バックブリーカー
- 2018/04/17
- 11:53
中学高校は一貫教育の男子校だったので良い点と悪い点が有りました。悪い点の最たるもの、「女に慣れない」という事は、いささかマズイですな。私は、おかげで大学に入っても3年生の前半まで、女性に対してギコチナイ態度でしたわ。完全に平気になったのは4年になってからだった様な気がします。本当、人生で一番性欲の旺盛な時期の何年か、まったく痛い損失だぜ。
でも良い点も限りなく有りました。なかでも同学年の者達と遠慮会釈無く、ついでに腹蔵無く(どうして書き加えるか?難しい言葉を知ってるって尊敬されたいからですよ)付き合えたことが一番です。私の同学年は多士済々で、有名企業の社長や警察トップ、大学教授、医者など世の人達から多大な過大評価を受けている連中も多いですが、今でもクラス会に行くと、何の敬意も払わずアダナで呼び合います。クラス会くらいでしょう、日頃会社で何百人という人相手に訓示をたれるオカタが「オイ、豚」とか呼ばれるのは・・・。さすがに今は殴り合いにはなりませんがね。
中学高校はプロレスゴッコと喧嘩に明け暮れましたが、基本的にはエリート校で利口者ぞろいですから、大学受験が近ずいた高校3年になるとピタリと止め、もう誰も私の相手をしなくなりました。でも、2年までは毎日の様に喧嘩が何処かでやられていて、「誰々を医務室送りにした。テメエも気をつけろ」とか自慢しあっていました。
優等生だったKも高校2年までは時々プロレスゴッコに加わっていました。Kは長身でウマズラ。その為に人麻呂ではなく馬麻呂というアダナがついていました。(Kの姓はそれで分かりますよね。)
このKの得意技がバックブリーカー、つまり背骨折りです。相手を抱え上げて落とし、背骨を膝にブチ当てるのです。日本ではシュミット流バックブリーカーと呼ばれていました。尺八吹きの85パーセントは60以上の男子ですし、この世代は3人に1人はプロレスを見ていましたから、知ってる人が多いと思います。でもこれは知らないでしょう。日本では、この技の開祖とされていたハンス・シュミットが1967年の初来日の時に、記者からインタビューされて、「えっ、それ何の話だ?」と当惑したのです。でも、そこはプロですからね、来日初戦からバックブリーカーを使いました。
ついでに言いますと、1960年頃のアメリカのプロレス雑誌にシュミットが、この技を決めている様に見える写真が有ります。膝の上に長々と伸びた相手が乗っている光景は丁度、コックがまな板に両手を乗っけて料理している様に見えるので、その頃からハンス・シュミットの日本でのアダナは「地獄の料理人」でした。イイカゲンなものですよね。
ともかく、昔のプロレスのテレビ中継は、きまって「皆さんは危ないから絶対に真似をしないでください。」と注意が有りました。ホントに危ない事も有ったでしょうが、より重大な事は、プロレスゴッコをされると「プロレスの大技は本当はダメージが無い」という当り前の事が知られてしまうからです。でなければ連日行う「疑似格闘技の必殺技」に採用されるわけがありませんや。
テレビが何と言おうと当時の子供はプロレスゴッコをやめませんでしたから、この辺りの真相は知っていました。私もKのバックブリーを何度も喰いましたが、痛かった事は一度もありません。
それにしてもKのヤツ、その後は東工大教授ですぜ。それが高校2年にもなって、時々とは言え軽率にもプロレスゴッコをやってたんですから、このところの日本の大学の評価の下落はマア当然と言えば当然ですな。
私は考えた。19世紀の終わりまではプロレスは勝敗が予め決まってはいなかった。だから、相手の協力を必要としない古典的な技は、かつては効いて痛いはず。だから効いていた時はどうやったのだろう?何度か練習して解明しました。これって「テコの原理」なんです。子供の時やりませんでしたか?鉛筆を折って仲間に半分あげるのを。鉛筆を中指の上の乗せて人差し指と薬指を鉛筆の上に乗せる。そうして膝にぶつけると、いとも簡単に鉛筆は二つになる。これでした。
これが分かって、以後私の得意技になりました。エピソードを二つばかり。
① 大学のプロレスゴッコで後輩を病院送りにしました。背骨がおかしくなって救急車を呼んだんですよ。、犠牲者の後輩は「イタイイタイ」と担架に乗って運ばれて行くし、皆は避難がましい目で見るし、気持ちの良いものではありませんな。何か悪い事をしたみたいで・・・
② 同じ年、新入生の歓迎コンパが有ったんです。コンパの後、外に出た時に挨拶の無い失礼な後輩がいたんです。礼儀を教えるのも先輩の役目ですよ、分かるでしょう。ですからバックブリー^カーをお見舞いしました。そしたら、そいつ、有ろうことか掴みかかってきたんですぜ。「ますます許せないヤッチャ」と義憤にかられた私はバックブリーカーをもう一発くらわせました。
後輩達が騒ぐので問いただしたら、その失礼な男は通りすがりの全くのアカの他人。10人くらいの新入生ですもの、初対面では憶えきれませんや。
で、どうなったかって。どうもこうも、相手は雨上りのぬかるみの中で背中を押さえてノタクッテますもの。誰だって逃げるでしょうが。
何でバックブリーカーの話か?って。尺八を中継ぎから離すのはバックブリーカーなんですよ。尺八の中継ぎは日本刀の鯉口の様に、根本でパチンと決まるとうになっているんです。このところ間違った抜き方が横行していて、中学の教科書にも間違った抜き方が解説して有ります。だから、30年前には皆無だった「抜けない」、「根本まで嵌められない」と言う相談を受けるのです。
いいですか、左手で中継ぎ部分を鷲ズカミにする。その手の甲、甲ですよ、そこを右手で叩く。あるいは左手を膝にブチ当てても良いでしょう。これで抜けない中継ぎなんて有りませんよ。左手の横の部分を叩く方法では「テコの原理」が働かないのです。
でも良い点も限りなく有りました。なかでも同学年の者達と遠慮会釈無く、ついでに腹蔵無く(どうして書き加えるか?難しい言葉を知ってるって尊敬されたいからですよ)付き合えたことが一番です。私の同学年は多士済々で、有名企業の社長や警察トップ、大学教授、医者など世の人達から多大な過大評価を受けている連中も多いですが、今でもクラス会に行くと、何の敬意も払わずアダナで呼び合います。クラス会くらいでしょう、日頃会社で何百人という人相手に訓示をたれるオカタが「オイ、豚」とか呼ばれるのは・・・。さすがに今は殴り合いにはなりませんがね。
中学高校はプロレスゴッコと喧嘩に明け暮れましたが、基本的にはエリート校で利口者ぞろいですから、大学受験が近ずいた高校3年になるとピタリと止め、もう誰も私の相手をしなくなりました。でも、2年までは毎日の様に喧嘩が何処かでやられていて、「誰々を医務室送りにした。テメエも気をつけろ」とか自慢しあっていました。
優等生だったKも高校2年までは時々プロレスゴッコに加わっていました。Kは長身でウマズラ。その為に人麻呂ではなく馬麻呂というアダナがついていました。(Kの姓はそれで分かりますよね。)
このKの得意技がバックブリーカー、つまり背骨折りです。相手を抱え上げて落とし、背骨を膝にブチ当てるのです。日本ではシュミット流バックブリーカーと呼ばれていました。尺八吹きの85パーセントは60以上の男子ですし、この世代は3人に1人はプロレスを見ていましたから、知ってる人が多いと思います。でもこれは知らないでしょう。日本では、この技の開祖とされていたハンス・シュミットが1967年の初来日の時に、記者からインタビューされて、「えっ、それ何の話だ?」と当惑したのです。でも、そこはプロですからね、来日初戦からバックブリーカーを使いました。
ついでに言いますと、1960年頃のアメリカのプロレス雑誌にシュミットが、この技を決めている様に見える写真が有ります。膝の上に長々と伸びた相手が乗っている光景は丁度、コックがまな板に両手を乗っけて料理している様に見えるので、その頃からハンス・シュミットの日本でのアダナは「地獄の料理人」でした。イイカゲンなものですよね。
ともかく、昔のプロレスのテレビ中継は、きまって「皆さんは危ないから絶対に真似をしないでください。」と注意が有りました。ホントに危ない事も有ったでしょうが、より重大な事は、プロレスゴッコをされると「プロレスの大技は本当はダメージが無い」という当り前の事が知られてしまうからです。でなければ連日行う「疑似格闘技の必殺技」に採用されるわけがありませんや。
テレビが何と言おうと当時の子供はプロレスゴッコをやめませんでしたから、この辺りの真相は知っていました。私もKのバックブリーを何度も喰いましたが、痛かった事は一度もありません。
それにしてもKのヤツ、その後は東工大教授ですぜ。それが高校2年にもなって、時々とは言え軽率にもプロレスゴッコをやってたんですから、このところの日本の大学の評価の下落はマア当然と言えば当然ですな。
私は考えた。19世紀の終わりまではプロレスは勝敗が予め決まってはいなかった。だから、相手の協力を必要としない古典的な技は、かつては効いて痛いはず。だから効いていた時はどうやったのだろう?何度か練習して解明しました。これって「テコの原理」なんです。子供の時やりませんでしたか?鉛筆を折って仲間に半分あげるのを。鉛筆を中指の上の乗せて人差し指と薬指を鉛筆の上に乗せる。そうして膝にぶつけると、いとも簡単に鉛筆は二つになる。これでした。
これが分かって、以後私の得意技になりました。エピソードを二つばかり。
① 大学のプロレスゴッコで後輩を病院送りにしました。背骨がおかしくなって救急車を呼んだんですよ。、犠牲者の後輩は「イタイイタイ」と担架に乗って運ばれて行くし、皆は避難がましい目で見るし、気持ちの良いものではありませんな。何か悪い事をしたみたいで・・・
② 同じ年、新入生の歓迎コンパが有ったんです。コンパの後、外に出た時に挨拶の無い失礼な後輩がいたんです。礼儀を教えるのも先輩の役目ですよ、分かるでしょう。ですからバックブリー^カーをお見舞いしました。そしたら、そいつ、有ろうことか掴みかかってきたんですぜ。「ますます許せないヤッチャ」と義憤にかられた私はバックブリーカーをもう一発くらわせました。
後輩達が騒ぐので問いただしたら、その失礼な男は通りすがりの全くのアカの他人。10人くらいの新入生ですもの、初対面では憶えきれませんや。
で、どうなったかって。どうもこうも、相手は雨上りのぬかるみの中で背中を押さえてノタクッテますもの。誰だって逃げるでしょうが。
何でバックブリーカーの話か?って。尺八を中継ぎから離すのはバックブリーカーなんですよ。尺八の中継ぎは日本刀の鯉口の様に、根本でパチンと決まるとうになっているんです。このところ間違った抜き方が横行していて、中学の教科書にも間違った抜き方が解説して有ります。だから、30年前には皆無だった「抜けない」、「根本まで嵌められない」と言う相談を受けるのです。
いいですか、左手で中継ぎ部分を鷲ズカミにする。その手の甲、甲ですよ、そこを右手で叩く。あるいは左手を膝にブチ当てても良いでしょう。これで抜けない中継ぎなんて有りませんよ。左手の横の部分を叩く方法では「テコの原理」が働かないのです。
スポンサーサイト