寿司店の進化に見る。
- 2018/01/18
- 19:01
今はどこの街にも有る回転寿司ですが、私が初めて見たのは1973年、新宿駅西口の元禄寿司です。その前年から母校・法政大学の学生食堂でも握り寿司と鉄火巻きなんかを出していまして、ようやく寿司も大衆化の時代を迎えていました。その前は寿司ってメッタに食べられる物では無かったのです。
法政大学三曲会の私の代の男子は食い意地のはった者が揃いまして、金も無いのに食い歩きをしていまして、当時の、あくまで当時の、ですが、東京の食べ物屋は値段と味が比例していないという事に熟達していました。再開発前ですから、自前の店が多く家賃支出が無い事、地域のヒイキを相手にしている等、いろいろの要因が有って、ビックリするくらい安くて美味しい店が探せばいくらでも有ったものです。
金が無いってったって、学生時代に食い歩きしないで味覚が鍛えられるものですか・・・。
そういう時代に敷居の高かったのが寿司屋です。それでも馴染みの寿司屋が数件出来て、月に一度くらいは行けました。でも、バイト代が入ったとかで財布が相当重い時ですよ。
今思い返しても不思議です。よくまあアンナ商売が有ったものです。当時の寿司屋って、ツケ台で食べると勘定になるまで幾らか分からなかったんですぜ。おおむね今60以上の人なら知ってますわな。
それに、それはむしろ小さな問題です。より理解を超えたのが味と値段に何の比例関係も無い事です。「こんなの俺でも握れる」と思わせる技術未熟の店が、恥ずかしげも無く高い料金を取ったりしていました。生意気な職人がいる店も多かったですね。
そういうのが淘汰されてマトモな世界になった要因の一番は回転寿司ではないですかね。「何で勘定するまで値段がわからないんですか?」、「仕入れ値が日によって違うんでさあ」。そうかよ、でもね、どんな事にも理屈はつきますわ、イザとなればチャンとやれるじゃねえかよ。
競争力に欠ける寿司屋を次々に潰してきた回転寿司も、今は町中の小さな回転寿司が生き残るのは難しい時代になりました。大型化して大量仕入れが出来るからこそ安く仕入れられる、また大量消費が有ればこそ常に新鮮なネタを提供できる、淘汰がおきる前は「値段が値段だからな仕方ねえべ」ですんだ事が、今は厳しい競争の原理で「この値段で、よくここまで」でなくては生き残れない段階に入っています。
「おまかせ」で一人2~3万円という超有名に私は行った事が有りません。でも銀座なんかの、その半分価格程度の寿司屋には接待で何回か御馳走された経験が有ります。それでどうだったかと言えば、そりゃ美味いに違いない。でも味だけで言えば、そのまた半分価格で同じ程度の店を列挙できる。つまりその程度だと思いました。
尺八って寿司屋に例えたら、現在はどの段階なのでしょう?いくらなんでも、昭和55年ころまでの「技術未熟のくせに値段が高いという寿司店が大手を振ってまかり通っていた時代」ではないですね。かつてブロック経済の琴古やバブルの起こった民謡尺八に顕著に見られた、本当は素人細工のガラクタ尺八なのに、先生が情報を遮断して、弟子を洗脳して高額で買わせるという時代は明確に終わっています。骨董や美術品みたいな「高額粗悪品」は尺八界では、もう無いですね。インターネットで情報が豊富になったお陰です。最近になって出現してきた外国市場向けの悪質な「古管贋作」については、また別の機会に話ましょう。
では大衆価格品が何処でも手に入るか?そういう時代の到来はもう少し先です。まして、回転寿司のように、その中で激しい競争による淘汰が尺八安売り店同士で起こるのは私が生きている間には無理でしょう。
法政大学三曲会の私の代の男子は食い意地のはった者が揃いまして、金も無いのに食い歩きをしていまして、当時の、あくまで当時の、ですが、東京の食べ物屋は値段と味が比例していないという事に熟達していました。再開発前ですから、自前の店が多く家賃支出が無い事、地域のヒイキを相手にしている等、いろいろの要因が有って、ビックリするくらい安くて美味しい店が探せばいくらでも有ったものです。
金が無いってったって、学生時代に食い歩きしないで味覚が鍛えられるものですか・・・。
そういう時代に敷居の高かったのが寿司屋です。それでも馴染みの寿司屋が数件出来て、月に一度くらいは行けました。でも、バイト代が入ったとかで財布が相当重い時ですよ。
今思い返しても不思議です。よくまあアンナ商売が有ったものです。当時の寿司屋って、ツケ台で食べると勘定になるまで幾らか分からなかったんですぜ。おおむね今60以上の人なら知ってますわな。
それに、それはむしろ小さな問題です。より理解を超えたのが味と値段に何の比例関係も無い事です。「こんなの俺でも握れる」と思わせる技術未熟の店が、恥ずかしげも無く高い料金を取ったりしていました。生意気な職人がいる店も多かったですね。
そういうのが淘汰されてマトモな世界になった要因の一番は回転寿司ではないですかね。「何で勘定するまで値段がわからないんですか?」、「仕入れ値が日によって違うんでさあ」。そうかよ、でもね、どんな事にも理屈はつきますわ、イザとなればチャンとやれるじゃねえかよ。
競争力に欠ける寿司屋を次々に潰してきた回転寿司も、今は町中の小さな回転寿司が生き残るのは難しい時代になりました。大型化して大量仕入れが出来るからこそ安く仕入れられる、また大量消費が有ればこそ常に新鮮なネタを提供できる、淘汰がおきる前は「値段が値段だからな仕方ねえべ」ですんだ事が、今は厳しい競争の原理で「この値段で、よくここまで」でなくては生き残れない段階に入っています。
「おまかせ」で一人2~3万円という超有名に私は行った事が有りません。でも銀座なんかの、その半分価格程度の寿司屋には接待で何回か御馳走された経験が有ります。それでどうだったかと言えば、そりゃ美味いに違いない。でも味だけで言えば、そのまた半分価格で同じ程度の店を列挙できる。つまりその程度だと思いました。
尺八って寿司屋に例えたら、現在はどの段階なのでしょう?いくらなんでも、昭和55年ころまでの「技術未熟のくせに値段が高いという寿司店が大手を振ってまかり通っていた時代」ではないですね。かつてブロック経済の琴古やバブルの起こった民謡尺八に顕著に見られた、本当は素人細工のガラクタ尺八なのに、先生が情報を遮断して、弟子を洗脳して高額で買わせるという時代は明確に終わっています。骨董や美術品みたいな「高額粗悪品」は尺八界では、もう無いですね。インターネットで情報が豊富になったお陰です。最近になって出現してきた外国市場向けの悪質な「古管贋作」については、また別の機会に話ましょう。
では大衆価格品が何処でも手に入るか?そういう時代の到来はもう少し先です。まして、回転寿司のように、その中で激しい競争による淘汰が尺八安売り店同士で起こるのは私が生きている間には無理でしょう。
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