理屈だって大切だ
- 2018/01/12
- 20:34
昔の尺八家は、音楽理論などと言うと、あまり良い顔をしなかったものです。青木鈴慕先生も「理屈の上手いヤツは必ず下手だ」と言っていた初代の言を引き合いに出して、理屈というか音楽理論というか、要するに、そういう類いの話を嫌っていました。山口五郎や山本邦山、北原篁山といったクラシックやジャズに若い頃にノメリコンダ大家達でも、お弟子さん達に訊くと、理論みたいなことは、必要以上には言わなかったらしいのです。
まして三絃・箏の名人達にいたっては、「新邦楽」系の例外的な人達を除いて、理論、それも洋楽的な音楽理論には全く無知だったと思います。
私の大学クラブを長く指導してくださった藤田都志先生も音楽理論は知ってはいたと思います、けれど理論的な指導は受けた覚えが有りません。小野衛先生の内弟子として小野家に住んでいた若いころには、音源から五線譜に採ったり、五線譜を箏譜に直したりを仕事にしていた人ですから、その気になれば言えたはずです。
私達、大学の邦楽部ですが、若者の集まりですから、いくらなんでも当時の流や社中にいた人よりは音楽全般について知っていたでしょう。法政大学三曲会ではクラシックファンもいましたしジャズ、ロックの愛好家もいました。でも私がかかわった十数年間に音楽理論に造旨の深い人間は一人もいませんでした。ややマシな者でも、せいぜい高校の吹奏楽部のリーダーが務まるかどうかというレベルだったと思います。
幸いクラブの指導をしてくださった坂田誠山先生は日本音楽集団の正会員だけあって、理論も非常に良く知っていて、その上に音楽に関しては価値観のバランスもとれていた先生でしたので、訊いた事には的確に答えてくれましたが、いかんせん訊いた私達が当時は理解力が未熟でしたので、十分には理解できなかったですね。
音楽理論、それも洋楽の精密きわまる理論が邦楽を対象にした場合でも、同じように精緻な解析が可能であるかはヒトマズ置いといて、「物事の原理を科学的に追い求める」というヨーロッパ人達の思考法が音楽理論にも反映されています。
人間の内臓配置をヨーロッパ人と同程度には知っていたはずの中国人も、医学となると「こうあるべき」という伝統的基準が優先して、その結果は甚だしい立ち遅れを招きました。日本人と違って人体解剖が日常ではあっても、正しく捉えずに、それには目を瞑りました。20世紀になっても漢方では「五臓六腑」で、実際に見たものが、当たり前ですが、違っていても「何かの間違い」で処理していました。
物事の原理探求の欠如は物理、化学、自然科学一般がそうです。
でも、芸術とか文化とかになりますと、これは「独自の価値観にもとずいた自己完結」の段階に入ったものは、相互に価値基準が違うのですから、そこでは異なる尺度の適用は、あまり意味を持たないのです。古典本曲とか地歌とかですね。
だからこそ嘗ての大家達は理論は言わなかったのだと思います。あるいは本当に知らなかった先生方も多かったとは思いますが、それでも古典邦楽の領域に止まる限りは大過は無かったと思います。
でも今日では、尺八吹奏のコーチにも金を払う以上は人は説明を求めます。そういう時代になりました。もう「黙って吹け」では通用しないのですよ。外国人が増えた事も有りますが、最近では日本の若い人達だって、やってみせて、その上に説明できなければ納得しません。
言葉で原理を説明する時代を潜り抜けられないと邦楽も未来構築は出来ないと思います。「人気ロックバンドの兄ちゃん達だって理論なんかねえぞ」とか言うのは筋違い。実演あるいは鑑賞でガチンコ勝負している人達と一緒にするのはオコガマシイと思いますし、それにダイイチ人気が有る世界って、演奏家だけで成立しているわけではなくて、広汎な分野に専門家がいます。
邦楽、それも古い時代に遡るほどに、西洋音楽の理論では説明できない事が多くなります。でも一致する点も多いのです。ですから、邦楽家ももう少し謙虚に学び、日本人より古典邦楽に興味を持つ人が比率的に多い外国人邦楽愛好家に、その辺りを説明できる事が、これからの邦楽プロに求められるのではないかと思います。
まして三絃・箏の名人達にいたっては、「新邦楽」系の例外的な人達を除いて、理論、それも洋楽的な音楽理論には全く無知だったと思います。
私の大学クラブを長く指導してくださった藤田都志先生も音楽理論は知ってはいたと思います、けれど理論的な指導は受けた覚えが有りません。小野衛先生の内弟子として小野家に住んでいた若いころには、音源から五線譜に採ったり、五線譜を箏譜に直したりを仕事にしていた人ですから、その気になれば言えたはずです。
私達、大学の邦楽部ですが、若者の集まりですから、いくらなんでも当時の流や社中にいた人よりは音楽全般について知っていたでしょう。法政大学三曲会ではクラシックファンもいましたしジャズ、ロックの愛好家もいました。でも私がかかわった十数年間に音楽理論に造旨の深い人間は一人もいませんでした。ややマシな者でも、せいぜい高校の吹奏楽部のリーダーが務まるかどうかというレベルだったと思います。
幸いクラブの指導をしてくださった坂田誠山先生は日本音楽集団の正会員だけあって、理論も非常に良く知っていて、その上に音楽に関しては価値観のバランスもとれていた先生でしたので、訊いた事には的確に答えてくれましたが、いかんせん訊いた私達が当時は理解力が未熟でしたので、十分には理解できなかったですね。
音楽理論、それも洋楽の精密きわまる理論が邦楽を対象にした場合でも、同じように精緻な解析が可能であるかはヒトマズ置いといて、「物事の原理を科学的に追い求める」というヨーロッパ人達の思考法が音楽理論にも反映されています。
人間の内臓配置をヨーロッパ人と同程度には知っていたはずの中国人も、医学となると「こうあるべき」という伝統的基準が優先して、その結果は甚だしい立ち遅れを招きました。日本人と違って人体解剖が日常ではあっても、正しく捉えずに、それには目を瞑りました。20世紀になっても漢方では「五臓六腑」で、実際に見たものが、当たり前ですが、違っていても「何かの間違い」で処理していました。
物事の原理探求の欠如は物理、化学、自然科学一般がそうです。
でも、芸術とか文化とかになりますと、これは「独自の価値観にもとずいた自己完結」の段階に入ったものは、相互に価値基準が違うのですから、そこでは異なる尺度の適用は、あまり意味を持たないのです。古典本曲とか地歌とかですね。
だからこそ嘗ての大家達は理論は言わなかったのだと思います。あるいは本当に知らなかった先生方も多かったとは思いますが、それでも古典邦楽の領域に止まる限りは大過は無かったと思います。
でも今日では、尺八吹奏のコーチにも金を払う以上は人は説明を求めます。そういう時代になりました。もう「黙って吹け」では通用しないのですよ。外国人が増えた事も有りますが、最近では日本の若い人達だって、やってみせて、その上に説明できなければ納得しません。
言葉で原理を説明する時代を潜り抜けられないと邦楽も未来構築は出来ないと思います。「人気ロックバンドの兄ちゃん達だって理論なんかねえぞ」とか言うのは筋違い。実演あるいは鑑賞でガチンコ勝負している人達と一緒にするのはオコガマシイと思いますし、それにダイイチ人気が有る世界って、演奏家だけで成立しているわけではなくて、広汎な分野に専門家がいます。
邦楽、それも古い時代に遡るほどに、西洋音楽の理論では説明できない事が多くなります。でも一致する点も多いのです。ですから、邦楽家ももう少し謙虚に学び、日本人より古典邦楽に興味を持つ人が比率的に多い外国人邦楽愛好家に、その辺りを説明できる事が、これからの邦楽プロに求められるのではないかと思います。
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