上がり
- 2017/08/16
- 16:07
私の友人知人の多くは、もうそれぞれに仕事人としては「上り」になっています。振りかえれば速いものですな、ついこの間、大学を卒業したと思ったら、はや現役引退ですわ。
法政大学三曲会で、私達昭和44年組というのは、ハッキリ言って、おとなしく無い。1年上が穏やかな人が揃い、1年下が地道で足が地に着いた人生観を持った人間達だったので、ひときはそう感じます。
私は中学から、「自分の面白いと思わない事はやるまい」、そう決めていましたので、若いころは1年下、二人の後輩の人生観は理解出来ませんでした。
1人は都山流新潟支部に今も所属している高橋照誠山ですし、もう一人が茨城で公務員を勤めあげた内藤です。私達と1年上は卒業時点で6,7人いる世代でしたが、可哀そうに、この年はやめる者が多く、3年からは2人だけでした。
高橋の河童は気性が多少きついのですが、内藤は極めて温厚で、先輩にイジられましたが、どんな非人道的な扱いを受けても笑っていて、それゆえにマツゾウ(マゾ)と仇名で呼ばれていました。
若いころと違い、今の私は、この二人を心から偉いと思い尊敬しています。コツコツと地道に長い期間、大過なく勤め上げる、時には我慢をしなければならない事だって有ったと思います。こういう根性は、我がまま者ぞろいの私達の代の人間には出来ない事だとつくずく思います。
私といえば、地道な勤め人になるのは絶対イヤだった。働くのは嫌ではないけど、上の人間の指示に従い、それでいて給付は安い。中間位に行けば上と下のサンドイッチでストレスが多い。運良く上に行ったら行ったで、いくら給料は高くても子育てや家のローンで支出もバカにならないし、ダイイチその時にはジジイです。遊んで楽しむヒマが無いでしょう。だって、世の中には乃木坂46なみに可愛い娘もミシュランなんかあてにしなくとも美味しい店もイッパイ有るんですよ。それを本当に楽しめるのは若い時でしょう。そう思っていました。
私の代には、どういうわけか同様の人生観を持つ人間が多かったですね。これはこれで真っ当な価値観だと思います。だってアメリカ人みたいに次々と仕事を変えられない、職場で上司と論争できない、年金が充実していない、日本には我儘者が生きやすい職場が有りませんでしたよ。なら離脱するしかないでしょう。
70年代前半、私の大学卒業の頃、たとえばアメリカだと、自動車会社に工員として勤めると、25年で年金の受給資格を得られました。15からなら40歳、高卒で就職しても43歳です。しかも、休暇は長いし、多くの場合は、この時点で自分の家、人によっては別荘まで取得出来ていました。ですから、その時点で「上り」を選択する者も多く、世界各地で夫婦で旅行している40代の若いアメリカ人達に会いました。これだったら、いかに我慢が効かない人間だってやりますよ。
オイラはやらないけど・・・。25年の辛抱も出来ないですもの。
でも、高橋や内藤がいなくて皆が私みたいだったら日本という社会はなりたちませんよ。その反面、皆が高橋内藤型人生を強いられたら、社会は成立するかも知れませんが、それはそれは息苦しいですわ。
いろんな価値観人生観が存在しうる社会って良いですね。
そうは言えど、ですよ。邦楽家の老後って、これからはどうなるんですかね?多くの人は国民年金です。それすら無い有名尺八家だって複数います。箏は知りませんし、尺八でも私が知ってるだけで「例外」とは言えないんですから、本当はもっと多いのでしょう。
昔は年をとって力量が落ちても、もともと邦楽は実力がシビアに評価される世界ではないので、「老大家」として地位や待遇は、むしろ上がったものです。仕事の源泉は「付き合い」つまるところ人脈ですから、キャリアを重ねると通常は多くなります。
そして、老後を保証してくれる社中も大切な存在でしたが、人が免状を採らない今では、この安全弁はもう作動しないのです。
加えて、現在の尺八環境ではリタイア世代までに十分な貯蓄を蓄えられる人なんて、プロの10人に1人もいないでしょう。
一つの世界を成立させる為には、将来的な期待、夢、心地良さとか有りますが、これは若い時代にのみ言える事。「上り」を間近いにした年齢になった私には、この解決無くして邦楽の未来は開けないだろうとすら思えます。
老後に多少でも安定と収入が無いかぎり、年寄りは何としてでも居座ろうとしますな。そんなの当たり前です。今も昔も三曲にはマトモナ批評の無い状態ですから、リキがそのまま反映されない古典に、当然の事、年寄りはしがみつき、若い人のプロとしての参入を拒みます。同時に、本当に上質な古典の演奏を提供できる年寄りも、良い悪いより派閥の力学が尊重されている今の悪しき体質が更に助長されて、いっそう出番が無くなってしまうでしょう。その結果、ただでさえ相手にされていない古典邦楽がますます相手にされなくなる。
私は今だって邦楽の最も上質な部分は、その大部分が古典に在ると思っています。ですから、ここに新陳代謝が起きないのは邦楽の滅亡を招きかねないと思っています。
私は個人的には、尺八についてだけは何とかなるんではないかと思っています。でも、箏三絃は、この峠を登れない、あるいは登るのが難しいのではと思っています。すんなり「上り」にはいかないでしょう。
法政大学三曲会で、私達昭和44年組というのは、ハッキリ言って、おとなしく無い。1年上が穏やかな人が揃い、1年下が地道で足が地に着いた人生観を持った人間達だったので、ひときはそう感じます。
私は中学から、「自分の面白いと思わない事はやるまい」、そう決めていましたので、若いころは1年下、二人の後輩の人生観は理解出来ませんでした。
1人は都山流新潟支部に今も所属している高橋照誠山ですし、もう一人が茨城で公務員を勤めあげた内藤です。私達と1年上は卒業時点で6,7人いる世代でしたが、可哀そうに、この年はやめる者が多く、3年からは2人だけでした。
高橋の河童は気性が多少きついのですが、内藤は極めて温厚で、先輩にイジられましたが、どんな非人道的な扱いを受けても笑っていて、それゆえにマツゾウ(マゾ)と仇名で呼ばれていました。
若いころと違い、今の私は、この二人を心から偉いと思い尊敬しています。コツコツと地道に長い期間、大過なく勤め上げる、時には我慢をしなければならない事だって有ったと思います。こういう根性は、我がまま者ぞろいの私達の代の人間には出来ない事だとつくずく思います。
私といえば、地道な勤め人になるのは絶対イヤだった。働くのは嫌ではないけど、上の人間の指示に従い、それでいて給付は安い。中間位に行けば上と下のサンドイッチでストレスが多い。運良く上に行ったら行ったで、いくら給料は高くても子育てや家のローンで支出もバカにならないし、ダイイチその時にはジジイです。遊んで楽しむヒマが無いでしょう。だって、世の中には乃木坂46なみに可愛い娘もミシュランなんかあてにしなくとも美味しい店もイッパイ有るんですよ。それを本当に楽しめるのは若い時でしょう。そう思っていました。
私の代には、どういうわけか同様の人生観を持つ人間が多かったですね。これはこれで真っ当な価値観だと思います。だってアメリカ人みたいに次々と仕事を変えられない、職場で上司と論争できない、年金が充実していない、日本には我儘者が生きやすい職場が有りませんでしたよ。なら離脱するしかないでしょう。
70年代前半、私の大学卒業の頃、たとえばアメリカだと、自動車会社に工員として勤めると、25年で年金の受給資格を得られました。15からなら40歳、高卒で就職しても43歳です。しかも、休暇は長いし、多くの場合は、この時点で自分の家、人によっては別荘まで取得出来ていました。ですから、その時点で「上り」を選択する者も多く、世界各地で夫婦で旅行している40代の若いアメリカ人達に会いました。これだったら、いかに我慢が効かない人間だってやりますよ。
オイラはやらないけど・・・。25年の辛抱も出来ないですもの。
でも、高橋や内藤がいなくて皆が私みたいだったら日本という社会はなりたちませんよ。その反面、皆が高橋内藤型人生を強いられたら、社会は成立するかも知れませんが、それはそれは息苦しいですわ。
いろんな価値観人生観が存在しうる社会って良いですね。
そうは言えど、ですよ。邦楽家の老後って、これからはどうなるんですかね?多くの人は国民年金です。それすら無い有名尺八家だって複数います。箏は知りませんし、尺八でも私が知ってるだけで「例外」とは言えないんですから、本当はもっと多いのでしょう。
昔は年をとって力量が落ちても、もともと邦楽は実力がシビアに評価される世界ではないので、「老大家」として地位や待遇は、むしろ上がったものです。仕事の源泉は「付き合い」つまるところ人脈ですから、キャリアを重ねると通常は多くなります。
そして、老後を保証してくれる社中も大切な存在でしたが、人が免状を採らない今では、この安全弁はもう作動しないのです。
加えて、現在の尺八環境ではリタイア世代までに十分な貯蓄を蓄えられる人なんて、プロの10人に1人もいないでしょう。
一つの世界を成立させる為には、将来的な期待、夢、心地良さとか有りますが、これは若い時代にのみ言える事。「上り」を間近いにした年齢になった私には、この解決無くして邦楽の未来は開けないだろうとすら思えます。
老後に多少でも安定と収入が無いかぎり、年寄りは何としてでも居座ろうとしますな。そんなの当たり前です。今も昔も三曲にはマトモナ批評の無い状態ですから、リキがそのまま反映されない古典に、当然の事、年寄りはしがみつき、若い人のプロとしての参入を拒みます。同時に、本当に上質な古典の演奏を提供できる年寄りも、良い悪いより派閥の力学が尊重されている今の悪しき体質が更に助長されて、いっそう出番が無くなってしまうでしょう。その結果、ただでさえ相手にされていない古典邦楽がますます相手にされなくなる。
私は今だって邦楽の最も上質な部分は、その大部分が古典に在ると思っています。ですから、ここに新陳代謝が起きないのは邦楽の滅亡を招きかねないと思っています。
私は個人的には、尺八についてだけは何とかなるんではないかと思っています。でも、箏三絃は、この峠を登れない、あるいは登るのが難しいのではと思っています。すんなり「上り」にはいかないでしょう。
スポンサーサイト