真面目な選択
- 2017/05/13
- 21:52
私の所で尺八を作っている甥に訊きました。「少年時代に何に憧れた?」。答えは漫画家、サッカー選手。なるほど。
私達の子供時代、そう、昭和30年代の少年達は野球選手とか漫画家にも憧れましたな。そして、かなりの者が1度はなってみたいと思ったのがヤクザです。
昭和30年代と言えば、普通の大人は薄汚い格好をしていて、懸命に働いていました。よしんばサラリーマンであっても背広はヨレヨレ、夏などワイシャツまで汗ビッショリで子供目には到底憧れの対象とは映りませんでした。そこへ行くとヤクザはパリッとした格好でキメていましたし、ピラチンでも夏なら涼しいダボシャツ。真昼間から女を連れて遊んでいましたから、子供達は尊敬してアタリマエです。
良くしたもので、一部のバカを除いて、大体の者は中学くらいで「ヤクザ志願」を卒業しますな。
当時は、戦中の殺伐がなお残っていた世相で、その為、半数くらいの少年が殴り合いを恐れませんでした。町内が違うと子供同士が反目していましたし、時には仲間を集めて集団抗争にまで発展したものです。
気にくわないヤツを何人かで待ち伏せした経験は、当時に少年時代をおくった人であれば多くの方に覚えが有るでしょう。ですからヤクザと同時に警察官にも人気が有りました。理由の第一は「ピストルを持てる」です。
ヤクザの生活は、現在はかなり厳しい状況に有りますが、少なくとも25年前までですと、それなりに有効な仕事ではありました。殴り合いの喧嘩はもう当時なら滅多に有りませんでしたし、まして命のヤリトリなど絵空事。とは言っても確率的には普通人よりはダイブ多いですがね。
結局のところ、「ヤクザ商売」というのは、「時には使うかも知れない暴力を背景にした脅し効果」を使ってビジネスを有利に進める商売だということです。
ですから「脅しアイテム」としての刺青や前科なんかを経験しない大親分だって珍しくないのが実際のところです。山口組で言いますと4代目のTは刺青を入れていなかったと言われますし、5代目の候補の一人だったNは刑務所経験が有りません。
私の大学の頃、高倉健や鶴田浩二の東映ヤクザ映画は学生でイッパイでした。法政でも秋の学園祭の時は講堂で、夜8時間ぶっ通しでヤクザ映画を上映しました。
それでも仮にも大学生ですからね、卒業後にヤクザになろうとした者はいませんや。当時、「ガクセイはヤクザの上、ドカタの下」と言われていました。人間は誰でも身分の下降は嫌なんです。ですからドラマや小説での人妻の不倫、あれって人間の本質ですって。「一盗二婢三妾四妓五妻」と言いますな、それ見なさい、人妻は不倫さえすれば最下位から最上位にまで地位の上昇が有るんですぜ。しないわけがネエでしょうが・・・。
それはトモカク、人はヤケにでもならないかぎり自分の将来を真面目に考えるものです。私の様に「会社員にはならない。自分が楽しいと思う事で生活しよう」というのだって、それはそれで真面目で真剣です。
外国人で尺八を吹いている人の多くが、「出来るものなら尺八で生活したい」と考えています。そして、「それが無理でも金を稼ぐ足しになったら良い」と言います。ですから尺八吹奏技術の習得に関して真面目に努力します。
翻って日本でどうですか?こういう事を言う人はごく少数派です。「自分の楽しみで吹きたい」、そして「こんな良いモノを他人にも知ってもらいたい」でしょうが。私の知る限り「こんな良いモノ云々」は外国人の口からは聞いた事が有りません。
日本人が尺八を吹くと、これまでは往々にして「何時の間にか哲学がついて来てしまう」という事です。
どちらが良いとかでは有りませんよ。それが有ればこそ、尺八は非音楽的な内実でありながら尺八界というものをトモカクも形成してこれたのです。
でも、これからはダイブ変わるでしょうね。
尺八界の構造って、室町後期まで時代を遡るほどヤクザ組織に似てきます。でも、一つ決定的に違うのは、ヤクザには「こんな良いモノを他人にも知ってもらいたい」は無いですわな。ですから、どんなに憧れても、マトモな人間が真面目に人生を考えるとヤクザは選択の範囲には無いですわ。
私達の子供時代、そう、昭和30年代の少年達は野球選手とか漫画家にも憧れましたな。そして、かなりの者が1度はなってみたいと思ったのがヤクザです。
昭和30年代と言えば、普通の大人は薄汚い格好をしていて、懸命に働いていました。よしんばサラリーマンであっても背広はヨレヨレ、夏などワイシャツまで汗ビッショリで子供目には到底憧れの対象とは映りませんでした。そこへ行くとヤクザはパリッとした格好でキメていましたし、ピラチンでも夏なら涼しいダボシャツ。真昼間から女を連れて遊んでいましたから、子供達は尊敬してアタリマエです。
良くしたもので、一部のバカを除いて、大体の者は中学くらいで「ヤクザ志願」を卒業しますな。
当時は、戦中の殺伐がなお残っていた世相で、その為、半数くらいの少年が殴り合いを恐れませんでした。町内が違うと子供同士が反目していましたし、時には仲間を集めて集団抗争にまで発展したものです。
気にくわないヤツを何人かで待ち伏せした経験は、当時に少年時代をおくった人であれば多くの方に覚えが有るでしょう。ですからヤクザと同時に警察官にも人気が有りました。理由の第一は「ピストルを持てる」です。
ヤクザの生活は、現在はかなり厳しい状況に有りますが、少なくとも25年前までですと、それなりに有効な仕事ではありました。殴り合いの喧嘩はもう当時なら滅多に有りませんでしたし、まして命のヤリトリなど絵空事。とは言っても確率的には普通人よりはダイブ多いですがね。
結局のところ、「ヤクザ商売」というのは、「時には使うかも知れない暴力を背景にした脅し効果」を使ってビジネスを有利に進める商売だということです。
ですから「脅しアイテム」としての刺青や前科なんかを経験しない大親分だって珍しくないのが実際のところです。山口組で言いますと4代目のTは刺青を入れていなかったと言われますし、5代目の候補の一人だったNは刑務所経験が有りません。
私の大学の頃、高倉健や鶴田浩二の東映ヤクザ映画は学生でイッパイでした。法政でも秋の学園祭の時は講堂で、夜8時間ぶっ通しでヤクザ映画を上映しました。
それでも仮にも大学生ですからね、卒業後にヤクザになろうとした者はいませんや。当時、「ガクセイはヤクザの上、ドカタの下」と言われていました。人間は誰でも身分の下降は嫌なんです。ですからドラマや小説での人妻の不倫、あれって人間の本質ですって。「一盗二婢三妾四妓五妻」と言いますな、それ見なさい、人妻は不倫さえすれば最下位から最上位にまで地位の上昇が有るんですぜ。しないわけがネエでしょうが・・・。
それはトモカク、人はヤケにでもならないかぎり自分の将来を真面目に考えるものです。私の様に「会社員にはならない。自分が楽しいと思う事で生活しよう」というのだって、それはそれで真面目で真剣です。
外国人で尺八を吹いている人の多くが、「出来るものなら尺八で生活したい」と考えています。そして、「それが無理でも金を稼ぐ足しになったら良い」と言います。ですから尺八吹奏技術の習得に関して真面目に努力します。
翻って日本でどうですか?こういう事を言う人はごく少数派です。「自分の楽しみで吹きたい」、そして「こんな良いモノを他人にも知ってもらいたい」でしょうが。私の知る限り「こんな良いモノ云々」は外国人の口からは聞いた事が有りません。
日本人が尺八を吹くと、これまでは往々にして「何時の間にか哲学がついて来てしまう」という事です。
どちらが良いとかでは有りませんよ。それが有ればこそ、尺八は非音楽的な内実でありながら尺八界というものをトモカクも形成してこれたのです。
でも、これからはダイブ変わるでしょうね。
尺八界の構造って、室町後期まで時代を遡るほどヤクザ組織に似てきます。でも、一つ決定的に違うのは、ヤクザには「こんな良いモノを他人にも知ってもらいたい」は無いですわな。ですから、どんなに憧れても、マトモな人間が真面目に人生を考えるとヤクザは選択の範囲には無いですわ。
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