プロの基準
- 2017/08/24
- 23:40
製管師って何人くらいいたんですかね。せめて昭和に入ってからの人だけでも記録しようと思い立ったのは35年くらい前です。それからは目にする尺八は総てリストに入れ、その製作者に関する情報も出来るだけ記録していきました。
勿論、焼き印なんか1万5千円くらいで誰でも持てますから、一見して素人と分かる物は銘だけを記録するに止めましたが、プロあるいは極く短期にしろプロとして生活していた痕跡が有る人だけ採ってみても存外な人数になってしまいました。
始めてから15年くらい経った頃、そう20年ほど前ですが、リストが250人を超え、もう名前が集まらなくなり、「もう日本に私の知らない製管師はいないだろう」と思いました。ところが、それからです、全国巡業タイプの展示会をやり始めると、再び名がリストに続々と上がり始めました。言わば「地域限定型製管師」の名が掘り起こされていったのです。ですが、それからの20年でも50名ほどが増えただけですから、「昭和になってからのプロ製管師は凡そ三百人」と言って大過無いと思います。
まだ整理が完全には出来ていないのは、1人の製管師が事情が有って複数の銘を持っていたり、プロと断定出来ない人が約半数いる点ですが、でもそれは大した問題ではないです。何となれば、このリストは私個人の興味というか必要上作っただけで、これまで他人に見せたケースは、邦楽ジャーナルが25年前に製管師特集をやるというので、田中社長に貸した、ただ1回きりです。
尺八・邦楽は演奏も製管もプロとアマの区別がハッキリとはつきません。ただ「藤原道山や永廣真山をアマだ」とか言う人はいませんわな。ですが、判断が主観に頼らなければならない人も非常に多いのです。
例えば、酒井竹保とか琵琶の鶴田錦史とかいう超大家にしても主観次第で「アマチュア」と強弁することだって出来ないわけではありませんね。この辺り、邦楽の事情通なら分るでしょう。
野球や囲碁将棋あるいは医者、弁護士なんかはプロアマは客観基準です。でも芸術は、もともとプロアマの区別が本当は必要無いものなのですが、産業となる過程で商業上の必要から区別が必要になっていきました。ですから市場規模の大きい文学や美術工芸ですと、プロのリストがチャンと有ります。
20年近く前ですが、NНKから電話が有り「今度プロの登録を行うので製管師のリストアップに協力してほしい。ついてはプロが2人以上推薦しないとプロとは認めない」と言うものでした。ちなみに私の場合は青木鈴慕と中井猛両先生の推挙だという事でした。
「製管師に関しては先生(大橋)の一存でプロと断定して良い」と担当の若い女性が言いますし、青木先生からも「是非に協力してやってくれ」と電話が有りましたので、「くれぐれも素人と断定できる人は入れないから」という約束で整理した厳密なプロリストを提出しました。
ところが出来てみると素人が入っていました。特に演奏の方は素人だらけです。一ぺんに興ざめです。
「素人と一緒にされてプライドが傷つくか?」って。全然。だって、市場形成の未熟な邦楽には本来、プロもアマも明確な基準なんて有りませんもの。たとえ「お前は素人だ」とか他人に言われたって、それを唯一の生活手段に何十年もやっていれば、「そうですか、で、それが何か?」で済みますもの。
でも、そこをあえて区分しようとして、それも一般には「権威が有る」と思われている組織がやったんでしょうが。それなら話は別でっせ・・・。
まあ、どうせ邦楽だから良いですがね。でも医者や弁護士が免許制でなかったら、どうなるんだろう?自称のプロばかり多かったら危なくて仕事を頼めませんや。
勿論、焼き印なんか1万5千円くらいで誰でも持てますから、一見して素人と分かる物は銘だけを記録するに止めましたが、プロあるいは極く短期にしろプロとして生活していた痕跡が有る人だけ採ってみても存外な人数になってしまいました。
始めてから15年くらい経った頃、そう20年ほど前ですが、リストが250人を超え、もう名前が集まらなくなり、「もう日本に私の知らない製管師はいないだろう」と思いました。ところが、それからです、全国巡業タイプの展示会をやり始めると、再び名がリストに続々と上がり始めました。言わば「地域限定型製管師」の名が掘り起こされていったのです。ですが、それからの20年でも50名ほどが増えただけですから、「昭和になってからのプロ製管師は凡そ三百人」と言って大過無いと思います。
まだ整理が完全には出来ていないのは、1人の製管師が事情が有って複数の銘を持っていたり、プロと断定出来ない人が約半数いる点ですが、でもそれは大した問題ではないです。何となれば、このリストは私個人の興味というか必要上作っただけで、これまで他人に見せたケースは、邦楽ジャーナルが25年前に製管師特集をやるというので、田中社長に貸した、ただ1回きりです。
尺八・邦楽は演奏も製管もプロとアマの区別がハッキリとはつきません。ただ「藤原道山や永廣真山をアマだ」とか言う人はいませんわな。ですが、判断が主観に頼らなければならない人も非常に多いのです。
例えば、酒井竹保とか琵琶の鶴田錦史とかいう超大家にしても主観次第で「アマチュア」と強弁することだって出来ないわけではありませんね。この辺り、邦楽の事情通なら分るでしょう。
野球や囲碁将棋あるいは医者、弁護士なんかはプロアマは客観基準です。でも芸術は、もともとプロアマの区別が本当は必要無いものなのですが、産業となる過程で商業上の必要から区別が必要になっていきました。ですから市場規模の大きい文学や美術工芸ですと、プロのリストがチャンと有ります。
20年近く前ですが、NНKから電話が有り「今度プロの登録を行うので製管師のリストアップに協力してほしい。ついてはプロが2人以上推薦しないとプロとは認めない」と言うものでした。ちなみに私の場合は青木鈴慕と中井猛両先生の推挙だという事でした。
「製管師に関しては先生(大橋)の一存でプロと断定して良い」と担当の若い女性が言いますし、青木先生からも「是非に協力してやってくれ」と電話が有りましたので、「くれぐれも素人と断定できる人は入れないから」という約束で整理した厳密なプロリストを提出しました。
ところが出来てみると素人が入っていました。特に演奏の方は素人だらけです。一ぺんに興ざめです。
「素人と一緒にされてプライドが傷つくか?」って。全然。だって、市場形成の未熟な邦楽には本来、プロもアマも明確な基準なんて有りませんもの。たとえ「お前は素人だ」とか他人に言われたって、それを唯一の生活手段に何十年もやっていれば、「そうですか、で、それが何か?」で済みますもの。
でも、そこをあえて区分しようとして、それも一般には「権威が有る」と思われている組織がやったんでしょうが。それなら話は別でっせ・・・。
まあ、どうせ邦楽だから良いですがね。でも医者や弁護士が免許制でなかったら、どうなるんだろう?自称のプロばかり多かったら危なくて仕事を頼めませんや。
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