迷い道
- 2017/12/03
- 11:10
「でも、どうして尺八を職業に選んだんですか?」、尺八界以外の、つまり「一般の方」と話すと、よく訊かれます。「偶然ですよ、まあタマタマですわ」、いつもの私の答えです。
尺八は知ってはいても実際に手にとって口を当てたのは法政大学三曲会の部屋が初めてです。大学に在学中はプロレス団体に就職するつもりだったので、ホンの一瞬でも「尺八で生活しよう」と思ったことは有りません。
この前、京都の展示会で京都大学出身で既に就職すらしている若い人から「出来れば尺八で生活したい」という不健全な希望を聞きましたが、そのおりの私の意見を要約すれば以下の様になります。
「尺八家では余程の成功を収めたとしても、京大出の成功を収めなかった会社員の生涯収入には及ばないと思う。5年10年はともかく、持続して仕事をとるのは、これからの実力時代には難しい。京大に合格する頭脳レベルなら資格、たとえば税理士とか司法書士とか採って、その合間に尺八をやれば良い」と、マアこういうものです。
ジャア若い時にハチャメチャだったお前は何だ?とか言われてもねえ・・・。若い時の人生観と青年とは言い難い今の私とは違いまっせ。「好きな事だけやって生きていきたい」との希望は本音を言えば若い人の誰しもが持つ希望でしょう。でも私の様に中学から「自分の面白いと思った事以外はやるまい」で、何とか一生を送れたのは、運が良かった、偶然、たまたま、以外の何物でも有りませんぜ。
私の世代の若い時は、職業にも結婚にも運命とか必然を求めがちでしたが、振り返れば様々の偶然が積み重なって、タマタマ現在の境遇に落ち着いた人の方が圧倒的に多いのと違いますか。
始まりはタマタマであっても、いったん決心すれば、その選択は必然になることが多い、と言うより意思の方向をそっちに向けるんです。そういう意味で言うと、若い時にブレル人が一番いけませんな。
法政の邦楽クラブに私の5年後輩で若松という男がいましたわ。容姿はソコソコ、正確には中の上、頭は非常に良い。だけどね、迷うタイプなんです。
この男は私の父の工場で学業の傍ら週三日のバイトをしていて、私とも頻繫に飲みました。頭も良く冗談も通じる相手なので、一緒に飲んでいて楽しいのですが、酒がまわると「僕こんな事をしていて良いんでしょうか?」がいつものお決まりです。ですから、結局は大学も中退、務めた会社にも一っ所に3年と居ず、今は行方不明ですわ。いつも気にかけてはいます。
「若松どうしてる?今年中に連絡をよこさないと、テメエが満員の南海電車の中で糞を漏らしたことを公表するぞ」。この事は玉村先輩から「ここだけの話だぞ、皆には言うなよ」と厳重に口止めされている極秘事項なので、まだ法政大学三曲会のОBにも15人くらいにしか話してない。
ともあれ、ですな、この迷いとか懐疑とかは人間が生きていく上での正常な感情なのですが、いつまでも捉われていると人生をしくじる最大の要因となります。
「尺八で生活したい」という若い人からの相談は年に5~6回は受けます。私って「出たとこ勝負」の大賛成派なのです。やらなきゃ分からないから6,7割の成算の目途が付けば若い時はやるべきだと思っていますので、シゼン判断は「やれば良い」という方に傾きます。
ですから、察してよ。私が「やめた方が良い」とアドヴァンスしたら「まず見込みが無い」。「おやんなさい、やって人生を棒にふりましょう」と言ったら、「いけるんじゃないかな、サラリーマンの半分くらいの生涯収入を覚悟すれば」なんですよ。
方法の提示は何時だってしています。これって言わば「上手くいかなかった時の逃げ道の提示」です。本当に一生を棒に振らない為のアドヴァイスなの。
決めたら迷いなさんな。もし成功しなくともソコソコ生きていける。時間が経てば、それが必然になりましょう。実例を2件ばかり。
私の三曲会の2年後輩の野入。大学4年の時に突如発狂。以来今日まで43年間虚無僧一筋、これまでの43年収は推定4千万円。そう、生活というより生存が正しい表現。でも「道を間違えたとは思っていないでしょう。
私の1年後輩の高橋照誠山、河童。卒業後は住民登録の半分は猿という雪以外は何もない故郷に帰って就職。地道に働き両親の面倒を見て、子供を育て上げ、その間も尺八をやめずに演奏会にも出て、リタイアした現在は弟子に教えて演奏活動もしてという、実に堂々たる充実した人生を送っています。
ですから「尺八で生きる人生」って道は幾つも有るんですよ。迷うくらいなら始めからやりなさんな。
尺八は知ってはいても実際に手にとって口を当てたのは法政大学三曲会の部屋が初めてです。大学に在学中はプロレス団体に就職するつもりだったので、ホンの一瞬でも「尺八で生活しよう」と思ったことは有りません。
この前、京都の展示会で京都大学出身で既に就職すらしている若い人から「出来れば尺八で生活したい」という不健全な希望を聞きましたが、そのおりの私の意見を要約すれば以下の様になります。
「尺八家では余程の成功を収めたとしても、京大出の成功を収めなかった会社員の生涯収入には及ばないと思う。5年10年はともかく、持続して仕事をとるのは、これからの実力時代には難しい。京大に合格する頭脳レベルなら資格、たとえば税理士とか司法書士とか採って、その合間に尺八をやれば良い」と、マアこういうものです。
ジャア若い時にハチャメチャだったお前は何だ?とか言われてもねえ・・・。若い時の人生観と青年とは言い難い今の私とは違いまっせ。「好きな事だけやって生きていきたい」との希望は本音を言えば若い人の誰しもが持つ希望でしょう。でも私の様に中学から「自分の面白いと思った事以外はやるまい」で、何とか一生を送れたのは、運が良かった、偶然、たまたま、以外の何物でも有りませんぜ。
私の世代の若い時は、職業にも結婚にも運命とか必然を求めがちでしたが、振り返れば様々の偶然が積み重なって、タマタマ現在の境遇に落ち着いた人の方が圧倒的に多いのと違いますか。
始まりはタマタマであっても、いったん決心すれば、その選択は必然になることが多い、と言うより意思の方向をそっちに向けるんです。そういう意味で言うと、若い時にブレル人が一番いけませんな。
法政の邦楽クラブに私の5年後輩で若松という男がいましたわ。容姿はソコソコ、正確には中の上、頭は非常に良い。だけどね、迷うタイプなんです。
この男は私の父の工場で学業の傍ら週三日のバイトをしていて、私とも頻繫に飲みました。頭も良く冗談も通じる相手なので、一緒に飲んでいて楽しいのですが、酒がまわると「僕こんな事をしていて良いんでしょうか?」がいつものお決まりです。ですから、結局は大学も中退、務めた会社にも一っ所に3年と居ず、今は行方不明ですわ。いつも気にかけてはいます。
「若松どうしてる?今年中に連絡をよこさないと、テメエが満員の南海電車の中で糞を漏らしたことを公表するぞ」。この事は玉村先輩から「ここだけの話だぞ、皆には言うなよ」と厳重に口止めされている極秘事項なので、まだ法政大学三曲会のОBにも15人くらいにしか話してない。
ともあれ、ですな、この迷いとか懐疑とかは人間が生きていく上での正常な感情なのですが、いつまでも捉われていると人生をしくじる最大の要因となります。
「尺八で生活したい」という若い人からの相談は年に5~6回は受けます。私って「出たとこ勝負」の大賛成派なのです。やらなきゃ分からないから6,7割の成算の目途が付けば若い時はやるべきだと思っていますので、シゼン判断は「やれば良い」という方に傾きます。
ですから、察してよ。私が「やめた方が良い」とアドヴァンスしたら「まず見込みが無い」。「おやんなさい、やって人生を棒にふりましょう」と言ったら、「いけるんじゃないかな、サラリーマンの半分くらいの生涯収入を覚悟すれば」なんですよ。
方法の提示は何時だってしています。これって言わば「上手くいかなかった時の逃げ道の提示」です。本当に一生を棒に振らない為のアドヴァイスなの。
決めたら迷いなさんな。もし成功しなくともソコソコ生きていける。時間が経てば、それが必然になりましょう。実例を2件ばかり。
私の三曲会の2年後輩の野入。大学4年の時に突如発狂。以来今日まで43年間虚無僧一筋、これまでの43年収は推定4千万円。そう、生活というより生存が正しい表現。でも「道を間違えたとは思っていないでしょう。
私の1年後輩の高橋照誠山、河童。卒業後は住民登録の半分は猿という雪以外は何もない故郷に帰って就職。地道に働き両親の面倒を見て、子供を育て上げ、その間も尺八をやめずに演奏会にも出て、リタイアした現在は弟子に教えて演奏活動もしてという、実に堂々たる充実した人生を送っています。
ですから「尺八で生きる人生」って道は幾つも有るんですよ。迷うくらいなら始めからやりなさんな。
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