趣味じゃない境地
- 2017/08/01
- 22:03
早逝したカメラ屋の後藤とつるんで遊んでいた若い時分ですよ、人から「貴方の趣味は何ですか?」、こう訊かれる度に「はい、慈善事業、寄付、福祉です」と答えていました。
「ふざけてる」との御感想をもたれる方もおありでしょう。ただね、私も後藤も人からは遊んでばかりいると思われていたでしょうが、「趣味は?」というと、「さて、何だろう」となるのです。
尺八は? 人に負けないくらい熱心にやっていた時は無論有りました。でも、どの瞬間にも「趣味」ではなかった。ガリベンの学校秀才に「勉強が趣味か?」と訊いても、これまで「そうだ」と言った者はいなかった。そんなものなのでしょう。
尺八は越えても越えても出てくる新たな段階との苦闘、チャレンジの連続が思い出として有るだけです。仕事にしてからは、趣味になりようはずがない、もっと切実なものです。
大学までのプロレスは趣味だったと思います。駒さんに「全日本プロレスに入社しろ」と言われて断った理由。もっと面白いものが見つかった、ヤクザな商売がイヤになった、裏方は何時までたっても現場のレスラーからは「俺達がいるから生活できる」と思われていた、いろいろ有りますが、はっきり実体が見えてくると段々と趣味から遠ざかる、そういう事も有りました。
当時のイノセントな人達が見ていた「あんなもん八百長だ」とかいう幼稚な話ではありませんよ。「八百長」と切り捨てた人には絶対見えない。そういう単純な構図の世界観だと世の中の事も理解できませんが、そうは言っても、趣味の段階でも、おぼろげながら見えていたモノが段々ピントが絞れてきて、像がハッキリ鮮明になる前に逃げないと「趣味」ではなくなると思いました。
尺八界、邦楽界と言い直しても良いですが、「ド汚い」と見れば、そう見えない事も無い。「たとえば芸大を見てみろ、邦楽だけが腐っているわけじゃない」とか言う人がいますがね、見て切り取る部分しだいで、汚い部分も綺麗な部分も有るでしょう。私は尺八以外の事は直接体験者ではないので、伝聞に基ずいてですから多言は控えますが、尺八に関してはイロイロなモノを見すぎて「趣味にできる段階」をとっくに通りすぎてしまいました。
尺八界は「ド汚い世界」とも思いませんが、さりとて「奥の深い清らかな世界」とも勿論思っていません。社会のどの一隅を切り取っても普通に見られる、ごく当たり前の構造を持った世界です。
芸術は実力が数字や勝敗によって明確になるものではないので、芸術産業となった場合には、「ガチ一辺倒」の世界よりも、見ようによっては、はるかにスケールの大きい世界であるとも言えるのです。また、角度を変えて見れば「インチキがまかり通る」というのも正解です。
若いころって異性を美化しがちですわな。でも、たとえば結婚でもすれば、異性がけっして青春ドラマに描かれている様なものではないと分かります。でも、それで嫌いになるものですかい。趣味って、言わば青春ドラマの段階に止まらないと楽しくないんじゃないですかね。
少なくとも私の場合は、結婚30年を越えた今の方が女房に対する執着感は大きくなっていますよ。尺八も全く同様ですから、それで良いとしませんか。
どうしてこんな事を言うか?「汚い世界で、これ以上身を置きたくない」と言う芸大出身のフルート奏者がいたからですよ。「お若いの、もう少しここにいて、違う部分も見ませんかな。だって趣味じゃないんだもの」。
「ふざけてる」との御感想をもたれる方もおありでしょう。ただね、私も後藤も人からは遊んでばかりいると思われていたでしょうが、「趣味は?」というと、「さて、何だろう」となるのです。
尺八は? 人に負けないくらい熱心にやっていた時は無論有りました。でも、どの瞬間にも「趣味」ではなかった。ガリベンの学校秀才に「勉強が趣味か?」と訊いても、これまで「そうだ」と言った者はいなかった。そんなものなのでしょう。
尺八は越えても越えても出てくる新たな段階との苦闘、チャレンジの連続が思い出として有るだけです。仕事にしてからは、趣味になりようはずがない、もっと切実なものです。
大学までのプロレスは趣味だったと思います。駒さんに「全日本プロレスに入社しろ」と言われて断った理由。もっと面白いものが見つかった、ヤクザな商売がイヤになった、裏方は何時までたっても現場のレスラーからは「俺達がいるから生活できる」と思われていた、いろいろ有りますが、はっきり実体が見えてくると段々と趣味から遠ざかる、そういう事も有りました。
当時のイノセントな人達が見ていた「あんなもん八百長だ」とかいう幼稚な話ではありませんよ。「八百長」と切り捨てた人には絶対見えない。そういう単純な構図の世界観だと世の中の事も理解できませんが、そうは言っても、趣味の段階でも、おぼろげながら見えていたモノが段々ピントが絞れてきて、像がハッキリ鮮明になる前に逃げないと「趣味」ではなくなると思いました。
尺八界、邦楽界と言い直しても良いですが、「ド汚い」と見れば、そう見えない事も無い。「たとえば芸大を見てみろ、邦楽だけが腐っているわけじゃない」とか言う人がいますがね、見て切り取る部分しだいで、汚い部分も綺麗な部分も有るでしょう。私は尺八以外の事は直接体験者ではないので、伝聞に基ずいてですから多言は控えますが、尺八に関してはイロイロなモノを見すぎて「趣味にできる段階」をとっくに通りすぎてしまいました。
尺八界は「ド汚い世界」とも思いませんが、さりとて「奥の深い清らかな世界」とも勿論思っていません。社会のどの一隅を切り取っても普通に見られる、ごく当たり前の構造を持った世界です。
芸術は実力が数字や勝敗によって明確になるものではないので、芸術産業となった場合には、「ガチ一辺倒」の世界よりも、見ようによっては、はるかにスケールの大きい世界であるとも言えるのです。また、角度を変えて見れば「インチキがまかり通る」というのも正解です。
若いころって異性を美化しがちですわな。でも、たとえば結婚でもすれば、異性がけっして青春ドラマに描かれている様なものではないと分かります。でも、それで嫌いになるものですかい。趣味って、言わば青春ドラマの段階に止まらないと楽しくないんじゃないですかね。
少なくとも私の場合は、結婚30年を越えた今の方が女房に対する執着感は大きくなっていますよ。尺八も全く同様ですから、それで良いとしませんか。
どうしてこんな事を言うか?「汚い世界で、これ以上身を置きたくない」と言う芸大出身のフルート奏者がいたからですよ。「お若いの、もう少しここにいて、違う部分も見ませんかな。だって趣味じゃないんだもの」。
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