夏休み
- 2017/08/22
- 22:55
8月も残り一週間。小中学生の頃は、このあたりが堪らなくイヤでした。もう夏休みも終わる、けど宿題はほとんど手付かずなのがいつもの事でした。明日はやろう、こう思いながら結局は29日まで何もやらないのが毎年のパターンでしたね。
ダイタイですよ、夏休みに宿題を出して勉強させようとかいう不純な意思に抵抗感を持たないような子供は当時にあっては少数でしたね。
私の場合は、社会に出てからは「毎日が夏休み」とも言えましたし、その反対に毎日毎日サバイバルゲームをやっていたとも考えられます。でも、幸か不幸か、この尺八界というのは「生き馬の目を抜く」という様な世界ではありませんので、ここで生活を立てている者で、「尺八界で生きているのがイヤでイヤで仕方がない」と言ってる人には会った事が有りません。これが「お箏の世界」となりますと、箏屋を小間使いかなんかだと思っている師匠がいて、昔はとんでもなくイヤな目に遇った話も随分と聞きました。
「大橋さんは良いなあ、尺八屋ってお客からセンセイと呼ばれるじゃん。自分たち箏屋は良くてサンだよ」。エッ、知らなかった。客ってオレのことを心から尊敬してるから先生って呼ぶんだと思ってた。尺八だと全部そうなの、何だあ・・・。
「君たちはダイタイがだ、好きだからやってんだろう」とか言うのが一般的な意見なんでしょうが、少し首をかしげる所も有ります。「好きな事をやって生活できる」、たしかに初めのうちは喜びが大きいでしょうよ。まして演奏家ならば人前で得意な芸を披露して、お義理であれ、ともかくも喝采と賞賛を得られる。脳内にはアドレナリンとドーパミンが溢れて、さぞ心地良いと誰でも想像がつきますな。
でも、そのうちに「自分の位置の範囲」が分かってきて、「自分はタテまで行ける」とか「自分の器量ではこの辺りまでだな」とか、ボンクラでなければウスウス見当がついてきます。
大多数のプロはトップに立たないで終わるわけですが、だからと言って、見極めのつく年齢になっても生活出来ないという理由以外で転職した人などは、極々少数です。
何故か? 私は「好き」というより「楽(らく)」だからだと言う方が真実に近いと思います。
金銭的には楽ではなくとも、精神的に楽なんですよ。スターのオコボレ仕事みたいな舞台しか出番がなくとも、10年もいると生活パターンが出来てしまい、その境遇に甘んじて、それはそれで安息な境地に入ってしまいます。ですから、そこを動こうとはナカナカ思いませんな。
子供達が夏休みに入ったら、いつもの生活、大嫌いな規則規律の生活にけっして自分からは戻らないのと幾分似ています。
それもこれも尺八界というものが有ってこそです。もう伝統的な邦楽界は拡大する事はありえないので、おさらい会の助演は今でも指定席ですが、これからはもっと狭まります。「先生、出ていただく今度の会ですが、お弟子さんもどうぞ」とかいうオコボレパターンも無くなります。
新しく大きく社中を創れる糸方の人も、そのほとんどが芸大出だと思いますから、呼ばれる尺八も芸大の同期ですね。
でも、見方を変えれば、これまでの指定席で雁字搦めになっていた尺八界よりもズット良い環境になったとも言えるんです。
これからは貴方も私もセールスマン。貴方は芸を売り私は尺八を売る。待っていたって仕事は来ない、これが当たり前の世界です。
尺八界もとっくに新学期が始まっています。親子代々の家元稼業は尺八界では最長の都山流楽会でも25年くらいですかね。もう解体したところも多数有ります。ですから家元達なんか事態を見て慌てていますぜ。もっとも「慌てている」というのは想像だけど。
ダイタイですよ、夏休みに宿題を出して勉強させようとかいう不純な意思に抵抗感を持たないような子供は当時にあっては少数でしたね。
私の場合は、社会に出てからは「毎日が夏休み」とも言えましたし、その反対に毎日毎日サバイバルゲームをやっていたとも考えられます。でも、幸か不幸か、この尺八界というのは「生き馬の目を抜く」という様な世界ではありませんので、ここで生活を立てている者で、「尺八界で生きているのがイヤでイヤで仕方がない」と言ってる人には会った事が有りません。これが「お箏の世界」となりますと、箏屋を小間使いかなんかだと思っている師匠がいて、昔はとんでもなくイヤな目に遇った話も随分と聞きました。
「大橋さんは良いなあ、尺八屋ってお客からセンセイと呼ばれるじゃん。自分たち箏屋は良くてサンだよ」。エッ、知らなかった。客ってオレのことを心から尊敬してるから先生って呼ぶんだと思ってた。尺八だと全部そうなの、何だあ・・・。
「君たちはダイタイがだ、好きだからやってんだろう」とか言うのが一般的な意見なんでしょうが、少し首をかしげる所も有ります。「好きな事をやって生活できる」、たしかに初めのうちは喜びが大きいでしょうよ。まして演奏家ならば人前で得意な芸を披露して、お義理であれ、ともかくも喝采と賞賛を得られる。脳内にはアドレナリンとドーパミンが溢れて、さぞ心地良いと誰でも想像がつきますな。
でも、そのうちに「自分の位置の範囲」が分かってきて、「自分はタテまで行ける」とか「自分の器量ではこの辺りまでだな」とか、ボンクラでなければウスウス見当がついてきます。
大多数のプロはトップに立たないで終わるわけですが、だからと言って、見極めのつく年齢になっても生活出来ないという理由以外で転職した人などは、極々少数です。
何故か? 私は「好き」というより「楽(らく)」だからだと言う方が真実に近いと思います。
金銭的には楽ではなくとも、精神的に楽なんですよ。スターのオコボレ仕事みたいな舞台しか出番がなくとも、10年もいると生活パターンが出来てしまい、その境遇に甘んじて、それはそれで安息な境地に入ってしまいます。ですから、そこを動こうとはナカナカ思いませんな。
子供達が夏休みに入ったら、いつもの生活、大嫌いな規則規律の生活にけっして自分からは戻らないのと幾分似ています。
それもこれも尺八界というものが有ってこそです。もう伝統的な邦楽界は拡大する事はありえないので、おさらい会の助演は今でも指定席ですが、これからはもっと狭まります。「先生、出ていただく今度の会ですが、お弟子さんもどうぞ」とかいうオコボレパターンも無くなります。
新しく大きく社中を創れる糸方の人も、そのほとんどが芸大出だと思いますから、呼ばれる尺八も芸大の同期ですね。
でも、見方を変えれば、これまでの指定席で雁字搦めになっていた尺八界よりもズット良い環境になったとも言えるんです。
これからは貴方も私もセールスマン。貴方は芸を売り私は尺八を売る。待っていたって仕事は来ない、これが当たり前の世界です。
尺八界もとっくに新学期が始まっています。親子代々の家元稼業は尺八界では最長の都山流楽会でも25年くらいですかね。もう解体したところも多数有ります。ですから家元達なんか事態を見て慌てていますぜ。もっとも「慌てている」というのは想像だけど。
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