マイナーの楽しみ
- 2018/01/06
- 12:38
私って、これまで他人からはマイナージャンルだと思われている事に特別の興味を持ったようです。いろんな事にハマりましたが、その中で、「ある程度のキョウチに達したものと言えば」の話です。
20代半ばまでは何といってもプロレスですよ。なんせ中学高校と学校の勉強は全くせずに入れあげていましたからね。その頃は「世界中でオレ様ほどプロレスについて知っているモンはチョットいねえだろうな」と本気で思っていました。「プロレス新聞」の記者は概して記憶力が悪いし、ましてやプロレスラーなんかはホントに何も知りませんでした。念の為に言っておきますが、これは実際の商売とは、あまり関係の無い「オタク知識」の話ですし、その「知識」そのものも、多くは自分がバカにしていた「プロレス記者」によって捏造されたモノだったとは、その時点では気が付きませんでした。今でもまかり通っている定着したインチキ知識が沢山有ります。
ビジネスにおける実際の知識って、そういう「オタク知識」とはまた別ですものね。本当のキモの部分の知識は当時のプロレスでは表にナカナカ出ず、何かの拍子にヒョット顔を出し、ファンの99パーセントは気が付かない、そういうものでしたな。
段々と分かってきますよ。世の事業家は経済学者の言う事など本気で聞いていない。だけど無視もしていない。小説家は「文芸評論家は別のジャンルの、そういう職業」と思っている。嘘だと思ったら昔の、あくまで昔のですよ、文庫本なんか手に取って巻末の「解説」とか読んでみなせえや。ナニ、分からないって、まあ良いでしょう。大学の文学部とかで専門に「読み方修行」をしたわけではないのですもんね。
尺八だってそうですよね、評論家という人は尺八界にはいないけど、尺八についても糸方の学者さんが片手間に評論します。でも「素人さんの批評」という以外の反応ってプロ尺八家からは聞いたことが無いんですよ。
でも、そういう存在を無視したり、ましてやバカにしたりしても「その世界」の本当の所は理解できない。この辺の呼吸、一口に言えば「世の実相は真っ黒でもなければ真っ白でもない」という事でしょうが・・・。
プロレスの場合は、1960年代から70年代までは「プロレスは真剣勝負」という世の2割にも満たなかったであろう無邪気な人によって支えられていたと言って良いでしょう。「アンナモンは八百長だ、見るに値しない」という別の意味で無邪気な人は、最初から業界の方で数計算に入れていませんでした。
こういう時代にプロレスファンだったって事は得しましたよ。まず青少年ながら世の中が良く見えました。会場で熱狂しているオトナ、その反対に「八百長」と切り捨てるオトナ、双方の単純さが良く見えました。断っておきますが、「プロレスは嫌い」というのは良いんですよ、「あんな八百長を見て何が面白いんだ」とファン相手に無益な論争を挑んでくる世界観の充分に育っていない人の話をしているんですよ。そして、これは社会的な地位とか年齢、職業とあまり関係無い。
つまり「人間って皆が利口であり別の面ではバカでもあるんだ」、という当たり前の事に早い段階で行きついただけの事ですわ。ですから、「プロレスとは理性、感性、知性の3つが同時に低レベルにある人だけの趣味」と立花隆が言っても、「バカだなあ」で笑って済ませて、別の面での立花隆の業績も、それなりに(私は正直言って大して評価していませんが。勿論ウマイナアとは思いますよ)評価出来るというこってす・・・。
そしてプロレスでも尺八でも、世界が狭いからこそ、ハタチそこそこの若い者が、その世界の頂点に立っている人達に顔を覚えてもらって、親しく会話できたんです。あまり客と会話しないジャイアント馬場に「ボウヤ、もうすぐ受験だろう。こんなに頻繫にプロレスを見に来て大丈夫なの?」と声をかけられた時は、「大学受験にすべったってプロレスを見に来ていて良かった」とマジ思いましたぜ。
私の「人の好きなモノを貶すヤツは大嫌い」という人生観は、その時代に出来上がりました。それと他人の批評を全く気にしない性格もそうです。誰だって自分の良く知らない事に関しては見当はずれの事を言う。
ですから、私は人の職業の内容について根堀り葉掘り訊くでしょう。私のお客なら先刻承知の事ですよね。
20代半ばまでは何といってもプロレスですよ。なんせ中学高校と学校の勉強は全くせずに入れあげていましたからね。その頃は「世界中でオレ様ほどプロレスについて知っているモンはチョットいねえだろうな」と本気で思っていました。「プロレス新聞」の記者は概して記憶力が悪いし、ましてやプロレスラーなんかはホントに何も知りませんでした。念の為に言っておきますが、これは実際の商売とは、あまり関係の無い「オタク知識」の話ですし、その「知識」そのものも、多くは自分がバカにしていた「プロレス記者」によって捏造されたモノだったとは、その時点では気が付きませんでした。今でもまかり通っている定着したインチキ知識が沢山有ります。
ビジネスにおける実際の知識って、そういう「オタク知識」とはまた別ですものね。本当のキモの部分の知識は当時のプロレスでは表にナカナカ出ず、何かの拍子にヒョット顔を出し、ファンの99パーセントは気が付かない、そういうものでしたな。
段々と分かってきますよ。世の事業家は経済学者の言う事など本気で聞いていない。だけど無視もしていない。小説家は「文芸評論家は別のジャンルの、そういう職業」と思っている。嘘だと思ったら昔の、あくまで昔のですよ、文庫本なんか手に取って巻末の「解説」とか読んでみなせえや。ナニ、分からないって、まあ良いでしょう。大学の文学部とかで専門に「読み方修行」をしたわけではないのですもんね。
尺八だってそうですよね、評論家という人は尺八界にはいないけど、尺八についても糸方の学者さんが片手間に評論します。でも「素人さんの批評」という以外の反応ってプロ尺八家からは聞いたことが無いんですよ。
でも、そういう存在を無視したり、ましてやバカにしたりしても「その世界」の本当の所は理解できない。この辺の呼吸、一口に言えば「世の実相は真っ黒でもなければ真っ白でもない」という事でしょうが・・・。
プロレスの場合は、1960年代から70年代までは「プロレスは真剣勝負」という世の2割にも満たなかったであろう無邪気な人によって支えられていたと言って良いでしょう。「アンナモンは八百長だ、見るに値しない」という別の意味で無邪気な人は、最初から業界の方で数計算に入れていませんでした。
こういう時代にプロレスファンだったって事は得しましたよ。まず青少年ながら世の中が良く見えました。会場で熱狂しているオトナ、その反対に「八百長」と切り捨てるオトナ、双方の単純さが良く見えました。断っておきますが、「プロレスは嫌い」というのは良いんですよ、「あんな八百長を見て何が面白いんだ」とファン相手に無益な論争を挑んでくる世界観の充分に育っていない人の話をしているんですよ。そして、これは社会的な地位とか年齢、職業とあまり関係無い。
つまり「人間って皆が利口であり別の面ではバカでもあるんだ」、という当たり前の事に早い段階で行きついただけの事ですわ。ですから、「プロレスとは理性、感性、知性の3つが同時に低レベルにある人だけの趣味」と立花隆が言っても、「バカだなあ」で笑って済ませて、別の面での立花隆の業績も、それなりに(私は正直言って大して評価していませんが。勿論ウマイナアとは思いますよ)評価出来るというこってす・・・。
そしてプロレスでも尺八でも、世界が狭いからこそ、ハタチそこそこの若い者が、その世界の頂点に立っている人達に顔を覚えてもらって、親しく会話できたんです。あまり客と会話しないジャイアント馬場に「ボウヤ、もうすぐ受験だろう。こんなに頻繫にプロレスを見に来て大丈夫なの?」と声をかけられた時は、「大学受験にすべったってプロレスを見に来ていて良かった」とマジ思いましたぜ。
私の「人の好きなモノを貶すヤツは大嫌い」という人生観は、その時代に出来上がりました。それと他人の批評を全く気にしない性格もそうです。誰だって自分の良く知らない事に関しては見当はずれの事を言う。
ですから、私は人の職業の内容について根堀り葉掘り訊くでしょう。私のお客なら先刻承知の事ですよね。
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