師弟関係
- 2018/03/09
- 12:08
将棋の師弟対決が話題になっています。あまり指導というものが意味を持たなそうな将棋界でも、業界慣例として師弟関係を結ぶ必要が有るそうです。師匠は弟子に技術指導をするのではなく、シキタリや礼儀を教えるそうです。はじめて知り、ハタと膝を打つことがございました。なるほど邦楽もそうですわ。
「プロの尺八家になりたい」と前は頻繁に相談を受けました。今は、さほどではないのは、インターネットの普及で邦楽界も事情が外部の人にも知られてきたからでしょう。
プロ尺八家を目指す若い人に、成るための優先順位を挙げると、まずこうなるでしょう。
① 東京に行って、ともかく有名なプロに弟子入りする。入門するのに門の前で立ち尽くさなくても大丈夫です。ただ、藤原道山だけは無理かも知れません。
② 芸大を受ける。前のNHK邦楽技能者育成会でもそうですが、有名プロの弟子になっていないと入りにくい。「ガチの実力」とか言ったってね・・・。道山だったら忖度無しのガチでも入れたでしょうが。
それで、もし芸大受験に2回失敗したら、当人が私の親類なら諦めさせますね。芸大と言っても、これは尺八科の場合ですよ、「日本伝統文化学科」以外は、「東大に入るより難しい」と言われているそうですがね・・・。芸大に顔の効く有名プロに師事して、それでも2回落ちたら考え物ですぜ。もっとも、その前に師匠が何か言ってくれますがね。「周りの技量が見えねえのか」とか。
ともかく近道はセオリー通りだという事ですわ。
尺八業周辺で師匠無しでやれると言ったら製管くらいなものでしょうが。製管の場合は師匠につく事はプラス面とマイナス面が有ります。今のマアマア売れている(マアマアに別段深い意味は有りません。私ほどでは無いという程度の意味です)製管師でいうと、三塚泉州、木村筦山、岡寺竹勇なんかは独学です。だから「伝統技術」の呪縛を良くも悪くも受けていません。
製管においては、師匠の出来る事って知れています。初期の製作技術、工具の用途、他に何か有りますかいね。もっとも重要なのが実践製作の場と時間の提供です。プロの演奏家と違って、製管には先天的な素質って重要ではない、もしくは関係無い。ですから、正確なノウハウが分かれば後は本人の経験と自覚と努力です。その為にも、とにかく毎日作る場を与えられるって重要です。それで生活費も貰えるのですから。考えてみたら、こりゃ天国だよ。辞めねえ分けだ。
ですからマア、私程度の者でも8人ものプロ(生活可能な)の弟子を持てたのです。
今いる私の弟子のうち、私がイチから教えたのは、雪童(遼山)、蛍山、銀鈴、嵐翠の4人です。風道(欧秀)、拙外の二人は、私の所に来る以前に、かなり出来ていました。私が指導したのは、正しい工程と道具や材料の購入方法くらいです。龍水は便宜上の弟子で、むしろ彼が先生です。龍山は初期の技術指導をしただけで、すぐに増田州鳳さんに預けました。増田さんの死後の言わば「帰り新参」です。そして、チカジカ、若い弟子がもう一人デビューします。
私の所の特徴は、製管師がそれぞれ自分の銘を持っている事です。他の工房では類を見ないでしょう。「それぞれが名前を挙げて何時でも独立出来るように」との人格者の私らしい高邁な配慮です。ですから、「邦星堂?聞いた事ないなあ」と今でもモグリから言われる事が有りますよ。
師匠って、おうおうにして弟子を「安い金額で使える徒弟」と考えがちです。「競争相手になるから、技術を身につけて独立されるのはイヤだ」、そう考えるのは「縮み思考」。それじゃ尺八界は縮むばかりですぜ。かつての玉井竹仙は違っていましたね。だから上手い人が続出して、製管業界は発展しました。
師匠と弟子って、とどのつまりは競争相手。ですから、将棋界の様に「積極的にライバルを作る」という様な気持ちでいた方が良いと思うのですがね。
後10年たったら見てろよ、中国に私の弟子の現地製管師を最低10人はデビューさせるからね。
「プロの尺八家になりたい」と前は頻繁に相談を受けました。今は、さほどではないのは、インターネットの普及で邦楽界も事情が外部の人にも知られてきたからでしょう。
プロ尺八家を目指す若い人に、成るための優先順位を挙げると、まずこうなるでしょう。
① 東京に行って、ともかく有名なプロに弟子入りする。入門するのに門の前で立ち尽くさなくても大丈夫です。ただ、藤原道山だけは無理かも知れません。
② 芸大を受ける。前のNHK邦楽技能者育成会でもそうですが、有名プロの弟子になっていないと入りにくい。「ガチの実力」とか言ったってね・・・。道山だったら忖度無しのガチでも入れたでしょうが。
それで、もし芸大受験に2回失敗したら、当人が私の親類なら諦めさせますね。芸大と言っても、これは尺八科の場合ですよ、「日本伝統文化学科」以外は、「東大に入るより難しい」と言われているそうですがね・・・。芸大に顔の効く有名プロに師事して、それでも2回落ちたら考え物ですぜ。もっとも、その前に師匠が何か言ってくれますがね。「周りの技量が見えねえのか」とか。
ともかく近道はセオリー通りだという事ですわ。
尺八業周辺で師匠無しでやれると言ったら製管くらいなものでしょうが。製管の場合は師匠につく事はプラス面とマイナス面が有ります。今のマアマア売れている(マアマアに別段深い意味は有りません。私ほどでは無いという程度の意味です)製管師でいうと、三塚泉州、木村筦山、岡寺竹勇なんかは独学です。だから「伝統技術」の呪縛を良くも悪くも受けていません。
製管においては、師匠の出来る事って知れています。初期の製作技術、工具の用途、他に何か有りますかいね。もっとも重要なのが実践製作の場と時間の提供です。プロの演奏家と違って、製管には先天的な素質って重要ではない、もしくは関係無い。ですから、正確なノウハウが分かれば後は本人の経験と自覚と努力です。その為にも、とにかく毎日作る場を与えられるって重要です。それで生活費も貰えるのですから。考えてみたら、こりゃ天国だよ。辞めねえ分けだ。
ですからマア、私程度の者でも8人ものプロ(生活可能な)の弟子を持てたのです。
今いる私の弟子のうち、私がイチから教えたのは、雪童(遼山)、蛍山、銀鈴、嵐翠の4人です。風道(欧秀)、拙外の二人は、私の所に来る以前に、かなり出来ていました。私が指導したのは、正しい工程と道具や材料の購入方法くらいです。龍水は便宜上の弟子で、むしろ彼が先生です。龍山は初期の技術指導をしただけで、すぐに増田州鳳さんに預けました。増田さんの死後の言わば「帰り新参」です。そして、チカジカ、若い弟子がもう一人デビューします。
私の所の特徴は、製管師がそれぞれ自分の銘を持っている事です。他の工房では類を見ないでしょう。「それぞれが名前を挙げて何時でも独立出来るように」との人格者の私らしい高邁な配慮です。ですから、「邦星堂?聞いた事ないなあ」と今でもモグリから言われる事が有りますよ。
師匠って、おうおうにして弟子を「安い金額で使える徒弟」と考えがちです。「競争相手になるから、技術を身につけて独立されるのはイヤだ」、そう考えるのは「縮み思考」。それじゃ尺八界は縮むばかりですぜ。かつての玉井竹仙は違っていましたね。だから上手い人が続出して、製管業界は発展しました。
師匠と弟子って、とどのつまりは競争相手。ですから、将棋界の様に「積極的にライバルを作る」という様な気持ちでいた方が良いと思うのですがね。
後10年たったら見てろよ、中国に私の弟子の現地製管師を最低10人はデビューさせるからね。
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