです。
そして曲に対してもスイッチが入る瞬間が突如やってきました。
クラブに入ってすぐ新曲は分かりました。「春の海」のレコードが部室に有り、聴いてすぐに「良いなあ」と思いましたよ。宮城道雄の相方は吉田晴風ではなく広門伶風でしたから、昭和20年代後半の録音でしょう。2年生くらいになると尺八の音程の悪さも理解出来ました。だって「掛け合い」が同一旋律ですからね。
難解なモノが程度が低いなんて事は無いし、その反対に分かり易いモノが必ずしも高級という事も無いので、そういう事は別にして、歌謡曲なんかと同じで新曲はともかく分かり易いです。そこへ行くと古典は最初はカッタルイですね。聴いていると、いつの間にか音は左の耳から右に抜けるだけになります。
ですから、こういう曲は鑑賞眼を養う為の訓練がいるのです。そして少しずつは耳が出来て来るんですね。そしてある日、「開眼」が起き、それ以前以後とではかなり違った境地になります。音程とか間(ま)とか品位とかを含めた尺八古典の世界が見えた瞬間です。
困った事に、古典邦楽は本来現代人にはもう分かり難い境地ですから、このスイッチが入る前に止めてしまう人が多いのです。大学クラブで4年尺八を吹いても、卒業すると止めてしまう人が9割です。ここを8割とか7割に止める為には、ソフトの完全自由化しか無いぞ。
「部活の音楽」と言われる様に吹奏楽だって高校を卒業すると止める者が多いと聞きます。だって、吹奏楽の面白さは復種類復数楽器で音楽を構成している点も大きいですもの。だけど、それでも尺八と違い「曲は何も面白くなかった」と言われる事は無いでしょうよ。
「フザケルナ、古典は面白い。分からないヤツが悪いんだ」とかいう意見を含めて、それを守る為にもソフトの自由、行動の自分勝手は何としても必要ですね。
男でも女でもスイッチがイッタン入ってしまうと突然切れるなんて事はあまり有りません。比較的冷めやすい恋愛感情などでも「急に熱が冷めた」などはヨクヨクの事です。実例で言うと、好意を持ってくれていた女の子の前で、酒に酔って小便を垂れ流した浅野先輩みたいな事さえしなかったら・・・。
でも、良くしたものかどうかは別にして、タイガイの事は何時の間にか次に熱中の対象が移ります。それでも人生の一時期にでも熱くなっただけに、後になっても懐かしさは残ります。ですから、人間30を過ぎると、女の子に振られて歎いている後輩にも率直に「良いナア」と感想を言えるんです。次の対象でダメならマタ次が有るし、その次だってタブン有りますよ。アタックして駄目でも失うのはプライドだけ。それも形の無いものですからね、年月が経つとアッサリしたものです。何にせよ後になってみると、その時に深刻に歎いた事も懐かしい思い出になる事が多いですね。それに、どんな事でも経験した思い出の多い人生の方が面白いでしょう。
これはなにも恋愛だけの事では無いですね。私も数知れないものにハマり、ほとんどのものが何時の間にか興味が過ぎ去り、そしてタマに人との会話がその方面の事にふれると話にスンナリ入っていけます。
私も尺八に多少なりと興味が有ったからこそ、友人に勧誘されたとは言え大学の邦楽クラブに入ったのですが、入って驚きましたよ。そりゃ私だって、邦楽というものがツマラナイモノだとはウスウス知っていましたよ。だけどね、ここまでとは思わないじゃないですか。
それでも続きました。クラブの先輩や同僚達が最高に気分の良い人達だったことと、たとえ曲は嫌いでも段々と尺八をコントロール出来る技術が高まって面白かったからです。
そして曲に対してもスイッチが入る瞬間が突如やってきました。
クラブに入ってすぐ新曲は分かりました。「春の海」のレコードが部室に有り、聴いてすぐに「良いなあ」と思いましたよ。宮城道雄の相方は吉田晴風ではなく広門伶風でしたから、昭和20年代後半の録音でしょう。2年生くらいになると尺八の音程の悪さも理解出来ました。だって「掛け合い」が同一旋律ですからね。
難解なモノが程度が低いなんて事は無いし、その反対に分かり易いモノが必ずしも高級という事も無いので、そういう事は別にして、歌謡曲なんかと同じで新曲はともかく分かり易いです。そこへ行くと古典は最初はカッタルイですね。聴いていると、いつの間にか音は左の耳から右に抜けるだけになります。
ですから、こういう曲は鑑賞眼を養う為の訓練がいるのです。そして少しずつは耳が出来て来るんですね。そしてある日、「開眼」が起き、それ以前以後とではかなり違った境地になります。音程とか間(ま)とか品位とかを含めた尺八古典の世界が見えた瞬間です。
困った事に、古典邦楽は本来現代人にはもう分かり難い境地ですから、このスイッチが入る前に止めてしまう人が多いのです。大学クラブで4年尺八を吹いても、卒業すると止めてしまう人が9割です。ここを8割とか7割に止める為には、ソフトの完全自由化しか無いぞ。
「部活の音楽」と言われる様に吹奏楽だって高校を卒業すると止める者が多いと聞きます。だって、吹奏楽の面白さは復種類復数楽器で音楽を構成している点も大きいですもの。だけど、それでも尺八と違い「曲は何も面白くなかった」と言われる事は無いでしょうよ。
「フザケルナ、古典は面白い。分からないヤツが悪いんだ」とかいう意見を含めて、それを守る為にもソフトの自由、行動の自分勝手は何としても必要ですね。
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