聴衆の有無
- 2017/05/18
- 08:45
邦楽は聴衆を持っているのか?こういう事が真面目に議論されていたのは、もう4半世紀も前です。聴衆がいるのかいないのか?今では、こういう「学者議論」には人が、よしんば数少ない邦楽ファンであっても興味を持ちません。
戦前ですと、確かに聴衆が邦楽にも存在したらしいのです。でも、私が大学にの邦楽クラブに入って邦楽の演奏会に行くようになってからは、演奏会場に聴衆はいませんでした。ほとんどの人が「邦楽をやっている人」で、例外的に一般人で特定の邦楽人または邦楽団体に肩入れしていた人達の姿は有りましたが、聴衆とは違います。だって「衆」じゃ無いですもの・・・。
尺八を習っていた人達は、初めのうちは「頼みますよ、一度聴きに来てください。チケット代はいらないから」と友人や知り合いに、先生から預かったチケットを自腹を切ってタダであげていました。
また、熱しやすく冷めやすく、それで純情でもあり洗脳されやすかった当時の大学生は人脈を持っていないので、さすがに外部には売れませんでしたが、クラブ内や他の大学の邦楽クラブに持ってまわって売っていました。先生の為が八分、二分が尺八発展の為です。当時の尺八の弟子達とは、かくも熱い心を持っていたのです。
それがねえ、何時しか気持ちが冷めるんです。だって、頼んで来てくれた人に「良かったよ。また行きたい」と言われてナンボでしょう。それでこそ誘ったカイが有るってもんです。
そりゃイヤになりまっせ。だって分かるんですよ、チケットをあげた相手が口では「良かった」とか言っても本心では『予想してた通りだ。二度と来たくネエ』」と思ってるって・・・。
ドダイ無理ですよ、地歌なんぞを興味の無い人に聞かせて「面白いか?」って。言っときますが古い時代に出来たからとチャいますねん。その証拠に当時、現代邦楽はもっと嫌がられていました。でも、こっちは皆で合奏する楽しさが有り、それでやられている面が有りました。
邦楽は一般の人相手には鑑賞の対象とはならない。「それはもう分かった。でもジャアどうすれば良いんだよ?」。ゴモットモな意見です。
地歌も現代邦楽も本曲も心から面白いと感じている人はいるんです。プロは言うに及ばず、京都あたりに行って原田豊山とか四宮漣山とかの地歌オタクとジックリ語り合ってみなさいな、感化されて、こっちも急に地歌にあらためて興味が出ますから。
でも尺八を吹いている人ですら、多くが本当は大して面白いと思っていません。それも現実です。だから演奏会に行くのも「勉強、修行」。ですから外部の人に通用しないのは、考えてみたら、こりゃアタリマエだわ。
ですからバリエーションを制限無く増やすんです。それ以外の方法が有るなら教えてくださいな。一つ一つに熱烈なファンがいれば、合計すれば結構な数になりまっせ。
いつも言ってるように、「そんなのはイカン、尺八は正統な本道を行くべきだ」という意見も、それはそれで一つの楽しみ方ですので、今となれば無いより有った方が良い。だって、今の時代って尺八を吹く行為を「正当邪道」で捉える人っていなくなりましたもの。たかが尺八でも、ことを思想、哲学、運動と捉える人って、味方にすると実に頼りになりますよ。
戦前ですと、確かに聴衆が邦楽にも存在したらしいのです。でも、私が大学にの邦楽クラブに入って邦楽の演奏会に行くようになってからは、演奏会場に聴衆はいませんでした。ほとんどの人が「邦楽をやっている人」で、例外的に一般人で特定の邦楽人または邦楽団体に肩入れしていた人達の姿は有りましたが、聴衆とは違います。だって「衆」じゃ無いですもの・・・。
尺八を習っていた人達は、初めのうちは「頼みますよ、一度聴きに来てください。チケット代はいらないから」と友人や知り合いに、先生から預かったチケットを自腹を切ってタダであげていました。
また、熱しやすく冷めやすく、それで純情でもあり洗脳されやすかった当時の大学生は人脈を持っていないので、さすがに外部には売れませんでしたが、クラブ内や他の大学の邦楽クラブに持ってまわって売っていました。先生の為が八分、二分が尺八発展の為です。当時の尺八の弟子達とは、かくも熱い心を持っていたのです。
それがねえ、何時しか気持ちが冷めるんです。だって、頼んで来てくれた人に「良かったよ。また行きたい」と言われてナンボでしょう。それでこそ誘ったカイが有るってもんです。
そりゃイヤになりまっせ。だって分かるんですよ、チケットをあげた相手が口では「良かった」とか言っても本心では『予想してた通りだ。二度と来たくネエ』」と思ってるって・・・。
ドダイ無理ですよ、地歌なんぞを興味の無い人に聞かせて「面白いか?」って。言っときますが古い時代に出来たからとチャいますねん。その証拠に当時、現代邦楽はもっと嫌がられていました。でも、こっちは皆で合奏する楽しさが有り、それでやられている面が有りました。
邦楽は一般の人相手には鑑賞の対象とはならない。「それはもう分かった。でもジャアどうすれば良いんだよ?」。ゴモットモな意見です。
地歌も現代邦楽も本曲も心から面白いと感じている人はいるんです。プロは言うに及ばず、京都あたりに行って原田豊山とか四宮漣山とかの地歌オタクとジックリ語り合ってみなさいな、感化されて、こっちも急に地歌にあらためて興味が出ますから。
でも尺八を吹いている人ですら、多くが本当は大して面白いと思っていません。それも現実です。だから演奏会に行くのも「勉強、修行」。ですから外部の人に通用しないのは、考えてみたら、こりゃアタリマエだわ。
ですからバリエーションを制限無く増やすんです。それ以外の方法が有るなら教えてくださいな。一つ一つに熱烈なファンがいれば、合計すれば結構な数になりまっせ。
いつも言ってるように、「そんなのはイカン、尺八は正統な本道を行くべきだ」という意見も、それはそれで一つの楽しみ方ですので、今となれば無いより有った方が良い。だって、今の時代って尺八を吹く行為を「正当邪道」で捉える人っていなくなりましたもの。たかが尺八でも、ことを思想、哲学、運動と捉える人って、味方にすると実に頼りになりますよ。
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