怪談
- 2017/08/20
- 10:20
夏になると毎年のこと怪談がテレビでも三流週刊誌でも特集されますな。何で夏なんですかね?
私の子供時代には映画でも決まって「四谷怪談」とか「累が淵」、あるいは「牡丹灯籠」とかが上映され、私達純情な子供は恐怖に震えながら見たものです。
何が怖さ一番?と言えば、やはり「四谷怪談」でしょうな。こういう映画を見て鍛えられた私達は西洋の恐怖映画なんか、てんで怖くありませんでした。
1974年ですか、「全米で失神者が続出」という前評判の「エクソシスト」が上映されましたが、何の怖さも感じませんでした。それもそのはず、エクソシストに追っ払われて日本にまで逃げ、映画館の暗がりに身をひそめた悪魔が、「四谷怪談」を見て怖さのあまり小便を漏らしたという嘘のような嘘の話が有るくらいです。
怪談を「本当」と思って見ていたのは幾つまでですか?私の場合は18くらいまでは「一部は実話」だと思っていて、高校時代にはクラスメートからバカにされていました。大学に入学してからだって、少しは名残が残っていたように思います。
こういう精神成長の歴史は、たとえば中国文学みたいに千年単位で文学史を正確に辿れると、良くわかって面白いですね。
3世紀から6世紀までの三国・六朝時代には「志怪」として、怪奇物は文学の一大ジャンルでした。ですが、これは言うならば「事実の記録」という性格に近く、次の唐・宋の「伝奇」の様に創作性の強いものではないです。
世に名高い清代の『聊斎志異』ともなると、内容に対しては筆者自身が半分信じていたのかも知れませんが、もう構成は秀抜な小説としての構造を持っています。
ただ、なお中島敦の『山月記』ほどの完成には至っておりません。私などは偉いもので、この中華民族千数百年の精神的成長を、わずか10数年にして辿りきってしまいました。エライゾ。
怪談って、お化けの存在を丸っきり信じていなくとも、十分に怖いし、それはそれで楽しめる良いモノです。「心霊写真」の解説に出てくる人達だって、わずかの時間に小噺を作れる才能や、それを臆面もなく御披露できるエンターテイナーとしての才能は評価されてしかるべきです。であればこそ、テレビに出て小便銭にしろ稼げるんでしょう。
「霊能者」の皆さん、私は本気でそう思っているのであって、別にヒヤカシテいるわけでは無いですから、こんな事を書いたからって、無言電話なんてしないで下さいよ。「呪いをかける」とか「生霊をとばす」とかなら、いくらやってくださっても結構ですから。
ともかく怪談は誰もが興味を示すものだけに、説話としては最も歴史が長く、おそらく人類が言葉を獲得して以来、人々を怖がらせ、また楽しませてきたのでしょう。
尺八では、仮にも音楽ですから怪奇譚は多くありませんが、でも強いてですが幾つか挙げましょう。
松厳軒鈴慕は、その哀感あふれるメロディで心中を多発させたんですとよ。哀しい曲を聞いたからって、それで自殺願望が起きるものか?まあ、そういう事はうるさく言わないの。有名な「暗い日曜日」のエピソードだって有るのですから。他の要因が有るにせよ、こっちは事実だっせ。
飾画、「これを演奏会にかけると悪い事が起こる」。1970年から71年ころ関東学生三曲連盟で言われました。もっとも最高学府に籍を置く者達ですから、半分は冗談です。後の半分はシャレ。どうしてそうなったか?一つは、その出だし、不気味な曲想です。そして、この曲を関学三の不定期演奏会(こういう名の定期演奏会)にかけるべく練習していた人が、何かの事故(交通事故だったかな?)に遭ったんですわ。
楽阿弥。伊勢の別方(べっぽ)の松原で尺八を吹くと、楽阿弥の亡霊が出てきて尺八を一緒に吹くんですとさ。
私の子供時代には映画でも決まって「四谷怪談」とか「累が淵」、あるいは「牡丹灯籠」とかが上映され、私達純情な子供は恐怖に震えながら見たものです。
何が怖さ一番?と言えば、やはり「四谷怪談」でしょうな。こういう映画を見て鍛えられた私達は西洋の恐怖映画なんか、てんで怖くありませんでした。
1974年ですか、「全米で失神者が続出」という前評判の「エクソシスト」が上映されましたが、何の怖さも感じませんでした。それもそのはず、エクソシストに追っ払われて日本にまで逃げ、映画館の暗がりに身をひそめた悪魔が、「四谷怪談」を見て怖さのあまり小便を漏らしたという嘘のような嘘の話が有るくらいです。
怪談を「本当」と思って見ていたのは幾つまでですか?私の場合は18くらいまでは「一部は実話」だと思っていて、高校時代にはクラスメートからバカにされていました。大学に入学してからだって、少しは名残が残っていたように思います。
こういう精神成長の歴史は、たとえば中国文学みたいに千年単位で文学史を正確に辿れると、良くわかって面白いですね。
3世紀から6世紀までの三国・六朝時代には「志怪」として、怪奇物は文学の一大ジャンルでした。ですが、これは言うならば「事実の記録」という性格に近く、次の唐・宋の「伝奇」の様に創作性の強いものではないです。
世に名高い清代の『聊斎志異』ともなると、内容に対しては筆者自身が半分信じていたのかも知れませんが、もう構成は秀抜な小説としての構造を持っています。
ただ、なお中島敦の『山月記』ほどの完成には至っておりません。私などは偉いもので、この中華民族千数百年の精神的成長を、わずか10数年にして辿りきってしまいました。エライゾ。
怪談って、お化けの存在を丸っきり信じていなくとも、十分に怖いし、それはそれで楽しめる良いモノです。「心霊写真」の解説に出てくる人達だって、わずかの時間に小噺を作れる才能や、それを臆面もなく御披露できるエンターテイナーとしての才能は評価されてしかるべきです。であればこそ、テレビに出て小便銭にしろ稼げるんでしょう。
「霊能者」の皆さん、私は本気でそう思っているのであって、別にヒヤカシテいるわけでは無いですから、こんな事を書いたからって、無言電話なんてしないで下さいよ。「呪いをかける」とか「生霊をとばす」とかなら、いくらやってくださっても結構ですから。
ともかく怪談は誰もが興味を示すものだけに、説話としては最も歴史が長く、おそらく人類が言葉を獲得して以来、人々を怖がらせ、また楽しませてきたのでしょう。
尺八では、仮にも音楽ですから怪奇譚は多くありませんが、でも強いてですが幾つか挙げましょう。
松厳軒鈴慕は、その哀感あふれるメロディで心中を多発させたんですとよ。哀しい曲を聞いたからって、それで自殺願望が起きるものか?まあ、そういう事はうるさく言わないの。有名な「暗い日曜日」のエピソードだって有るのですから。他の要因が有るにせよ、こっちは事実だっせ。
飾画、「これを演奏会にかけると悪い事が起こる」。1970年から71年ころ関東学生三曲連盟で言われました。もっとも最高学府に籍を置く者達ですから、半分は冗談です。後の半分はシャレ。どうしてそうなったか?一つは、その出だし、不気味な曲想です。そして、この曲を関学三の不定期演奏会(こういう名の定期演奏会)にかけるべく練習していた人が、何かの事故(交通事故だったかな?)に遭ったんですわ。
楽阿弥。伊勢の別方(べっぽ)の松原で尺八を吹くと、楽阿弥の亡霊が出てきて尺八を一緒に吹くんですとさ。
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