錯覚
- 2017/09/08
- 19:23
トイザラスが潰れるかも知れないんですって。コンピュータービジネスに狙われた業界は、どこも悲鳴をあげています。でもねえ、トイザラスだってブックオフだって家電量販店にしたって、町の小規模店舗を立ち行かなくしてきた過去が有るんですから今更文句は言えませんや。
コンピューターのこのところの発達は目を見張ります。将棋で人間に勝ち、「ここは難関」と言われた囲碁でも何時の間にか人間は勝てなくなっていました。ですから、そのウチに「コンピューター同士の対決」が別ジャンルとして成立しますね。
でも、こういうのは考えてみたら当然です。ボルトがいくら速いといっても、病気になる前の私と自動車には勝てないですわな。人間は能力比べでは機械に勝てないんです。勝てる部分は金額的にペイしないから機械開発をしていないものだけです。
孫正義さんが言うには、コンピューターの能力が全ての面で人間の頭脳を超える、いわゆる「技術的特異点」に達するのが2045年だそうですから、まだ先と言えば先、もうすぐと言えばすぐですね。人間の頭脳の限界はIQ200くらいだそうですが、電子頭脳の方は2075年頃にはIQ10000(桁を間違えなさんな)に達すると言います。その前にコンピューター同士が電子言語で会話して自身で進化を遂げるんですって。怖いような、でも見てみたいような・・・。
神話なんか読むと、全智全能である神の叡智は、その神話が成立した時代の人間の想像力を超えない事が分かりますが、電子頭脳の方は同じく人間が創造したものであるにもかかわらず、ある発達の段階から勝手に進化するというんですから、これはもう人間の想像力の範囲を超えるんでしょうな。
今でも、たとえば売られている記録音楽は「完璧」を作れます。昔の様に、たとえば尺八なら同じ曲を何度か吹いて、良い所だけを繋ぎ合わせるのではなく、もうコンピューター処理で全てを再処理できます。つまり、CDなら私でも原理的には青木鈴慕先生の尺八を上回れると言う事です。
でも、そうでしょうか?微妙な音程の揺れや間が合い間を外す、こういうのが無い尺八演奏って、きっと面白くないですよ。野球が完全に機械判定になったら詰まらないんと違いますかな。投手は心理的な錯覚を利用して審判を騙して、ボール球をストライクと判定させたりするとプロ野球選手から聞いた事が有ります。
尺八だって、たとえば5孔尺八では通常通りでは絶対出ない音に「ツの大甲」が有ります。でも青木鈴慕とか横山勝也とかになると前後の旋律処理で全く違和感無く聴かせてしまいます。錯覚の利用には違いないんですが、こういう人間の不確かな騙されやすい能力って貴重だとは思いませんですか?
理性と衝動、冷静と感情、判断と錯覚、こういうものが互いに解きほどき難く絡み合うからこそ人間には芸術も恋愛も有るのでしょうが・・・。
コンピューターのこのところの発達は目を見張ります。将棋で人間に勝ち、「ここは難関」と言われた囲碁でも何時の間にか人間は勝てなくなっていました。ですから、そのウチに「コンピューター同士の対決」が別ジャンルとして成立しますね。
でも、こういうのは考えてみたら当然です。ボルトがいくら速いといっても、病気になる前の私と自動車には勝てないですわな。人間は能力比べでは機械に勝てないんです。勝てる部分は金額的にペイしないから機械開発をしていないものだけです。
孫正義さんが言うには、コンピューターの能力が全ての面で人間の頭脳を超える、いわゆる「技術的特異点」に達するのが2045年だそうですから、まだ先と言えば先、もうすぐと言えばすぐですね。人間の頭脳の限界はIQ200くらいだそうですが、電子頭脳の方は2075年頃にはIQ10000(桁を間違えなさんな)に達すると言います。その前にコンピューター同士が電子言語で会話して自身で進化を遂げるんですって。怖いような、でも見てみたいような・・・。
神話なんか読むと、全智全能である神の叡智は、その神話が成立した時代の人間の想像力を超えない事が分かりますが、電子頭脳の方は同じく人間が創造したものであるにもかかわらず、ある発達の段階から勝手に進化するというんですから、これはもう人間の想像力の範囲を超えるんでしょうな。
今でも、たとえば売られている記録音楽は「完璧」を作れます。昔の様に、たとえば尺八なら同じ曲を何度か吹いて、良い所だけを繋ぎ合わせるのではなく、もうコンピューター処理で全てを再処理できます。つまり、CDなら私でも原理的には青木鈴慕先生の尺八を上回れると言う事です。
でも、そうでしょうか?微妙な音程の揺れや間が合い間を外す、こういうのが無い尺八演奏って、きっと面白くないですよ。野球が完全に機械判定になったら詰まらないんと違いますかな。投手は心理的な錯覚を利用して審判を騙して、ボール球をストライクと判定させたりするとプロ野球選手から聞いた事が有ります。
尺八だって、たとえば5孔尺八では通常通りでは絶対出ない音に「ツの大甲」が有ります。でも青木鈴慕とか横山勝也とかになると前後の旋律処理で全く違和感無く聴かせてしまいます。錯覚の利用には違いないんですが、こういう人間の不確かな騙されやすい能力って貴重だとは思いませんですか?
理性と衝動、冷静と感情、判断と錯覚、こういうものが互いに解きほどき難く絡み合うからこそ人間には芸術も恋愛も有るのでしょうが・・・。
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