早く「歌口はどっちでも良い」とならないかなあ。尺八の歌口には大別して都山流タイプと琴古流タイプとが有ります。大雑把に言って琴古を除く総ての流派が都山もしくは、その派生形を使っているわけです。琴古は都山の4割ですし、その他の流派、たとえば上田とか竹保とかも都山タイプですから、現状は圧倒的に都山タイプです。
歌口に何も入れない時代も長かったのですが、そのうちに入れるようになりました。もともと多かったのは硬い細竹を二つ割にした物を入れていました。ですから必然的に都山タイプになるのです。二つ割を三割にしたり、割ったものを逆さにして使えば、また別の派生形になりました。
でも、そこらに有る硬い物を手当たり次第に入れていたというのも事実ですから、古い歌口には琴古タイプを含めて様々な形が存在します。つまり、どうでも良いというのが本当の所なんです。
流というのは言ってみたら会社みたいなもので、どんな理由付けをしたところで、本質は「喰うための便宜」に他なりませんから当然の事、統一性が必要になってくるわけです。人の帰属意識による結集が大切ですからね。
そう、歌口の型の固定は流の都合なのです。琴古タイプが固定された型となったのは大正期ですよ。島原帆山先生によれば「三世古童以来」だそうです。ですからね、オタクの方が「江戸期にも琴古型は有るぞ」とか言うのは当たり前なのです。
都山タイプと琴古タイプの違いを言う人もおりますね、たとえば「琴古は深い」とか。どれも総サンプル数が少ないが故の誤解です。同一製作者の尺八であれば歌口の流派の違いは見た目のみ。そして今日、琴古型歌口を持つ尺八の圧倒的多数は都山系製作者によって作られた物です。つまり歌口の違いとは、自動車を買う場合の色の違いでしかありません。
所詮は趣味性の問題でしかないのですから、こういう所にコダワリを持ったって良いですが、自分が気に入った尺八を歌口の流タイプの違いで諦めるなんて勿体ないですがね。
現在は流や社中というものが音をたてて崩壊している途中経過の段階なのです。流や社中は所属している人間こそが財産なのです。ところが今みたいに人が「所属している組織こそ大事とは思わない時代」になり、流や社中も統率力を喪失した段階を迎えると流や社中は単なる親睦団体になります。
そうなってみると都山流尺八楽会、言わずと知れた尺八界で最大の団体ですが、それだって所属員の力の集積を失えば、たとえ何千人の会員が所属していようとも、年商といい予算規模といい、どこの街にも有るチョット大きな居酒屋程度、言ってみたら零細企業でしかありません。そういう実体が残るわけです。
もう歌口の呪縛から離れて良い時期だと思うんですが・・・。
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