コメント
No title
始めまして。
大乗仏教では、本当に存在するものは無いというのが基本的な主張ですから、「悟り」が有る、と言うと間違いになるようです。
私は古典本曲しか吹かないのですが、抱き節を絞っていない古いタイプで吹いていると感情表現を離れた、古典本曲の論理的な側面が見えてきて面白いです。
つらい境遇であればあるほど、いつも「悲しいよう」って吹くのはいやだという人もいただろうと思うのです。侍であればやせ我慢が商売ですし。
大乗仏教では、本当に存在するものは無いというのが基本的な主張ですから、「悟り」が有る、と言うと間違いになるようです。
私は古典本曲しか吹かないのですが、抱き節を絞っていない古いタイプで吹いていると感情表現を離れた、古典本曲の論理的な側面が見えてきて面白いです。
つらい境遇であればあるほど、いつも「悲しいよう」って吹くのはいやだという人もいただろうと思うのです。侍であればやせ我慢が商売ですし。
Re: No title
> 始めまして。
> 大乗仏教では、本当に存在するものは無いというのが基本的な主張ですから、「悟り」が有る、と言うと間違いになるようです。
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> 私は古典本曲しか吹かないのですが、抱き節を絞っていない古いタイプで吹いていると感情表現を離れた、古典本曲の論理的な側面が見えてきて面白いです。
> つらい境遇であればあるほど、いつも「悲しいよう」って吹くのはいやだという人もいただろうと思うのです。侍であればやせ我慢が商売ですし。
素敵なコメント有難うございました。確かに大乗仏教の基本は「あらゆるものには実体が無い」ですね。ところで、私は大乗仏教の成立に関しては富永仲基の信奉者なのです。ですから、ある時にシルクロードの何処かで、「あらゆるものには実体が無い」という実体の有る概念が作られたと考えています。
勿論、だからと言って、それが哲学として無価値だと思っているわけではありません。
> 大乗仏教では、本当に存在するものは無いというのが基本的な主張ですから、「悟り」が有る、と言うと間違いになるようです。
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> 私は古典本曲しか吹かないのですが、抱き節を絞っていない古いタイプで吹いていると感情表現を離れた、古典本曲の論理的な側面が見えてきて面白いです。
> つらい境遇であればあるほど、いつも「悲しいよう」って吹くのはいやだという人もいただろうと思うのです。侍であればやせ我慢が商売ですし。
素敵なコメント有難うございました。確かに大乗仏教の基本は「あらゆるものには実体が無い」ですね。ところで、私は大乗仏教の成立に関しては富永仲基の信奉者なのです。ですから、ある時にシルクロードの何処かで、「あらゆるものには実体が無い」という実体の有る概念が作られたと考えています。
勿論、だからと言って、それが哲学として無価値だと思っているわけではありません。
No title
鯛山さん、昔から頭いいですね!顔と性格悪いけれど。
Re: No title
> 鯛山さん、昔から頭いいですね!顔と性格悪いけれど。
顔が悪いだと。我慢できん。取り消せ、取り消せ。
顔が悪いだと。我慢できん。取り消せ、取り消せ。