蛙の視野
- 2017/10/02
- 18:45
展示会から6日ぶりで帰ってきました。各地で大勢の大学邦楽部の人達の訪問を受けました。いや~、今の大学生は上手ですね。尺八を持って2年もすると師範の平均レベルを大きく超えてしまいます。私の大学の頃も、3,4年生で師範の平均の技術水準に達しない人の方が稀でしたが、それでも今の学生さんが当時の大学にいたら「天才だ」と騒がれましたよ。でも考えてみると、楽器、音楽って本来こうなんですよね。
「まだ尺八を初めて5年の駆出しです」とか言う人がよくいますけど、一つの楽器を「5年」もやれば、本来なら名人ですて・・・。
5年やっても上手くならないとしたら、それは練習法か師匠か楽器が悪いのですから、そこを直さない限り10年20年やっても下手のままです。
今回の展示会に見えられた大師範の先生に「お宅の尺八を何本か購入したけど、音程とか内径とか少し自分でいじると良くなるよ」と言われました。それでどうか、腹が立ったか?ですって。別に・・・。
「どうせ素人の言う事、こっちは何万本という尺八を作ってきたプロ」、この気持ちは確かに有る。でも、それほど大きなものではありません。
誰の尺八であれ素人さんに後天的にいじられているのです。持ち込まれる修理尺八を見れば明らかです。「だからプライドが傷つかないのか?」ですって、違いますって。私はむしろ好意的に受け止めているんです。
素人で「ダルビッシュの球なんて俺から見たら大したことはねえ」とマジで言う人はいないですよね。もしいても病院にいて一般人の目にはふれませんや。でもアマチュア画家で「セザンヌは自分から見て技術が甘いね」と言う人は?「事実そうだ」とか言う意見はとりあえず置くとして、珍しいけどいます。私の先輩ですが、当時のベストセラー作家を「構成も文章も、あんまり下手なので腹が立つ」と評した人がいました。
ねえ、そうでしょ、芸術だとそうなんです。でも、たとえば歌唱や楽器演奏みたいな運動性を持った実技だと、こういう素人天狗はグッと減りますな。
尺八に話を戻しますと、たとえば本格的な楽器知識の無い人が、高価なバイオリンやピアノを自分でいじる事ってマズありませんわな。だけど尺八だと頻繁に有るのです。素晴らしい。
事は現実の競争ではないんです。文化、文化ですよ。楽しみです。素人がプロ、それも私の様な超一流の大家に向かって堂々と私見を述べる。こんな素晴らしい世界を大切にしたいと心底思います。
プロ野球や相撲を見て興奮のあまり「アイツ下手だなあ」とか言った人にむかって、「それならテメエがやってみせろ」とか言うのは本当のヤボですって。
尺八はこのところの急激な技術向上で、音楽面での追及はますます厳しくなりました。そして、情報が手に入るので、何処にいても自分の技術の相対値が分かるようになり、昔は沢山いた「井の中の蛙」が絶滅危惧種となってしまいました。
でも、尺八は他の楽器に比べて、奥も別に深くないしスケールだって大きくないけど、それでも純然たる楽器というだけでなしに「楽器もどき」としての面を併せ持つ実に立ち位置の豊なものなのです。
今度の展示会だけでも、声も出すのがやっとという88歳の老人が奥様に助けられながら来場してくださり尺八を買っていくのです。当然ですが自分では音は出ません。それでも鑑定員の鳴らす素晴らしい音に惚れて買ってくださったのです。ですから楽器とか音楽ではないんですよ、「楽しみ」なのですわ。
こういう面が有る尺八って本当に素晴らしいと思いませんか。また、蛙が見た井戸の上の天だって、それが主張できない様な世界になったら、それはそれで詰まらないと私は思うのですよ。
「まだ尺八を初めて5年の駆出しです」とか言う人がよくいますけど、一つの楽器を「5年」もやれば、本来なら名人ですて・・・。
5年やっても上手くならないとしたら、それは練習法か師匠か楽器が悪いのですから、そこを直さない限り10年20年やっても下手のままです。
今回の展示会に見えられた大師範の先生に「お宅の尺八を何本か購入したけど、音程とか内径とか少し自分でいじると良くなるよ」と言われました。それでどうか、腹が立ったか?ですって。別に・・・。
「どうせ素人の言う事、こっちは何万本という尺八を作ってきたプロ」、この気持ちは確かに有る。でも、それほど大きなものではありません。
誰の尺八であれ素人さんに後天的にいじられているのです。持ち込まれる修理尺八を見れば明らかです。「だからプライドが傷つかないのか?」ですって、違いますって。私はむしろ好意的に受け止めているんです。
素人で「ダルビッシュの球なんて俺から見たら大したことはねえ」とマジで言う人はいないですよね。もしいても病院にいて一般人の目にはふれませんや。でもアマチュア画家で「セザンヌは自分から見て技術が甘いね」と言う人は?「事実そうだ」とか言う意見はとりあえず置くとして、珍しいけどいます。私の先輩ですが、当時のベストセラー作家を「構成も文章も、あんまり下手なので腹が立つ」と評した人がいました。
ねえ、そうでしょ、芸術だとそうなんです。でも、たとえば歌唱や楽器演奏みたいな運動性を持った実技だと、こういう素人天狗はグッと減りますな。
尺八に話を戻しますと、たとえば本格的な楽器知識の無い人が、高価なバイオリンやピアノを自分でいじる事ってマズありませんわな。だけど尺八だと頻繁に有るのです。素晴らしい。
事は現実の競争ではないんです。文化、文化ですよ。楽しみです。素人がプロ、それも私の様な超一流の大家に向かって堂々と私見を述べる。こんな素晴らしい世界を大切にしたいと心底思います。
プロ野球や相撲を見て興奮のあまり「アイツ下手だなあ」とか言った人にむかって、「それならテメエがやってみせろ」とか言うのは本当のヤボですって。
尺八はこのところの急激な技術向上で、音楽面での追及はますます厳しくなりました。そして、情報が手に入るので、何処にいても自分の技術の相対値が分かるようになり、昔は沢山いた「井の中の蛙」が絶滅危惧種となってしまいました。
でも、尺八は他の楽器に比べて、奥も別に深くないしスケールだって大きくないけど、それでも純然たる楽器というだけでなしに「楽器もどき」としての面を併せ持つ実に立ち位置の豊なものなのです。
今度の展示会だけでも、声も出すのがやっとという88歳の老人が奥様に助けられながら来場してくださり尺八を買っていくのです。当然ですが自分では音は出ません。それでも鑑定員の鳴らす素晴らしい音に惚れて買ってくださったのです。ですから楽器とか音楽ではないんですよ、「楽しみ」なのですわ。
こういう面が有る尺八って本当に素晴らしいと思いませんか。また、蛙が見た井戸の上の天だって、それが主張できない様な世界になったら、それはそれで詰まらないと私は思うのですよ。
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