商標登録②
- 2018/03/31
- 16:46
善村鹿山という製管師がいます。竹仙工房で6年修行しただけあって、製管の実力は一流。また尺八の吹奏力でも日本屈指という人です。この人の銘「鹿山」は同時代の人でもう一人、尺八製作の銘に使用していた人います。豊浦鹿山です。この人はかなりレベルの低い尺八を作っている方なので、善村さんが気の毒で注意した事が有ります。答えは「善村さんより私の方が鹿山の山号をとったのが早い」でした。
つまり変える気はないという事です。だからと言って目立った支障は起きていませんでした。
竹仙、岳童、雪峰、虎月、恒童、秋月、月童、これらの銘が押された尺八は相互に関係を持たない複数の製管師によって製作されました。それでどうして支障が無かったのか?
それは尺八の市場が極端に小さいからですよ。そして尺八が道具だからです。たまたま知らないで銘が重なってしまった、そういうケースがほとんどで、中には竹仙の様に、「死んでから4半世紀以上経っているから」。そういう場合が有るものの、「売れてる製管師の名をかたって」というのは絶無です。何故ならば、そんな事をやる必要が無い。
骨董品や美術品では、作者名が間違って伝わったという事も有りますが、それより多いのが意図して製作された所謂贋作というヤツでしょう。この中には本物を上回る力量を示す物さえ有ると聞きます。ともかく今日「ホンモノ」として通用している美術品の中に多量の「ニセモノ」が紛れ込んでいる。そして、その逆も有る、広く知られている事です。
実力が有っても認められない鬱憤とか売れる「仕組み」に対しての嘲笑とかの「暗い情熱」が製作者の根底に有る場合、それが金儲け目的のプロヂューサーと結びつくと「贋作中の名品」が生まれますし、ただ単純に「目暗千人」を騙して大金を手っ取り早く稼ぐ手段に選ばれる事も多いのでしょう。
この贋作製作は日本では平安時代からで奈良朝には遡らないと言われます。これはこれで興味深い社会発展のテーマですが、それはまた・・・。
では、はたして尺八に贋作は有るのか?これまで志村哲先生と「ね色」の石田さんに訊いた事があります。お二人の答えは、「はっきりと意図して作られた贋作は、これまで見たことは無い」と言うものでした。尺八みたいにニーズが少ない物に贋作は無い。売るのも大変だし、ダイイチ大して金にはならないのですもの。
でも明らかな偽物は有ります。私は見たことが有ります。出所を容易く辿れない古管に限ってですが、そういうモノは確かに存在しています。中には学者や楽器商による「素人鑑定」を聞く側がマトモに受けたケースも有りましょうが、ハッキリと偽物ビジネスの意志を感じさせるものも有ります。
尺八製作技術は昭和50年代から長足の進歩をとげ、今日ではアマチュアが容易く真似られないレベルに達しています。例えばですよ、いくら真山管に超高額な物が有るとは言え、それの贋作を作れる程の力量が有るくらいなら、自分で作って自分の銘で売りますよ。尺八は道具ですから、美術品と比べて品質の客観性が高く、しかも小売店というものが存在せず、生産者と消費者が直結している業界ですから、贋作を作って仕事にするバカがいるかどうか、常識で考えても分かる。しかも、それをやったところで得られる対価はせいぜい数十万ですからね。年収10年分とかの美術品に比べて「費用・リスク対効果」の点で割が悪いこと甚だしい。
今、一部の人が騒いでいるのは「中国だから何をされるか分からない」という感覚ですわな。一音無心に、それも問いただしましたよ。
もし商標登録をたてにとって権利をゴリ押しすれば、売り先に困っている半プロ以外のプロ製管師は誰も相手にしなくなりますよ。
「分かっています。自分はそんなにバカではない。あくまで自己防衛の為ですから権利は使いません」。
中国には商標登録をして、それを相手に引き取らせる事を目的のビジネスにしている業者が存在してます。こういう業者に狙われる程に尺八が注目されているとアンタ、本当に思う?。
だから中国で商標登録申請がなされたからと言って、私はじめ多くの製管師は別に反応しないのです。でも「そんな事はない」と思う人は御自分で防衛手段を考えなさいな。他人の行動、オレとは何の関係も無い。
ついでだから言いますが、今日の一音無心の商標登録申請に関して、意図して殊更の騒ぎにしている人がいます。「一音無心潰し」が目的ですよ。その証拠に平行して登録申請している他の業者の事は話題にしていないでしょう。別に大した問題にはならないですから、私はこれ以上の事を言うつもりは有りませんけどね。
つまり変える気はないという事です。だからと言って目立った支障は起きていませんでした。
竹仙、岳童、雪峰、虎月、恒童、秋月、月童、これらの銘が押された尺八は相互に関係を持たない複数の製管師によって製作されました。それでどうして支障が無かったのか?
それは尺八の市場が極端に小さいからですよ。そして尺八が道具だからです。たまたま知らないで銘が重なってしまった、そういうケースがほとんどで、中には竹仙の様に、「死んでから4半世紀以上経っているから」。そういう場合が有るものの、「売れてる製管師の名をかたって」というのは絶無です。何故ならば、そんな事をやる必要が無い。
骨董品や美術品では、作者名が間違って伝わったという事も有りますが、それより多いのが意図して製作された所謂贋作というヤツでしょう。この中には本物を上回る力量を示す物さえ有ると聞きます。ともかく今日「ホンモノ」として通用している美術品の中に多量の「ニセモノ」が紛れ込んでいる。そして、その逆も有る、広く知られている事です。
実力が有っても認められない鬱憤とか売れる「仕組み」に対しての嘲笑とかの「暗い情熱」が製作者の根底に有る場合、それが金儲け目的のプロヂューサーと結びつくと「贋作中の名品」が生まれますし、ただ単純に「目暗千人」を騙して大金を手っ取り早く稼ぐ手段に選ばれる事も多いのでしょう。
この贋作製作は日本では平安時代からで奈良朝には遡らないと言われます。これはこれで興味深い社会発展のテーマですが、それはまた・・・。
では、はたして尺八に贋作は有るのか?これまで志村哲先生と「ね色」の石田さんに訊いた事があります。お二人の答えは、「はっきりと意図して作られた贋作は、これまで見たことは無い」と言うものでした。尺八みたいにニーズが少ない物に贋作は無い。売るのも大変だし、ダイイチ大して金にはならないのですもの。
でも明らかな偽物は有ります。私は見たことが有ります。出所を容易く辿れない古管に限ってですが、そういうモノは確かに存在しています。中には学者や楽器商による「素人鑑定」を聞く側がマトモに受けたケースも有りましょうが、ハッキリと偽物ビジネスの意志を感じさせるものも有ります。
尺八製作技術は昭和50年代から長足の進歩をとげ、今日ではアマチュアが容易く真似られないレベルに達しています。例えばですよ、いくら真山管に超高額な物が有るとは言え、それの贋作を作れる程の力量が有るくらいなら、自分で作って自分の銘で売りますよ。尺八は道具ですから、美術品と比べて品質の客観性が高く、しかも小売店というものが存在せず、生産者と消費者が直結している業界ですから、贋作を作って仕事にするバカがいるかどうか、常識で考えても分かる。しかも、それをやったところで得られる対価はせいぜい数十万ですからね。年収10年分とかの美術品に比べて「費用・リスク対効果」の点で割が悪いこと甚だしい。
今、一部の人が騒いでいるのは「中国だから何をされるか分からない」という感覚ですわな。一音無心に、それも問いただしましたよ。
もし商標登録をたてにとって権利をゴリ押しすれば、売り先に困っている半プロ以外のプロ製管師は誰も相手にしなくなりますよ。
「分かっています。自分はそんなにバカではない。あくまで自己防衛の為ですから権利は使いません」。
中国には商標登録をして、それを相手に引き取らせる事を目的のビジネスにしている業者が存在してます。こういう業者に狙われる程に尺八が注目されているとアンタ、本当に思う?。
だから中国で商標登録申請がなされたからと言って、私はじめ多くの製管師は別に反応しないのです。でも「そんな事はない」と思う人は御自分で防衛手段を考えなさいな。他人の行動、オレとは何の関係も無い。
ついでだから言いますが、今日の一音無心の商標登録申請に関して、意図して殊更の騒ぎにしている人がいます。「一音無心潰し」が目的ですよ。その証拠に平行して登録申請している他の業者の事は話題にしていないでしょう。別に大した問題にはならないですから、私はこれ以上の事を言うつもりは有りませんけどね。
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