不測の事態
- 2017/06/05
- 19:09
尺八のプロは昔はリサイタルを毎年の様にやっていました。でも、やらなかった人も当然いるわけで、私の師匠の坂田誠山先生はずっとリサイタルを行わず、初めてが1980年ですから、もうデビューしてから15年も経ってです。通常の仕事としてやる演奏会と違い、尺八家が自分の本当にやりたい事を世に問えるのがリサイタルですが、坂田先生はコンサートのガチンコ仕事が多かったので、別にリサイタルの必要を感じていなかったようです。
邦楽の場合、リサイタルは、これで黒字になるケースも有りますが、通常は赤字を覚悟の上でやらなければなりません。大勢の弟子を持つ人であればともかく、手売りでチケットを販売している間は黒になんかなりっこありません。売上のほとんどが師匠や助演者への礼金で消えてしまいます。
尺八の会のチケットは95パーセント以上が所謂「義理売り」であり、いくら斬新なプログラムメニューを揃えても、それによる増減など知れたものでしかありません。ですから、弟子の数で動員数も決まります。
1978年に長唄囃子方の第一人者・堅田喜三久先生(現人間国宝)と話していた時、この話題が出まして、弟子のいない自分にはリサイタルをやれない。もしやれば少数の弟子に迷惑がかかる、そういう主旨の事をおっしゃいました。
つまり弟子の負担でやるのがリサイタルというものです。ではリサイタルなどやらない方が良いのかと言えば、それも違うでしょう。
邦楽の様な人気の無いものでも、関わる人の協力で表現の場を創っていけるのです。
話は変わりますが、演奏会を開催する労力って大変なのです。私は演奏家ではないのでリサイタルの経験は無いですが、そのかわり若い頃は演奏会をかなり行いました。やり方次第で邦楽の会でも黒字に出来るはずだと思ったのです。
チケットの販売や宣伝にも労力をつかいましたが、それにも増して様々な調整や不測の事態への対応などに気をつかいました。不測の事態ですが、2,3例を挙げましょう。
① 40年も前ですが、ご出演いただく事になっていた鈴木裕理先生が本番の3,4日前に体調を崩され、「もしかして出られないかも」という事態になりました。
鈴木先生は清楚な超美人で大変学生に人気が有りましたので、「もし出られなかったら」と私も悩みました。「代演を依頼するにしても、あれだけの美人。はたして誰を?」。
人間考える事が大切ですな、考えて考えて、ついにビッグアイデアが出ました。「仕方が無い、オレが女装して舞台に出よう」。幸いですが、当日は回復した鈴木先生にご出演いただけました。
② 同じ頃、ケーナの大家U・Rのマネージメントをしていた出版社から、演奏会前日になって突如ギャラの倍増を要求された時は腹が立ちました。もう前売りがかなり出ていて今さら中止には出来ません。泣く泣く条件を飲みましたが、私は仮に利益が出ても、この手の所とは2度と関りを持ちません。
尺八家や民謡家の中にも、この種の振る舞いをしたという話を聞きましたが、幸い私は経験が有りません。
③ 尺八の大家二人から、演奏会のプログラムに気に喰わない者が出ているという理由で、それぞれ弟子の出演にストップをかけられた事も有ります。一人は説得、もう一人の場合は決裂。
舞台の裏では苦労が有るのです。それでいて邦楽は利益を生む様なものでは無いのです。それでも、嘗ての尺八の弟子達は師匠の為に頑張りました。気持ちですよ、気持ち。
今は弟子に強く出られる師匠もいませんし、ダイイチもう遅いのかも知れませんが、こういう事をよく考えたら、師匠の虫の居所なんかで、せめて不測の事態を起こすのだけは止めて戴きたい。
邦楽の場合、リサイタルは、これで黒字になるケースも有りますが、通常は赤字を覚悟の上でやらなければなりません。大勢の弟子を持つ人であればともかく、手売りでチケットを販売している間は黒になんかなりっこありません。売上のほとんどが師匠や助演者への礼金で消えてしまいます。
尺八の会のチケットは95パーセント以上が所謂「義理売り」であり、いくら斬新なプログラムメニューを揃えても、それによる増減など知れたものでしかありません。ですから、弟子の数で動員数も決まります。
1978年に長唄囃子方の第一人者・堅田喜三久先生(現人間国宝)と話していた時、この話題が出まして、弟子のいない自分にはリサイタルをやれない。もしやれば少数の弟子に迷惑がかかる、そういう主旨の事をおっしゃいました。
つまり弟子の負担でやるのがリサイタルというものです。ではリサイタルなどやらない方が良いのかと言えば、それも違うでしょう。
邦楽の様な人気の無いものでも、関わる人の協力で表現の場を創っていけるのです。
話は変わりますが、演奏会を開催する労力って大変なのです。私は演奏家ではないのでリサイタルの経験は無いですが、そのかわり若い頃は演奏会をかなり行いました。やり方次第で邦楽の会でも黒字に出来るはずだと思ったのです。
チケットの販売や宣伝にも労力をつかいましたが、それにも増して様々な調整や不測の事態への対応などに気をつかいました。不測の事態ですが、2,3例を挙げましょう。
① 40年も前ですが、ご出演いただく事になっていた鈴木裕理先生が本番の3,4日前に体調を崩され、「もしかして出られないかも」という事態になりました。
鈴木先生は清楚な超美人で大変学生に人気が有りましたので、「もし出られなかったら」と私も悩みました。「代演を依頼するにしても、あれだけの美人。はたして誰を?」。
人間考える事が大切ですな、考えて考えて、ついにビッグアイデアが出ました。「仕方が無い、オレが女装して舞台に出よう」。幸いですが、当日は回復した鈴木先生にご出演いただけました。
② 同じ頃、ケーナの大家U・Rのマネージメントをしていた出版社から、演奏会前日になって突如ギャラの倍増を要求された時は腹が立ちました。もう前売りがかなり出ていて今さら中止には出来ません。泣く泣く条件を飲みましたが、私は仮に利益が出ても、この手の所とは2度と関りを持ちません。
尺八家や民謡家の中にも、この種の振る舞いをしたという話を聞きましたが、幸い私は経験が有りません。
③ 尺八の大家二人から、演奏会のプログラムに気に喰わない者が出ているという理由で、それぞれ弟子の出演にストップをかけられた事も有ります。一人は説得、もう一人の場合は決裂。
舞台の裏では苦労が有るのです。それでいて邦楽は利益を生む様なものでは無いのです。それでも、嘗ての尺八の弟子達は師匠の為に頑張りました。気持ちですよ、気持ち。
今は弟子に強く出られる師匠もいませんし、ダイイチもう遅いのかも知れませんが、こういう事をよく考えたら、師匠の虫の居所なんかで、せめて不測の事態を起こすのだけは止めて戴きたい。
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