ヒッピー
- 2018/04/09
- 23:04
私の中学の頃、ですから1960年代前半まで「フーテン」と言う言葉は一般的ではありませんでした。たまに大人が「キチガイ」と同義語で使っているのを聞いたくらいです。
その言葉が一般市民権を得るのは、やはり映画の「男はつらいよ」から、60年代の後半からでしょう。御存知、フーテンの寅です。でも、ここから「風来坊」という意味に近くなって使用され、本来の「気違い」から変化しました。
60年代後半から10年近く、「フーテン」と呼ばれる輩が新宿などの盛り場に集団で生息していた事を、1960年以前に生まれた人は記憶しているでしょう。その頃には、また別の形態として「ヒッピー」というのがいました。この二つは似ているけど違います。「ヒッピー」は思想性が有り、いわば文化。対して「フーテン」は無思想、無文化、怠け者の集団、こんな感じで当時の人はとらえていました。「フーテン」には「ホームレス」という語感が持つ「切羽詰まって」、「吹き溜まり」という様な一種の悲壮感が無く、単に「社会の仕組みから落ちこぼれた人」という感じでした。
ヒッピーもフーテンも長髪、無精ヒゲ、風呂に入らない事による悪臭、汚らしい服装、クスリ等の共通点も有りましたが、ヒッピーの場合は「意思」。フーテンの場合は非選択の単なる「結果」です。ですからクスリもヒッピーはマリファナとかⅬSⅮ、フーテンは睡眠薬です。
誤解のない様に言っておきますますが、だからってヒッピーの方がエライわけでも何でもありませんよ。当時のオトナからは、どちらも軽蔑されていました。でも、ヒッピーは「どこかミドコロも有る」という感じの軽蔑ですが、フーテンとなると完全にバカにされていましたね。
当時の大学生の多くは「ヒッピー文化」に多少の影響を受けた者が多かった。でも、それは男子学生の話であり、今よりもさらに保守性向の強かった女子大生においては影響はほとんど無かったと思います。
男子学生の多くは、長髪、ジーパン、サンダル履きでしたし、サングラスも流行っていました。でもクスリは少なくとも私は在学中は見た事も聞いた事も有りません。
「反戦」、「反体制」はヒッピーと共通のスローガンですが、大学生だと共産主義礼賛者が多く、その為、イデオロギーと微妙にリンクしていました。
学生時代には「エレガンスの大橋」と言われた私だって、ジーパン、長髪、サングラスで尺八を吹いていた時期が有るのですよ。3年生の時だったか、東北に旅行に行きまして、仙台の宿で尺八を吹いていたら、旅館の御主人に「今時の若者にも高尚な趣味を持った者がおるんだなあ」とエラク感心されました。その後、「尺八という素晴らしい特技を持っているのですから、西洋乞食(ヒッピー)みたいな恰好はやめた方が良い。せっかく尺八で高めた人格を誤解されますよ」とアリガタイ忠告を貰いました。どうも何重にもわたる誤解が有る様です。
「星霜移り人は去り・・・」、あの時のヒッピーモドキやフーテンは何処に行ったのでしょう。「世の不条理」に悲憤慷慨し、時には涙していた「反体制派学生」は、4年になるとコザッパリとした服装に変わり、就職活動をする様になりました。呆気にとられる学生など、おりません。だって毎年見る現象なんですもの。「そうなるだろう」と一種の予定調和の感覚でとらえていました。アカ学生が熱ぽっく社会を糾弾していた時でも、「それはその時の真情」という感じを多くの学生が抱いていたと思います。ですから、学生運動の盛んだった当時でもデモに参加していた学生は少数派でしたし、まして破壊活動をやっていた学生は、一般学生からは完全に距離を置かれていましたね。
ともかく1975年にベトナム戦争が終わり、本家のアメリカでも徐々に「ヒッピー運動」は衰退していきました。日本では、もともと「ベトナム戦争に徴兵されるのがイヤだ」とかいう切羽詰まった動機等は無いんですし、「反戦、平和」も日本社会が戦争の直接当事者でないのですから言葉が空回りしていましたし、日本は平和を謳歌していた事も有り、何と言いますか、現実感が無い「お題目」みたいに多くの人は受け止めていました。
でも社会には矛盾も不条理も有る。そこに憤りを若者が感じなくて良いのでしょうか?学生運動とヒッピー、抵抗に暴力と非暴力の差こそあれ、若者の正常な行動の一つだったと思います。
今、尺八において、いち早く「家元制度」は崩れました。箏曲界も衰退は止まりません。これは「若い世代の仕組みへの抵抗」なのです。「家元制」から一段進んだ形態を持つ都山流楽会、日本尺八連盟の都山流の二つの大きな組織でさえ、もう行き止まりで衰退の一途ですから、もう他の流が家元制健在の元に存続する事は不可能です。
私の頃の学生は口でだけ「家元制度反対」と言っていましたが、今の若い人は「無抵抗」で無視した上で尺八を吹いています。最も強い組織である都山を例にとって私はよく言います。「会員の85パーセントは60歳以上」だと。言いましょうかね。「60歳から50歳までが大体10パーセント。それ以下は4~5パーセントなんですよ」。でも尺八を吹く若い人は年々増えています。いても流や会派に所属しない。
これを見ても、流や会の歴史的役割は終わりました。
その言葉が一般市民権を得るのは、やはり映画の「男はつらいよ」から、60年代の後半からでしょう。御存知、フーテンの寅です。でも、ここから「風来坊」という意味に近くなって使用され、本来の「気違い」から変化しました。
60年代後半から10年近く、「フーテン」と呼ばれる輩が新宿などの盛り場に集団で生息していた事を、1960年以前に生まれた人は記憶しているでしょう。その頃には、また別の形態として「ヒッピー」というのがいました。この二つは似ているけど違います。「ヒッピー」は思想性が有り、いわば文化。対して「フーテン」は無思想、無文化、怠け者の集団、こんな感じで当時の人はとらえていました。「フーテン」には「ホームレス」という語感が持つ「切羽詰まって」、「吹き溜まり」という様な一種の悲壮感が無く、単に「社会の仕組みから落ちこぼれた人」という感じでした。
ヒッピーもフーテンも長髪、無精ヒゲ、風呂に入らない事による悪臭、汚らしい服装、クスリ等の共通点も有りましたが、ヒッピーの場合は「意思」。フーテンの場合は非選択の単なる「結果」です。ですからクスリもヒッピーはマリファナとかⅬSⅮ、フーテンは睡眠薬です。
誤解のない様に言っておきますますが、だからってヒッピーの方がエライわけでも何でもありませんよ。当時のオトナからは、どちらも軽蔑されていました。でも、ヒッピーは「どこかミドコロも有る」という感じの軽蔑ですが、フーテンとなると完全にバカにされていましたね。
当時の大学生の多くは「ヒッピー文化」に多少の影響を受けた者が多かった。でも、それは男子学生の話であり、今よりもさらに保守性向の強かった女子大生においては影響はほとんど無かったと思います。
男子学生の多くは、長髪、ジーパン、サンダル履きでしたし、サングラスも流行っていました。でもクスリは少なくとも私は在学中は見た事も聞いた事も有りません。
「反戦」、「反体制」はヒッピーと共通のスローガンですが、大学生だと共産主義礼賛者が多く、その為、イデオロギーと微妙にリンクしていました。
学生時代には「エレガンスの大橋」と言われた私だって、ジーパン、長髪、サングラスで尺八を吹いていた時期が有るのですよ。3年生の時だったか、東北に旅行に行きまして、仙台の宿で尺八を吹いていたら、旅館の御主人に「今時の若者にも高尚な趣味を持った者がおるんだなあ」とエラク感心されました。その後、「尺八という素晴らしい特技を持っているのですから、西洋乞食(ヒッピー)みたいな恰好はやめた方が良い。せっかく尺八で高めた人格を誤解されますよ」とアリガタイ忠告を貰いました。どうも何重にもわたる誤解が有る様です。
「星霜移り人は去り・・・」、あの時のヒッピーモドキやフーテンは何処に行ったのでしょう。「世の不条理」に悲憤慷慨し、時には涙していた「反体制派学生」は、4年になるとコザッパリとした服装に変わり、就職活動をする様になりました。呆気にとられる学生など、おりません。だって毎年見る現象なんですもの。「そうなるだろう」と一種の予定調和の感覚でとらえていました。アカ学生が熱ぽっく社会を糾弾していた時でも、「それはその時の真情」という感じを多くの学生が抱いていたと思います。ですから、学生運動の盛んだった当時でもデモに参加していた学生は少数派でしたし、まして破壊活動をやっていた学生は、一般学生からは完全に距離を置かれていましたね。
ともかく1975年にベトナム戦争が終わり、本家のアメリカでも徐々に「ヒッピー運動」は衰退していきました。日本では、もともと「ベトナム戦争に徴兵されるのがイヤだ」とかいう切羽詰まった動機等は無いんですし、「反戦、平和」も日本社会が戦争の直接当事者でないのですから言葉が空回りしていましたし、日本は平和を謳歌していた事も有り、何と言いますか、現実感が無い「お題目」みたいに多くの人は受け止めていました。
でも社会には矛盾も不条理も有る。そこに憤りを若者が感じなくて良いのでしょうか?学生運動とヒッピー、抵抗に暴力と非暴力の差こそあれ、若者の正常な行動の一つだったと思います。
今、尺八において、いち早く「家元制度」は崩れました。箏曲界も衰退は止まりません。これは「若い世代の仕組みへの抵抗」なのです。「家元制」から一段進んだ形態を持つ都山流楽会、日本尺八連盟の都山流の二つの大きな組織でさえ、もう行き止まりで衰退の一途ですから、もう他の流が家元制健在の元に存続する事は不可能です。
私の頃の学生は口でだけ「家元制度反対」と言っていましたが、今の若い人は「無抵抗」で無視した上で尺八を吹いています。最も強い組織である都山を例にとって私はよく言います。「会員の85パーセントは60歳以上」だと。言いましょうかね。「60歳から50歳までが大体10パーセント。それ以下は4~5パーセントなんですよ」。でも尺八を吹く若い人は年々増えています。いても流や会派に所属しない。
これを見ても、流や会の歴史的役割は終わりました。
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