上質体験の積み上げ
- 2017/07/01
- 17:59
林鈴麟さんは、ここ数年ウチの仕事をしてくださり、展示会にもしばしば同行しますが、その彼が来客の尺八の音で「あの人の音、本当に良いナア」と絶賛するのが河野正明さんと佐藤皖山さんです。
河野さんは日本一の詩吟尺八奏者ですし、前にも会った事が有ったのですが、初めは分からなくて、「柔らかい良い音ですね、どういう人ですか?」と私に訊きました。
佐藤さんは中央部では知られていませんが、仙台を中心にずっとプロとしてやってきた人です。仙台には有名な大友憧山さんがいますが、大友さんは林さんも良く知っていましたが、佐藤皖山の音を聴くのは初めてだったようで、しきりに感心していました。
ここで面白い事が一つ。河野さんも佐藤さんも居合わせた素人さん達の中には「さほどの音」とは思わない人達がいるという事です。
理由はハッタリじみた音ではないという事です。もっとしみじみ心に響く音です。
私の大学時代、2年上に池田という人がいました。それは素晴らしい音色で、私は1年2年と、この人の音を目標にしていました。3年の後半からは、1年上の目黒(ゴリラ委員長)さんの音を最高だと思いました。私は32才までクラブに頻繁に顔を出していましたが、その範囲では、総合力最高が田中恥山でしたが、音色だけとったら上記の二人、特に目黒さんを最高位に挙げます。
勿論、当時からプロの演奏は聴いていましたよ、だから身近ではという事です。
御客から、よく質問される事に、「良い音ってどういうものですか?」が有ります。実は今日も訊かれました。いつもこう答えます。
「アナタ、美人て人の評判で判断しますか?そうじゃないでしょう。自分の判断で決めるけど、ヨッポドの事でも無ければ、それって世間一般の判断とそう大きくは違わないものですよ」。
この質問も分かるのです。「良い音」とは、もう少し複雑で、質問した人は「誰それは良い音だ」と言って、尺八の上手な人から「アナタ何にも分かってないなあ」と言われた経験が有るのですよ。
ここも「美人の判断」と似ています。基準など誰に教えてもらったわけでも無い。ただ、サンプル総数が多いほど判定力はアップします。江戸時代までは、自分の歩いて行動できる範囲の中だけでしか「上」は実見できず、従って不十分な審美眼しか培われなかったわけですが、今の様にテレビで美人を幾らでも見られる様になると、豊富なサンプルが意識下に蓄積され、様々なパターンに分かれる事も認識され、その上で「松坂慶子以上はいない」、今なら「桐谷美玲を上回る美人は存在しない」という事が日本人の統一見解となるわけです。
でも、だからって人は身近な範囲の中から、「松坂以上桐谷越え」を勘違いにしろ発見するわけですから、ここをゴッチャにしてはバーチャル専門になりかねません。
たとえプロの音がどうであれ、それに負けない「良い音」も身近に見いだせるはずです。
良い音も良い芸術作品も上質をタクサン経験する事で審美眼が養われます。だから私はウチに人が入ってくるたびに、「尺八の良い悪いを見分ける為には良い物をタクサン見ろ。主として竹仙系の外観細工を参考にしろ。具体的には真山、容山、仙山、鹿山なんか。そして、どんな下手にもプロなら一つや二つは見所が有るもんだ。そこを見る様に」と言います。
尺八製作でプロ未満の人は、話を聞いていると自惚れが有って、自分を客観視出来ない人が多いですね。簡単ですがねえ、アレコレ言う前に売れ行き具合が間違いなく一つの基準ですよ。
この自惚れほど自分や自作品を見誤るものは有りませんな。私の一年後輩、高橋照誠山ですよ。新潟から上京してきて1年2年は先輩の私の善導で謙虚にしていましたよ。
それが段々年を重ねる毎にズウズウしくなり、ついに3年生になったら「自分は志垣太郎とそっくりだ」と言い出したんですぜ。人間ここまで自分を客観視出来なくなるものかと謙虚が長所の私は唖然としました。先輩としてとても恥ずかしい。
3年生だからマダ良いようなものの、これで4年になったら益々増長して、それこそ志垣太郎どころじゃねえ、「オレは大橋にそっくりだ」とか言い出すんじゃないかと本気で心配しましたがな。
河野さんは日本一の詩吟尺八奏者ですし、前にも会った事が有ったのですが、初めは分からなくて、「柔らかい良い音ですね、どういう人ですか?」と私に訊きました。
佐藤さんは中央部では知られていませんが、仙台を中心にずっとプロとしてやってきた人です。仙台には有名な大友憧山さんがいますが、大友さんは林さんも良く知っていましたが、佐藤皖山の音を聴くのは初めてだったようで、しきりに感心していました。
ここで面白い事が一つ。河野さんも佐藤さんも居合わせた素人さん達の中には「さほどの音」とは思わない人達がいるという事です。
理由はハッタリじみた音ではないという事です。もっとしみじみ心に響く音です。
私の大学時代、2年上に池田という人がいました。それは素晴らしい音色で、私は1年2年と、この人の音を目標にしていました。3年の後半からは、1年上の目黒(ゴリラ委員長)さんの音を最高だと思いました。私は32才までクラブに頻繁に顔を出していましたが、その範囲では、総合力最高が田中恥山でしたが、音色だけとったら上記の二人、特に目黒さんを最高位に挙げます。
勿論、当時からプロの演奏は聴いていましたよ、だから身近ではという事です。
御客から、よく質問される事に、「良い音ってどういうものですか?」が有ります。実は今日も訊かれました。いつもこう答えます。
「アナタ、美人て人の評判で判断しますか?そうじゃないでしょう。自分の判断で決めるけど、ヨッポドの事でも無ければ、それって世間一般の判断とそう大きくは違わないものですよ」。
この質問も分かるのです。「良い音」とは、もう少し複雑で、質問した人は「誰それは良い音だ」と言って、尺八の上手な人から「アナタ何にも分かってないなあ」と言われた経験が有るのですよ。
ここも「美人の判断」と似ています。基準など誰に教えてもらったわけでも無い。ただ、サンプル総数が多いほど判定力はアップします。江戸時代までは、自分の歩いて行動できる範囲の中だけでしか「上」は実見できず、従って不十分な審美眼しか培われなかったわけですが、今の様にテレビで美人を幾らでも見られる様になると、豊富なサンプルが意識下に蓄積され、様々なパターンに分かれる事も認識され、その上で「松坂慶子以上はいない」、今なら「桐谷美玲を上回る美人は存在しない」という事が日本人の統一見解となるわけです。
でも、だからって人は身近な範囲の中から、「松坂以上桐谷越え」を勘違いにしろ発見するわけですから、ここをゴッチャにしてはバーチャル専門になりかねません。
たとえプロの音がどうであれ、それに負けない「良い音」も身近に見いだせるはずです。
良い音も良い芸術作品も上質をタクサン経験する事で審美眼が養われます。だから私はウチに人が入ってくるたびに、「尺八の良い悪いを見分ける為には良い物をタクサン見ろ。主として竹仙系の外観細工を参考にしろ。具体的には真山、容山、仙山、鹿山なんか。そして、どんな下手にもプロなら一つや二つは見所が有るもんだ。そこを見る様に」と言います。
尺八製作でプロ未満の人は、話を聞いていると自惚れが有って、自分を客観視出来ない人が多いですね。簡単ですがねえ、アレコレ言う前に売れ行き具合が間違いなく一つの基準ですよ。
この自惚れほど自分や自作品を見誤るものは有りませんな。私の一年後輩、高橋照誠山ですよ。新潟から上京してきて1年2年は先輩の私の善導で謙虚にしていましたよ。
それが段々年を重ねる毎にズウズウしくなり、ついに3年生になったら「自分は志垣太郎とそっくりだ」と言い出したんですぜ。人間ここまで自分を客観視出来なくなるものかと謙虚が長所の私は唖然としました。先輩としてとても恥ずかしい。
3年生だからマダ良いようなものの、これで4年になったら益々増長して、それこそ志垣太郎どころじゃねえ、「オレは大橋にそっくりだ」とか言い出すんじゃないかと本気で心配しましたがな。
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