今日は終戦記念日
- 2017/08/15
- 09:56
太平洋戦争も遠い記憶となりつつあります。でも、私達の世代の前半生は、なお戦争の後遺症とも言うべき影響下の中にありました。
既成の価値観を疑う、教師や大人に逆らう、他人の言う事を聞かない、周りの価値基準より自分を優先する。こういう私達の世代に典型的に現れた傾向を前の世代は持て余し、こう呼びました。すなはち「全共闘世代」、または「新人類」。
私達は若い頃、はっきり言って上の世代の人達をバカにしていたと思います。「周りに対して顔色ばかり伺って、イヤなモノを嫌と言えないから、思想キチガイ達に引きずられて戦争に駆り出される羽目になったんだ」、そういう気分が根底に在りました。
勿論「イヤだ」と言ったらトンデモナイ事になるというくらいは当時の若い者も知っていましたよ。コンピューター関連の知識が無かった分、社会や思想に関して勉強しましたもの。こういうのは「学校勉強」ではないだけに、その後の人生観に深く関与します。
「戦争に反対と言ったらトンデモナイ事になる」、そういう事態は突然に出てきたわけではありません。もうすっかり解明されていることですが、早い話が大日本帝国憲法の重大な欠陥。具体的には内閣に関しての不備、そして直接的には「統帥権」です。「軍がごねれば内閣を潰せる」は大正初年には明らかになっていましたし、「統帥権を盾にとれば軍は政府を無視できる」は昭和5年からです。
では、この二つが補完されていたら戦争は起きなかったのか? それは分かりませんが、たとえそうでも民族が滅亡の縁まで行くような、あんな事態にまでは行かなかったでしょうね。
私達は身近でしたから、上の世代の時代気分を良く知っていました。時代が時代ですから、多くの人が侵略そのものは悪いと思っていなかった。それにより日本が発展し、自分たちの暮らしもまた良くなるとの期待を持っていました。でも、多くの人が戦争には行きたくないと思っていたのも確かですし、国民単位で軍部の横暴には反感を抱いていました。
戦後になって大人は皆がそう言っていましたし、それって「敗戦で目が覚めて180度転換を起こした」というばかりではありませんぜ。
軍の横車で組閣を流された宇垣一成には同情が集まっていたし、軍国主義路線を表に出して議会解散を強引に断行した林銑十郎内閣は、次の選挙では好戦的な候補は悉く落選しました。昭和12年で、女性に参政権が無くてさえ、こうだったのです。「日本人が集団発狂して戦争に突入した」なんてのはウソですよ。私達の前の世代の人は、そんなにバカじゃありませんでしたよ。
重要なのは、そうならざるを得ない仕組み、シクミですよ。
尺八の流や社中が今現在、音を立てて崩れています。これって邦楽における仕組みの崩壊なんですよ。別に尺八だけの事ではなく、たとえば日本三曲協会って有りますな、あれ20年前には会員が1万人いたんですよ。それが今では5千人です。これがもう盛り返さないってことは少しでも先が見える人には分明な事です。
いつも自慢している様に、この事態は私には25年前にはハッキリ分かっていました。でも、文章で警告していたのは私だけにしろ、この事態を推定していた尺八家は随分多かったのです。
それじゃ何故に皆は声を挙げなかったのか?決まってまさあ、他人事だからですよ。イザとなっても尺八はオマンマの種では無いから、別に困らない。
「でも団体化していないと大きな事がやれないですよ」。それに対する答えは「別に構わない。大きなイベントで脚光を浴びたり、国から勲章とか貰いたい人なら団体も大切だろうけどよ」というものです。
ここが国の仕組みとは違いますな。無くたって別にどうってことはない。ですから、もうどうしたって流とかはダメなんですよ。えっ、「国だって同じ。イザとなれば外国に逃げる」って。ナルホドねえ・・・。
既成の価値観を疑う、教師や大人に逆らう、他人の言う事を聞かない、周りの価値基準より自分を優先する。こういう私達の世代に典型的に現れた傾向を前の世代は持て余し、こう呼びました。すなはち「全共闘世代」、または「新人類」。
私達は若い頃、はっきり言って上の世代の人達をバカにしていたと思います。「周りに対して顔色ばかり伺って、イヤなモノを嫌と言えないから、思想キチガイ達に引きずられて戦争に駆り出される羽目になったんだ」、そういう気分が根底に在りました。
勿論「イヤだ」と言ったらトンデモナイ事になるというくらいは当時の若い者も知っていましたよ。コンピューター関連の知識が無かった分、社会や思想に関して勉強しましたもの。こういうのは「学校勉強」ではないだけに、その後の人生観に深く関与します。
「戦争に反対と言ったらトンデモナイ事になる」、そういう事態は突然に出てきたわけではありません。もうすっかり解明されていることですが、早い話が大日本帝国憲法の重大な欠陥。具体的には内閣に関しての不備、そして直接的には「統帥権」です。「軍がごねれば内閣を潰せる」は大正初年には明らかになっていましたし、「統帥権を盾にとれば軍は政府を無視できる」は昭和5年からです。
では、この二つが補完されていたら戦争は起きなかったのか? それは分かりませんが、たとえそうでも民族が滅亡の縁まで行くような、あんな事態にまでは行かなかったでしょうね。
私達は身近でしたから、上の世代の時代気分を良く知っていました。時代が時代ですから、多くの人が侵略そのものは悪いと思っていなかった。それにより日本が発展し、自分たちの暮らしもまた良くなるとの期待を持っていました。でも、多くの人が戦争には行きたくないと思っていたのも確かですし、国民単位で軍部の横暴には反感を抱いていました。
戦後になって大人は皆がそう言っていましたし、それって「敗戦で目が覚めて180度転換を起こした」というばかりではありませんぜ。
軍の横車で組閣を流された宇垣一成には同情が集まっていたし、軍国主義路線を表に出して議会解散を強引に断行した林銑十郎内閣は、次の選挙では好戦的な候補は悉く落選しました。昭和12年で、女性に参政権が無くてさえ、こうだったのです。「日本人が集団発狂して戦争に突入した」なんてのはウソですよ。私達の前の世代の人は、そんなにバカじゃありませんでしたよ。
重要なのは、そうならざるを得ない仕組み、シクミですよ。
尺八の流や社中が今現在、音を立てて崩れています。これって邦楽における仕組みの崩壊なんですよ。別に尺八だけの事ではなく、たとえば日本三曲協会って有りますな、あれ20年前には会員が1万人いたんですよ。それが今では5千人です。これがもう盛り返さないってことは少しでも先が見える人には分明な事です。
いつも自慢している様に、この事態は私には25年前にはハッキリ分かっていました。でも、文章で警告していたのは私だけにしろ、この事態を推定していた尺八家は随分多かったのです。
それじゃ何故に皆は声を挙げなかったのか?決まってまさあ、他人事だからですよ。イザとなっても尺八はオマンマの種では無いから、別に困らない。
「でも団体化していないと大きな事がやれないですよ」。それに対する答えは「別に構わない。大きなイベントで脚光を浴びたり、国から勲章とか貰いたい人なら団体も大切だろうけどよ」というものです。
ここが国の仕組みとは違いますな。無くたって別にどうってことはない。ですから、もうどうしたって流とかはダメなんですよ。えっ、「国だって同じ。イザとなれば外国に逃げる」って。ナルホドねえ・・・。
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