お寺の鐘
- 2017/08/11
- 22:58
音程の基準となるものが無かった時代には、箏や三絃は何をもって音を決めたんでしょうか? この疑問について亡くなった中井猛先生にうかがった事が有りました。
「それは調子笛ですな。面白いことに吹くのではなく、吸うて音を出しました」。では、その本になった音は?中井大検校にさらに質問をぶつけました。
「お寺の鐘ですな。黄鐘に近い音の梵鐘を聞いて音の基準を採ったのでしょう」。
このお寺の鐘ですが、何せ大きさがまちまちですから、音程もまちまちで、身近に黄鐘に近い鐘がいくつ有ったかなんて、もう分かりませんわ。何しろ、それまで存在していた梵鐘の90パーセントは、太平洋戦争で武器弾丸の類になってしまいました。
でも、音程の基本は黄鐘でなくとも良いのですから、歩いて行動できる範囲だけが「世界」だった江戸時代の音曲の先生は、地域で共有する音程が有れば良いので、共通の基準梵鐘が有れば事足りたに相違ありません。
この黄鐘ですが、私の若いころは尺八家(そもそもが邦楽でしか使いませんわ)で黄鍾と混同している人が多かった。今の尺八吹きでいないのは知識の深化ではなく無関心です。もう壱越管とか黄鐘管とか言う人なんていないですもの。私は良いことだと思う一面、「知って知識としておくくらいは・・・」、とチョッピリ寂しいのです。
黄鐘(おうしき)は日本の音程名、黄鍾(こうしょう)は中国の呼び名。カネヘンに童ではなく重です。しいて近い音をあげれば日本の黄鐘(おうしき)はA 、中国の黄鍾(こうしょう)はⅮです。
中国の律名の呼び名の由来は『淮南子』なんかで分かります。では、その呼び名をどうしてそのまま使用しなかったのでしょう。今は音はドレミみたいにイタリア式で読むのが日本では定着しています。わざわざ変える必要なんて有ったのでしょうかね。
「解説しろ」なんて私相手に言わないでね。私って推理小説家じゃないのよ。でも、敢えて私見を述べれば、当時の樂人達が権威付けの為に制定したんだと思いますよ。何と言っても宮廷楽人ですからね、出来るだけ分かり易くして一般の人達にも普及したいなんて殊勝な心掛けなんて薬にしたくとも有りませんわ。
呼び名の付け方は基本音、すなわち壱越、平調、双調、黄鐘、盤渉、神仙の6つについては学者や研究家さん達の言う通りでしょう。こういう方達は偉いもので、唐の俗樂・燕楽の中に見つけました。
では、どうして燕なのか?もう推理小説の分野ですね。先記の『淮南子』は「えなんじ」と呉音で読むのが定着している様に、かなり古い時代、平安前期までに入っていたのでしょう。同じく「トンデモ本」として読むと面白い『山海経』も、「せんがいきょう」と読む様に、あまり違わない時期に日本に入りました。ここで「倭は燕に属す」と有るから、それで燕の調名を音名にもってきたんだと思いますがね。
こんな記述でも、たまには良いでしょう。
梵鐘で、韓国の「エミレの鐘」みたいな有名なのって、日本でも有るのでしょうか?しいて言うなら、家康が豊臣家に言いがかりをつけた「国家安康」の銘、方広寺の鐘が一番有名でしょうね。
でも、今の日本人が日ごろ一番目にする梵鐘の銘と言ったら、沖縄県知事の応接室に飾られた屏風です。あれは「万国津梁の鐘」に掘られた銘文で、第一尚氏時代のものです。極く分かり易い漢文で文章の切れ目が分かれば受験高校生で楽々、大学生にだって読めます。
その銘文。尺八家にも参考になりまっせ。黄鍾(こうしょう)の鍾はカネでも良いけど、ここは集めるという動詞。それに対して黄鐘の方はカネ。
沖縄県知事の屏風にも「三韓の秀を鍾(あつめ)」とか「この鐘を鋳造した」とか、はっきり使い分けています。
何で今回はアカデミックなのか?クスン、実は幼い子供達にバカにされたの。プロレスごっこのレフリーをしていて、カウントを「テンワン、テンツー」と採たら嗤われた。だから、「バカじゃない証拠を示す。一桁の足し算の問題を出してみろ」と言って、指を使ったら、もっとバカにされた。
英語がどうであれ、学校算数がどうであれ、そんなもんワザワザ難しくしてんだ。古代ばかりじゃねえ近代になったって音楽指導者達って、そうじゃねえのかよ。
「それは調子笛ですな。面白いことに吹くのではなく、吸うて音を出しました」。では、その本になった音は?中井大検校にさらに質問をぶつけました。
「お寺の鐘ですな。黄鐘に近い音の梵鐘を聞いて音の基準を採ったのでしょう」。
このお寺の鐘ですが、何せ大きさがまちまちですから、音程もまちまちで、身近に黄鐘に近い鐘がいくつ有ったかなんて、もう分かりませんわ。何しろ、それまで存在していた梵鐘の90パーセントは、太平洋戦争で武器弾丸の類になってしまいました。
でも、音程の基本は黄鐘でなくとも良いのですから、歩いて行動できる範囲だけが「世界」だった江戸時代の音曲の先生は、地域で共有する音程が有れば良いので、共通の基準梵鐘が有れば事足りたに相違ありません。
この黄鐘ですが、私の若いころは尺八家(そもそもが邦楽でしか使いませんわ)で黄鍾と混同している人が多かった。今の尺八吹きでいないのは知識の深化ではなく無関心です。もう壱越管とか黄鐘管とか言う人なんていないですもの。私は良いことだと思う一面、「知って知識としておくくらいは・・・」、とチョッピリ寂しいのです。
黄鐘(おうしき)は日本の音程名、黄鍾(こうしょう)は中国の呼び名。カネヘンに童ではなく重です。しいて近い音をあげれば日本の黄鐘(おうしき)はA 、中国の黄鍾(こうしょう)はⅮです。
中国の律名の呼び名の由来は『淮南子』なんかで分かります。では、その呼び名をどうしてそのまま使用しなかったのでしょう。今は音はドレミみたいにイタリア式で読むのが日本では定着しています。わざわざ変える必要なんて有ったのでしょうかね。
「解説しろ」なんて私相手に言わないでね。私って推理小説家じゃないのよ。でも、敢えて私見を述べれば、当時の樂人達が権威付けの為に制定したんだと思いますよ。何と言っても宮廷楽人ですからね、出来るだけ分かり易くして一般の人達にも普及したいなんて殊勝な心掛けなんて薬にしたくとも有りませんわ。
呼び名の付け方は基本音、すなわち壱越、平調、双調、黄鐘、盤渉、神仙の6つについては学者や研究家さん達の言う通りでしょう。こういう方達は偉いもので、唐の俗樂・燕楽の中に見つけました。
では、どうして燕なのか?もう推理小説の分野ですね。先記の『淮南子』は「えなんじ」と呉音で読むのが定着している様に、かなり古い時代、平安前期までに入っていたのでしょう。同じく「トンデモ本」として読むと面白い『山海経』も、「せんがいきょう」と読む様に、あまり違わない時期に日本に入りました。ここで「倭は燕に属す」と有るから、それで燕の調名を音名にもってきたんだと思いますがね。
こんな記述でも、たまには良いでしょう。
梵鐘で、韓国の「エミレの鐘」みたいな有名なのって、日本でも有るのでしょうか?しいて言うなら、家康が豊臣家に言いがかりをつけた「国家安康」の銘、方広寺の鐘が一番有名でしょうね。
でも、今の日本人が日ごろ一番目にする梵鐘の銘と言ったら、沖縄県知事の応接室に飾られた屏風です。あれは「万国津梁の鐘」に掘られた銘文で、第一尚氏時代のものです。極く分かり易い漢文で文章の切れ目が分かれば受験高校生で楽々、大学生にだって読めます。
その銘文。尺八家にも参考になりまっせ。黄鍾(こうしょう)の鍾はカネでも良いけど、ここは集めるという動詞。それに対して黄鐘の方はカネ。
沖縄県知事の屏風にも「三韓の秀を鍾(あつめ)」とか「この鐘を鋳造した」とか、はっきり使い分けています。
何で今回はアカデミックなのか?クスン、実は幼い子供達にバカにされたの。プロレスごっこのレフリーをしていて、カウントを「テンワン、テンツー」と採たら嗤われた。だから、「バカじゃない証拠を示す。一桁の足し算の問題を出してみろ」と言って、指を使ったら、もっとバカにされた。
英語がどうであれ、学校算数がどうであれ、そんなもんワザワザ難しくしてんだ。古代ばかりじゃねえ近代になったって音楽指導者達って、そうじゃねえのかよ。
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