名セリフ
- 2017/06/09
- 22:14
5月の末にひいた風邪が、まだ残っています。朝、ゴミ出しをしていて雨にあいました。ゴミ出しは結婚以来、私の役目ですが、8年前に体が不自由になっていらい、雨の日だと「滑って危ない」からと家内がやるのですが、その時は僅かの霧雨だったので、「良いよ、僕が出してくる」と私が行ったのです。
「大丈夫ですか?」と家内。「春雨じゃ、濡れていこう」と私。結果、風邪をひいてしまいましたわ。
「春雨じゃ・・・」のセリフは、言うまでも無く新国劇の月形半平太の科白で、子供の頃は皆が使っていました。もう日本人の半分くらいの人には通じないのでしょう。そういえば月形半平太自体、もう忘れられた存在ですね。
50年前には日本人の90パーセントが知っていた幕末の偉人です。とは言っても、新国劇の座付き作家である行友李風の創作した架空の人物であり、名前は月形洗蔵と武市半平太の合体、キャラは坂本龍馬に似せています。
思えば、こういう今では使われなくなった名科白は数有りますなあ。
「お若えの、お待ちなせえ」は私の大学時代までは、「お若えの」同士で使っていました。「待て」と言ったのは幡随院長兵衛、言われた若い侍は白井権八。私の大学の後輩に平井という三弦の男がいまして、平井から白井の連想で「ゴンパチ」と呼ばれていました。
同じく、「オレには生涯オマエという強い味方が有ったのよ」も友達同士で頼み事をする時には、よく使いました。「江戸っ子だってね。スシ食いねえ、酒飲みねえ」もコンパなんかで、相手が地方出身者でも構わずに使って酒を無理に飲ませました。
徹夜マージャンで、「そろそろ寝るか」、「うん、日本の夜明けは近い」。自然現象だから、ほっといたって朝は来るけどよ、親に学費を出させて遊びほうけているテメエには朝は来ねえ。
昔の服はまたヤワで、引っぱるとしばしば切れました。当時ですから、謝りゃしません。心の中で「ボロイ服を着やがって、テメエにはお似合いだ」と思っていても、そこはヤンワリと「衣の盾はほころびにけり」。
飲みに誘われて。両手を拡げながら「天、勾践を空しうするなかれ」、大体において金の有るヤツが「時にオレ様無きにしもあらず」。
尺八界って別名「老人クラブ」でしょう。だから今でもこういうのが良く通じます。ですが、私の息子や甥となると、客の技術的な質問には答えられても、雑談は苦手です。平均年齢73才の尺八界ですが、こういう知識の共有は、せいぜい60才まででしょう。今は幸か不幸か、幸のわけはないですが、まだ60歳以下は全体の15パーセントでしかありません。でも、的確に時代は過ぎていくのです。
今の尺八界しか知らない50才以下の人にはピンと来ないでしょうが、20年前と今では、これでもすっかり変わってしまいました。今の尺八界にいる人にほとんどは戦後生まれで、邦楽なんかには触れていない世代です。歌謡曲が邦楽だという程度で、ロカビリーやジャズ、プレスリーやビートルズが身近な存在でした。
ですから、戦前世代の感覚では今の尺八界は動かない。でも、もう20年はかからずに、戦後世代の共通感覚では尺八が理解できなくなります。
ですから、この世代が中枢を占めている現在は、まだ私が表に出る時代。もうすぐ引くべき時が来るでしょう。
「大丈夫ですか?」と家内。「春雨じゃ、濡れていこう」と私。結果、風邪をひいてしまいましたわ。
「春雨じゃ・・・」のセリフは、言うまでも無く新国劇の月形半平太の科白で、子供の頃は皆が使っていました。もう日本人の半分くらいの人には通じないのでしょう。そういえば月形半平太自体、もう忘れられた存在ですね。
50年前には日本人の90パーセントが知っていた幕末の偉人です。とは言っても、新国劇の座付き作家である行友李風の創作した架空の人物であり、名前は月形洗蔵と武市半平太の合体、キャラは坂本龍馬に似せています。
思えば、こういう今では使われなくなった名科白は数有りますなあ。
「お若えの、お待ちなせえ」は私の大学時代までは、「お若えの」同士で使っていました。「待て」と言ったのは幡随院長兵衛、言われた若い侍は白井権八。私の大学の後輩に平井という三弦の男がいまして、平井から白井の連想で「ゴンパチ」と呼ばれていました。
同じく、「オレには生涯オマエという強い味方が有ったのよ」も友達同士で頼み事をする時には、よく使いました。「江戸っ子だってね。スシ食いねえ、酒飲みねえ」もコンパなんかで、相手が地方出身者でも構わずに使って酒を無理に飲ませました。
徹夜マージャンで、「そろそろ寝るか」、「うん、日本の夜明けは近い」。自然現象だから、ほっといたって朝は来るけどよ、親に学費を出させて遊びほうけているテメエには朝は来ねえ。
昔の服はまたヤワで、引っぱるとしばしば切れました。当時ですから、謝りゃしません。心の中で「ボロイ服を着やがって、テメエにはお似合いだ」と思っていても、そこはヤンワリと「衣の盾はほころびにけり」。
飲みに誘われて。両手を拡げながら「天、勾践を空しうするなかれ」、大体において金の有るヤツが「時にオレ様無きにしもあらず」。
尺八界って別名「老人クラブ」でしょう。だから今でもこういうのが良く通じます。ですが、私の息子や甥となると、客の技術的な質問には答えられても、雑談は苦手です。平均年齢73才の尺八界ですが、こういう知識の共有は、せいぜい60才まででしょう。今は幸か不幸か、幸のわけはないですが、まだ60歳以下は全体の15パーセントでしかありません。でも、的確に時代は過ぎていくのです。
今の尺八界しか知らない50才以下の人にはピンと来ないでしょうが、20年前と今では、これでもすっかり変わってしまいました。今の尺八界にいる人にほとんどは戦後生まれで、邦楽なんかには触れていない世代です。歌謡曲が邦楽だという程度で、ロカビリーやジャズ、プレスリーやビートルズが身近な存在でした。
ですから、戦前世代の感覚では今の尺八界は動かない。でも、もう20年はかからずに、戦後世代の共通感覚では尺八が理解できなくなります。
ですから、この世代が中枢を占めている現在は、まだ私が表に出る時代。もうすぐ引くべき時が来るでしょう。
スポンサーサイト