失われた音
- 2018/03/18
- 22:40
ドイツで展示会をやったおりだったと思います。古屋輝夫さんにウチの尺八全般に対する感想を求めました。その時の言をまとめると、こういう具合になります。
性能の優劣に関しては好みや相性の問題も有り一概には言えない。使えるかどうか、そういう点で言えば使える。海童道曲を演奏する場合に出てくれないと困る音が有り、この並べられている尺八は求めている音は全部出ている。
言うて置きますが、馴れ合いとチャイまっせ。私の所の鑑定員をやった人なら全員が知ってますが、私の仕事をしたからと言って、現場での批評は自由な感想、また以後の取引を求められる事も一切有りません。私くらい注文が多ければ、その必要も無いし、また、それでなくては今の業界最強商品をセレクトし続けられないと思うからです。
私の所の尺八を「鳴らない」と言う人もいます。最近も購入された方に「あれじゃ使い物にならない」と言われました。気にするかって?まさか。キャリア5年未満のポッと出ならトモカク、もう40年近い歳月をやっているんでっせ。当然のこと思い上がって天狗になってますわ。
ですから「鳴らない」と言われて、まず思う事。よっぽど下手か、または上手すぎるか? 下手な場合がマア9割でしょう。歌口のタイプ別の吹き分けが出来ないので、まるで尺八が反応しないのです。良く言えば「相性が合わない」。上手な場合は「期待していた水準にとどいていない」。
いずれにしろ相手の感想は「相手にとっては絶対」ですから反論する事なんてありません。ダイイチ沢山のプロの人が「自分の弟子用に」と購入してくださっている現実が何十年も続いている以上、たまに「使い物にならない」と言われたところで特別の感想なんて持ちませんわ。
それと全く別に「失われた音」の問題が存在します。30年前の尺八界は「何とか流師範大師範」と言ったところで7割方が「下手すぎ」の段階でした。ですから、まず尺八は形が綺麗に出来ていれば売れました。プロ製管師である以上は鳴りは程度の差こそ有れ、「全然鳴らない」なんてことは考えずらいですからね。
今は尺八も吹き手も水準自体が比べようも無いくらいに向上していますが、そうなると「出ない音」の問題が一層鮮明になりました。
前に都山流の宗家、理事長の次くらいの位置にいる人から5本買っていただいた上で言われました。「貴方のところの尺八は安くて良いんだけどもチのイチウチが出ない。出ないと都山流本曲には使えないですよ」。
チのイチウチやカラカラは「音量の出る」尺八とは相互矛盾の関係に有ります。でも「必要な手である以上は出なければならない」。ですから、都山流系の優れた製管師達は音量と特定の音とが共存できるギリギリのラインを詰めているのです。でも、たとえば泉州工房のオリジナルの様に、そういう音を切り捨てても鳴りに重点を持ってきている尺八も有ります。
琴古でも昔の3孔5孔が高く1孔が低い「音痴楽器」でこそ出やすい音が存在します。35のハ、2,3開けのサ、3開けのイなんかです。今日では替え手で演奏する事が普通ですが、「音痴尺八」を見事にコントロールして破綻なく演奏し、これらの音を使いこなしていた名人もいました。納富寿童、山口五郎といった人達です。でも、彼らと言えども、古典以外ではコントロールが効かなかったかも知れません。
今日では、この先10年20年の尺八ソフトの趨勢は、ほぼ明らかになりました。古典本曲と現代曲に大別され、地歌筝曲、新曲、現代邦楽等は、その間に埋没していくと思います。そして、これ以外に「少数派使用」として、およそ考えられる限りのソフトが出てきます。
ですから、すでに「失われた音」が出ているように、これからはソフトに合わせて尺八も選択される時代になると思います。つまり様々なバリエーションが出て、吹き手が自分の求めているタイプを選択するのです。当然、得られたものの代わりに失うモノも有り、それが個人レベルでの基準で選択する様になるのです。
性能の優劣に関しては好みや相性の問題も有り一概には言えない。使えるかどうか、そういう点で言えば使える。海童道曲を演奏する場合に出てくれないと困る音が有り、この並べられている尺八は求めている音は全部出ている。
言うて置きますが、馴れ合いとチャイまっせ。私の所の鑑定員をやった人なら全員が知ってますが、私の仕事をしたからと言って、現場での批評は自由な感想、また以後の取引を求められる事も一切有りません。私くらい注文が多ければ、その必要も無いし、また、それでなくては今の業界最強商品をセレクトし続けられないと思うからです。
私の所の尺八を「鳴らない」と言う人もいます。最近も購入された方に「あれじゃ使い物にならない」と言われました。気にするかって?まさか。キャリア5年未満のポッと出ならトモカク、もう40年近い歳月をやっているんでっせ。当然のこと思い上がって天狗になってますわ。
ですから「鳴らない」と言われて、まず思う事。よっぽど下手か、または上手すぎるか? 下手な場合がマア9割でしょう。歌口のタイプ別の吹き分けが出来ないので、まるで尺八が反応しないのです。良く言えば「相性が合わない」。上手な場合は「期待していた水準にとどいていない」。
いずれにしろ相手の感想は「相手にとっては絶対」ですから反論する事なんてありません。ダイイチ沢山のプロの人が「自分の弟子用に」と購入してくださっている現実が何十年も続いている以上、たまに「使い物にならない」と言われたところで特別の感想なんて持ちませんわ。
それと全く別に「失われた音」の問題が存在します。30年前の尺八界は「何とか流師範大師範」と言ったところで7割方が「下手すぎ」の段階でした。ですから、まず尺八は形が綺麗に出来ていれば売れました。プロ製管師である以上は鳴りは程度の差こそ有れ、「全然鳴らない」なんてことは考えずらいですからね。
今は尺八も吹き手も水準自体が比べようも無いくらいに向上していますが、そうなると「出ない音」の問題が一層鮮明になりました。
前に都山流の宗家、理事長の次くらいの位置にいる人から5本買っていただいた上で言われました。「貴方のところの尺八は安くて良いんだけどもチのイチウチが出ない。出ないと都山流本曲には使えないですよ」。
チのイチウチやカラカラは「音量の出る」尺八とは相互矛盾の関係に有ります。でも「必要な手である以上は出なければならない」。ですから、都山流系の優れた製管師達は音量と特定の音とが共存できるギリギリのラインを詰めているのです。でも、たとえば泉州工房のオリジナルの様に、そういう音を切り捨てても鳴りに重点を持ってきている尺八も有ります。
琴古でも昔の3孔5孔が高く1孔が低い「音痴楽器」でこそ出やすい音が存在します。35のハ、2,3開けのサ、3開けのイなんかです。今日では替え手で演奏する事が普通ですが、「音痴尺八」を見事にコントロールして破綻なく演奏し、これらの音を使いこなしていた名人もいました。納富寿童、山口五郎といった人達です。でも、彼らと言えども、古典以外ではコントロールが効かなかったかも知れません。
今日では、この先10年20年の尺八ソフトの趨勢は、ほぼ明らかになりました。古典本曲と現代曲に大別され、地歌筝曲、新曲、現代邦楽等は、その間に埋没していくと思います。そして、これ以外に「少数派使用」として、およそ考えられる限りのソフトが出てきます。
ですから、すでに「失われた音」が出ているように、これからはソフトに合わせて尺八も選択される時代になると思います。つまり様々なバリエーションが出て、吹き手が自分の求めているタイプを選択するのです。当然、得られたものの代わりに失うモノも有り、それが個人レベルでの基準で選択する様になるのです。
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