袖すりあうも 其十二(関光徳さん)
- 2017/07/23
- 19:54
「袖すりあうも」、このシリーズは原則として1回しか会っていない人の思い出です。そして、単に挨拶したとかでなく、ある程度の会話をした人が対象です。
面識の無い有名人と会う、話をする。一期一会。何度も会っていると相手の性格、気心もある程度は知れてしまいますが、初対面、それも偶然だと準備をしていないだけに、初めは何を話して良いのか分からないので、戸惑いが有りました。私の場合は40過ぎてからです、誰と会っても平気で会話出来るようになったのは。
人間て表面はともあれ一皮むくと互いにあまり違いの無いものです。超有名人でも、実につまらないことで悩んだりしてますし、たわいのないことに一喜一憂もしているようです。何万という人を怒声一発で震え上がらせる、そんな人にも子供みたいな処が有る。そういう事が段々と分かってきますもの。私はそれが40くらいだという事です。
その後は高校時代の同期会です。一部上場企業の社長も警察のトップも二次会ではガキに戻ります。尺八界はまた学者や社長の多いところで、こういう世界で長きにわたって棲息していると、何というか、人を縦型には見ませんわな。
初対面で素晴らしく印象の良かった人が、その後、付き合いを重ねて嫌なところが沢山見えたというケースは誰でも経験していますでしょう。その点、1度しか会っていなければ何を言うのも気が楽ですね。例外的に嫌な人もいましたけど、大体の有名人は、初対面の機会に慣れているせいか、そつがない応対でしたね。
初対面の印象が素晴らしく良い人と言ったら、この関光徳さんなんか筆頭ですね。
私の少年時代はボクシングが大変人気が有りまして、1週間のうち2回くらいはテレビのレギュラー放送が有ったと記憶しています。当時は東洋フェザー級チャンピオンの関光徳の名は、たぶんスポーツ選手の中でベスト30に入るくらい有名だったと思います。
1974年の暮れ、当時はマシオ駒のカバン持ちをやっていた私は、全日本プロレスのポスターを張ってくれる商店を探して、品川から大井町まで店を虱潰しに訪ね歩きました。
朝の11時ころでしたかね、大井町を歩いていてボクシングジムを見つけました。表に関光徳の顔写真ポスターと大きな看板が出ていました。
丁度その時、1台の外車が止まり、運転席から真っ黒に日焼けして白いスーツを着た関光徳さんが下りてきました。
人懐っこい笑顔で、「関だけど何か用?」 。私が手にしているポスターの束を見て、「興行関係の人?せっかく来たんだ、寒いから中に入ってお茶でも飲んでいきなさいよ」と鍵を開けて気さくに招いてくれました。
誰もいなかったので御自分で湯を沸かしてお茶をいれてくれ、しばらく興行の苦労話などをしました。歌手のちあきなおみは関光徳に憧れて、「芸能界に入れば何時か憧れの関さんに会えるかもしれない」と思って歌手の道にすすんだそうですが、そんな大変な思いをしなくとも、相手が関さんなら会うのも話をするのも簡単ですよ。現に私がそうでしょう・・・。
ボクシングで日本人に評判が悪く、その為に人気凋落の原因となったのが、判定、盛り上がった瞬間のクリンチ、そしてダメージも無いのに倒れこんで負ける事でしょう。
関さんは苦笑しながらも面白そうに説明してくれました。
判定の基準は一般ファンが見えていないところをプロのジャッジは見ている。ホームタウンだと地元選手に有利な判定が出るのは事実だが、判定の基準が違うとも言える。
クリンチは立派な防御法。興行としてどうであれ選手は自分の体を守る権利が有る。
大したダメージが無いのに「寝る」のは、あれは「イヤ寝」と言って、「もう負けた」という試合放棄。タオル投入を自分でやる行為。それも選手が自分の体を守る為の行為。
なるほど傍目には分からない事って有るんですな。尺八でも、たとえば「循環奏法」は自分で言わないだけで、出来る人は沢山ではないけど結構います。
今の「循環」は初めの頃と違い、まず分からない。音の繋ぎのテクニックも発達したしダイイチ前みたくホッペタが膨らまない。でも、隣で吹いている共演者には分かる。「ああ、この人も老齢で息が続かなくなってきた。それで循環を多用する様になった」。
同じ曲を大勢で吹く。顔見世、だから音楽的には無意味。大家の中にも実際は音を出していない人がいる。隣にいればわかるけど客席だと分からない。尺八って実に便利です。三絃の超有名人にも実際には弾いていない人がいました。これは空振りですから客席でも分かりますよ。
現代邦楽が盛んだった頃。譜面を後で見て唖然とする、ブッタマゲル。「なにこれ、譜面には作曲者の支持が克明に書いてあるじゃん。それを頭から無視して吹いてたの。プロが・・・」。絶対に自分の芸術性を守る為なんかじゃないわ。事前に聴いてないんだもの、初演で聞いた作曲した人はさぞ不愉快でしたでしょう。
「小さい会だと手抜き演奏をする」と評判の尺八家が何人かいます。本当かどうか、意図してかどうか、それは私には分かりません。でも、そういう評判が立っているって知らないでしょう、この世界には公正に自信を持って批評してくれる人がいないので、名が上がるにつれ「裸の王様」になる人が多い。
「尺八バカ」だった無名時代を思い出して、せめて「裸の大将」になりましょうや。
面識の無い有名人と会う、話をする。一期一会。何度も会っていると相手の性格、気心もある程度は知れてしまいますが、初対面、それも偶然だと準備をしていないだけに、初めは何を話して良いのか分からないので、戸惑いが有りました。私の場合は40過ぎてからです、誰と会っても平気で会話出来るようになったのは。
人間て表面はともあれ一皮むくと互いにあまり違いの無いものです。超有名人でも、実につまらないことで悩んだりしてますし、たわいのないことに一喜一憂もしているようです。何万という人を怒声一発で震え上がらせる、そんな人にも子供みたいな処が有る。そういう事が段々と分かってきますもの。私はそれが40くらいだという事です。
その後は高校時代の同期会です。一部上場企業の社長も警察のトップも二次会ではガキに戻ります。尺八界はまた学者や社長の多いところで、こういう世界で長きにわたって棲息していると、何というか、人を縦型には見ませんわな。
初対面で素晴らしく印象の良かった人が、その後、付き合いを重ねて嫌なところが沢山見えたというケースは誰でも経験していますでしょう。その点、1度しか会っていなければ何を言うのも気が楽ですね。例外的に嫌な人もいましたけど、大体の有名人は、初対面の機会に慣れているせいか、そつがない応対でしたね。
初対面の印象が素晴らしく良い人と言ったら、この関光徳さんなんか筆頭ですね。
私の少年時代はボクシングが大変人気が有りまして、1週間のうち2回くらいはテレビのレギュラー放送が有ったと記憶しています。当時は東洋フェザー級チャンピオンの関光徳の名は、たぶんスポーツ選手の中でベスト30に入るくらい有名だったと思います。
1974年の暮れ、当時はマシオ駒のカバン持ちをやっていた私は、全日本プロレスのポスターを張ってくれる商店を探して、品川から大井町まで店を虱潰しに訪ね歩きました。
朝の11時ころでしたかね、大井町を歩いていてボクシングジムを見つけました。表に関光徳の顔写真ポスターと大きな看板が出ていました。
丁度その時、1台の外車が止まり、運転席から真っ黒に日焼けして白いスーツを着た関光徳さんが下りてきました。
人懐っこい笑顔で、「関だけど何か用?」 。私が手にしているポスターの束を見て、「興行関係の人?せっかく来たんだ、寒いから中に入ってお茶でも飲んでいきなさいよ」と鍵を開けて気さくに招いてくれました。
誰もいなかったので御自分で湯を沸かしてお茶をいれてくれ、しばらく興行の苦労話などをしました。歌手のちあきなおみは関光徳に憧れて、「芸能界に入れば何時か憧れの関さんに会えるかもしれない」と思って歌手の道にすすんだそうですが、そんな大変な思いをしなくとも、相手が関さんなら会うのも話をするのも簡単ですよ。現に私がそうでしょう・・・。
ボクシングで日本人に評判が悪く、その為に人気凋落の原因となったのが、判定、盛り上がった瞬間のクリンチ、そしてダメージも無いのに倒れこんで負ける事でしょう。
関さんは苦笑しながらも面白そうに説明してくれました。
判定の基準は一般ファンが見えていないところをプロのジャッジは見ている。ホームタウンだと地元選手に有利な判定が出るのは事実だが、判定の基準が違うとも言える。
クリンチは立派な防御法。興行としてどうであれ選手は自分の体を守る権利が有る。
大したダメージが無いのに「寝る」のは、あれは「イヤ寝」と言って、「もう負けた」という試合放棄。タオル投入を自分でやる行為。それも選手が自分の体を守る為の行為。
なるほど傍目には分からない事って有るんですな。尺八でも、たとえば「循環奏法」は自分で言わないだけで、出来る人は沢山ではないけど結構います。
今の「循環」は初めの頃と違い、まず分からない。音の繋ぎのテクニックも発達したしダイイチ前みたくホッペタが膨らまない。でも、隣で吹いている共演者には分かる。「ああ、この人も老齢で息が続かなくなってきた。それで循環を多用する様になった」。
同じ曲を大勢で吹く。顔見世、だから音楽的には無意味。大家の中にも実際は音を出していない人がいる。隣にいればわかるけど客席だと分からない。尺八って実に便利です。三絃の超有名人にも実際には弾いていない人がいました。これは空振りですから客席でも分かりますよ。
現代邦楽が盛んだった頃。譜面を後で見て唖然とする、ブッタマゲル。「なにこれ、譜面には作曲者の支持が克明に書いてあるじゃん。それを頭から無視して吹いてたの。プロが・・・」。絶対に自分の芸術性を守る為なんかじゃないわ。事前に聴いてないんだもの、初演で聞いた作曲した人はさぞ不愉快でしたでしょう。
「小さい会だと手抜き演奏をする」と評判の尺八家が何人かいます。本当かどうか、意図してかどうか、それは私には分かりません。でも、そういう評判が立っているって知らないでしょう、この世界には公正に自信を持って批評してくれる人がいないので、名が上がるにつれ「裸の王様」になる人が多い。
「尺八バカ」だった無名時代を思い出して、せめて「裸の大将」になりましょうや。
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