気持ちの変化
- 2017/05/11
- 22:43
お久しぶりです。自分で言うのも何ですが、このところの注文増で段々と追い詰められています。とにかく生産が間に合わない。時間がなかなか採れません。「嬉しい悲鳴」ですと、トンデモナイです。催促が続くと電話の呼び出し音にビクッとしますし、気の弱い繊細な私はショッチュウ夢にも見るんです。
アルバイトって意味を持たない業種ですし、考えた事は生産工程の見直し、それと前に邦星堂にいてリタイアした人にも「出来る範囲で良いから」と再び声をかけています。夏くらいまでには増産の目途が立つと思います。
タブンですが、尺八の潜在需要ってかなりのものですよ。そこを堀り起こす事さえできればとずっと思って来ました。
6年前に亡くなった香川一朝さんですが、彼は小田原に帰って稽古に行けなくなってからでも、横山勝也先生が亡くなるまで何十年も月謝を払い続けました。私が、その律儀を褒めると「当たり前のこと」という態度です。そして、こういう気持ちを持ち続けた人は昔はたくさんいたのです。
横山先生は晩年の10年間は尺八の演奏が出来ませんでした。その状況でも古屋輝夫さんをはじめお弟子さん達は代稽古や月謝の継続で先生を支えました。
井上重美は晩年、顔面神経麻痺で唱譜稽古でしたし、伶風会や菊水流などを見ると人の心の温かさを思い知ります。
戦前は論外としても、戦後になってからでも時代を経る毎に日本人は精神的に大きく成長したと思いますが、昔の日本人にも美点は豊富に有ったのです。こういう人間関係の濃さには異論も当然有りましょう、でも「人間て捨てたもんでは無い」と思いますよ。
こういう気質の喪失を歎いても始まりませんが、こういう気持ちを日本人が全体として失いつつある以上は家元制度や社中が立ちいかなくなったのは当然です。だって若い人は、もう免状はイラナイとはっきり言いますもの・・・。
でも中国や台湾で流派の教授資格を求める人が存在します。「どうして?」と訊くと流石に外国人、ナマの答えが返って来ます。免状というものの「本当の処」をイマ一つ理解していない事も有りますが、それより国で弟子を集めたり尺八演奏活動をするうえでの、一種の宣伝費だと思っています。言わば営業の必要経費だという認識です。
本人の技量や努力に加えて、より上位の権威が必要だったのは、昭和30年代までの日本の尺八界も同じでしたな。それもこれも尺八を習おうという人達あっての事です。
かつての日本では、それにプラスして「マジ」。中国ですと「上位権威」には利用価値しか認めていませんから、自分の地位が確立すれば、またたく間に細分化が起こります。これって、いくらかつての日本人が義理を重んじたと言っても、日本ですら一皮剥くけば同じなんです。その証拠に都山流を除けば、とどのつまりは同じ様な経緯でしょう。
その事を視野においてすら組織を統一体として成長させていける初代都山の様な戦略眼を持った尺八家は、現在の尺八界では見たことが有りません。
アルバイトって意味を持たない業種ですし、考えた事は生産工程の見直し、それと前に邦星堂にいてリタイアした人にも「出来る範囲で良いから」と再び声をかけています。夏くらいまでには増産の目途が立つと思います。
タブンですが、尺八の潜在需要ってかなりのものですよ。そこを堀り起こす事さえできればとずっと思って来ました。
6年前に亡くなった香川一朝さんですが、彼は小田原に帰って稽古に行けなくなってからでも、横山勝也先生が亡くなるまで何十年も月謝を払い続けました。私が、その律儀を褒めると「当たり前のこと」という態度です。そして、こういう気持ちを持ち続けた人は昔はたくさんいたのです。
横山先生は晩年の10年間は尺八の演奏が出来ませんでした。その状況でも古屋輝夫さんをはじめお弟子さん達は代稽古や月謝の継続で先生を支えました。
井上重美は晩年、顔面神経麻痺で唱譜稽古でしたし、伶風会や菊水流などを見ると人の心の温かさを思い知ります。
戦前は論外としても、戦後になってからでも時代を経る毎に日本人は精神的に大きく成長したと思いますが、昔の日本人にも美点は豊富に有ったのです。こういう人間関係の濃さには異論も当然有りましょう、でも「人間て捨てたもんでは無い」と思いますよ。
こういう気質の喪失を歎いても始まりませんが、こういう気持ちを日本人が全体として失いつつある以上は家元制度や社中が立ちいかなくなったのは当然です。だって若い人は、もう免状はイラナイとはっきり言いますもの・・・。
でも中国や台湾で流派の教授資格を求める人が存在します。「どうして?」と訊くと流石に外国人、ナマの答えが返って来ます。免状というものの「本当の処」をイマ一つ理解していない事も有りますが、それより国で弟子を集めたり尺八演奏活動をするうえでの、一種の宣伝費だと思っています。言わば営業の必要経費だという認識です。
本人の技量や努力に加えて、より上位の権威が必要だったのは、昭和30年代までの日本の尺八界も同じでしたな。それもこれも尺八を習おうという人達あっての事です。
かつての日本では、それにプラスして「マジ」。中国ですと「上位権威」には利用価値しか認めていませんから、自分の地位が確立すれば、またたく間に細分化が起こります。これって、いくらかつての日本人が義理を重んじたと言っても、日本ですら一皮剥くけば同じなんです。その証拠に都山流を除けば、とどのつまりは同じ様な経緯でしょう。
その事を視野においてすら組織を統一体として成長させていける初代都山の様な戦略眼を持った尺八家は、現在の尺八界では見たことが有りません。
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