下駄はき
- 2018/05/23
- 22:09
昔はアジアに行くと、日本人というだけで一目置かれたものです。別に人種なんて、自分で選んだわけはなく、何ビトであれ自分の両親からしか生まれなかった以上は、これ以外の有りようは無かったわけで、いわば「偶然の必然」にしかすぎないのですわ。ですから人種で尊敬されるって誰が考えてもチョット変です。
我々が日本人として戦後に生まれたって事は、初めから得をしている。言わば下駄をはいて生まれてきているわけです。テレビで芸能人の「街レポート」なんかを見ても、皆が親切で、商店なんかで気前よくサービスしてもらえ、随分と良い思いをしている様子が伝わってきます。そのように、昔はアジアに行くと日本人というだけで待遇が違ったのです。自分がエライわけでも何でもありませんけど、相手が勝手に「一目置いて」くれてる以上は、その心地良い境遇をあえて拒否することもありませんや。
「お金を落とすからだ」という短絡的な意見が当時は主流でしたが、当然そこを含めているものの、そこを突き抜けた所に有る心理状態を今はお話ししているんです。
この様子が変わってきたのは20年くらい前からでしょうかね。気が付いたら、日本人だからって特に注目される事も無くなっていました。
だって日本においてだって、そうじゃありませんか。昔は西洋人が困って何か訊きたくても、東京ですら皆が話しかけられないように逃げてしまう事が普通でした。そうかと思えば、たまに物好きな外人が安酒場に紛れ込んで、酔っ払いやドカタが馴れ馴れしくチョッカイを出したりする事も有りましたな。ガイジンサンも初めは面白がっていても、そこはお相手は安酒場にたむろする酔っ払い連中だ、意味不明の言語と、あまりのしつこさを持て余して、そうそうに逃げ帰るのが定番でしたな。今は劇的に改善しています。今ですと居酒屋に外国人がいるのも、普通の光景として受け止めていますから、外人も居心地が良くなったでしょう。
何より50年前だと「在日」以外の外人を見る事は東京でも滅多に有りませんでした。「在日」は60万以上いた韓国・朝鮮と5万人程度の華僑とでは、対する日本人の態度や気持ちに大分違いが有りました。振り返れば在日コリアンは酷い差別感と待遇にさらされていましたな。まだ完全には払拭されていないにしろ、これも現在は目に見えて改善されています。ここ30年で日本人も大きく国際化したのですね。もう「アジア人に対しては尊大、白人には卑屈」というステレオタイプの日本人を見る事はほとんど無くなりました。
「あらゆる偏見は無知がその原因だ」と言いますが、日本が内にも外にも開かれた社会になるとナルホド外国に対する偏見って持ちずらいです。
翻って尺八界を見ますとね、知らない人達からは一目置かれているんですよ。楽器なのに「境地が高い」って勝手に勘違いされて、イメージの中で下駄をはかされているんです。だからこそ一介の尺八屋にすぎない私なんかにも、「皆に為になる話を聞かせてほしい」とかいう依頼が珠にせよ来るわけです。私は尺八の説明に関する事ならば、交通費だけ出してもらえれば何処にでも行きますが、「為になる話」とかは決して引き受けません。そんな能力は有りませんよ。ですから、せっかく尺八に関しての話なのに、「勉強になりました」とか「奥の深いお話を有難うございました」とか最後に言われるとイヤですね。でも尺八ビジネスとしては、それで助けられている面も多いのですよ。
尺八のプロ同士なら、尺八が他の楽器に比べて別段「境地が高くも低くも無い」とか分かりますし、それを言うなら、そもそも楽器に「精神性の高低」なんか存在するんだろうかという話にだってなります。
その反面、3,40年前までは他の音楽のプロや愛好家から、これほどバカにされていた楽器も有りません。その状況を残念に思った青木、横山、山本と言った私達の一つ前の世代の尺八家達が、努力して尺八のイメージを少しずつ上げてくださいました。優れた演奏家が当たり前にいる今ですと、もう「尺八、あんなの楽器じゃないよ」とか言う人は無視してさしつかえない段階にまで、音楽としても楽器としても尺八は高度化しました。
でも、まだまだ一般の日本人にさえ尺八の能力も魅力も浸透していない現状です。で、その反面では、いまだに下駄をはいたイメージでも見られている。これって楽器製造に携わる人間にとってはワクワクする様な状況ではないですかね。
一昨日、3Ⅾプリンターが届きましてね、現在実験の真っ最中なんです。勿論、本格生産までには紆余曲折も有りましょう、機械ももっと高度な物が必要でしょう。
一か月後には上海で2回目の製作講習会、古屋輝夫さんの実技講習会と演奏会、そして4回目となる上海尺八展示会。
8月にはロンドン。そして9月からは中国全土展開。勢いずいてきました。もう言って良いでしょう、後3~5年先には竹製尺八の製造法に革命が起こります。技術の進歩で、竹の中で直接、3Ⅾプリンター作業が可能になります。実は、もう40年も前から竹の中にプラスチックを流し込む製作法は、商品として存在しているんですが、そういう段階を遥かに超えた技術として実現します。
その結果、外側の竹にさえウルサイ事を言わなければ、あらゆるタイプの最高性能尺八が理論的には3万円以下で実現出来ると思います。こういう点で、尺八の様に「音と材質との間には何の相関関係も無い」という吹奏楽器は恵まれていますね。だからって「尺八の材質って音と関係無いんだろう。だったらワザワザ竹の中で作る必要無いじゃないか」とはならない所が、尺八の文化としての「奥の深い所」、「楽器としての底の浅い所」です。
もう何年も先まで尺八に関しての夢が広がっています。それというのも、他人がまだ下駄をはかせてくれている、尺八にとっての良い状況がまだ続くからです。
我々が日本人として戦後に生まれたって事は、初めから得をしている。言わば下駄をはいて生まれてきているわけです。テレビで芸能人の「街レポート」なんかを見ても、皆が親切で、商店なんかで気前よくサービスしてもらえ、随分と良い思いをしている様子が伝わってきます。そのように、昔はアジアに行くと日本人というだけで待遇が違ったのです。自分がエライわけでも何でもありませんけど、相手が勝手に「一目置いて」くれてる以上は、その心地良い境遇をあえて拒否することもありませんや。
「お金を落とすからだ」という短絡的な意見が当時は主流でしたが、当然そこを含めているものの、そこを突き抜けた所に有る心理状態を今はお話ししているんです。
この様子が変わってきたのは20年くらい前からでしょうかね。気が付いたら、日本人だからって特に注目される事も無くなっていました。
だって日本においてだって、そうじゃありませんか。昔は西洋人が困って何か訊きたくても、東京ですら皆が話しかけられないように逃げてしまう事が普通でした。そうかと思えば、たまに物好きな外人が安酒場に紛れ込んで、酔っ払いやドカタが馴れ馴れしくチョッカイを出したりする事も有りましたな。ガイジンサンも初めは面白がっていても、そこはお相手は安酒場にたむろする酔っ払い連中だ、意味不明の言語と、あまりのしつこさを持て余して、そうそうに逃げ帰るのが定番でしたな。今は劇的に改善しています。今ですと居酒屋に外国人がいるのも、普通の光景として受け止めていますから、外人も居心地が良くなったでしょう。
何より50年前だと「在日」以外の外人を見る事は東京でも滅多に有りませんでした。「在日」は60万以上いた韓国・朝鮮と5万人程度の華僑とでは、対する日本人の態度や気持ちに大分違いが有りました。振り返れば在日コリアンは酷い差別感と待遇にさらされていましたな。まだ完全には払拭されていないにしろ、これも現在は目に見えて改善されています。ここ30年で日本人も大きく国際化したのですね。もう「アジア人に対しては尊大、白人には卑屈」というステレオタイプの日本人を見る事はほとんど無くなりました。
「あらゆる偏見は無知がその原因だ」と言いますが、日本が内にも外にも開かれた社会になるとナルホド外国に対する偏見って持ちずらいです。
翻って尺八界を見ますとね、知らない人達からは一目置かれているんですよ。楽器なのに「境地が高い」って勝手に勘違いされて、イメージの中で下駄をはかされているんです。だからこそ一介の尺八屋にすぎない私なんかにも、「皆に為になる話を聞かせてほしい」とかいう依頼が珠にせよ来るわけです。私は尺八の説明に関する事ならば、交通費だけ出してもらえれば何処にでも行きますが、「為になる話」とかは決して引き受けません。そんな能力は有りませんよ。ですから、せっかく尺八に関しての話なのに、「勉強になりました」とか「奥の深いお話を有難うございました」とか最後に言われるとイヤですね。でも尺八ビジネスとしては、それで助けられている面も多いのですよ。
尺八のプロ同士なら、尺八が他の楽器に比べて別段「境地が高くも低くも無い」とか分かりますし、それを言うなら、そもそも楽器に「精神性の高低」なんか存在するんだろうかという話にだってなります。
その反面、3,40年前までは他の音楽のプロや愛好家から、これほどバカにされていた楽器も有りません。その状況を残念に思った青木、横山、山本と言った私達の一つ前の世代の尺八家達が、努力して尺八のイメージを少しずつ上げてくださいました。優れた演奏家が当たり前にいる今ですと、もう「尺八、あんなの楽器じゃないよ」とか言う人は無視してさしつかえない段階にまで、音楽としても楽器としても尺八は高度化しました。
でも、まだまだ一般の日本人にさえ尺八の能力も魅力も浸透していない現状です。で、その反面では、いまだに下駄をはいたイメージでも見られている。これって楽器製造に携わる人間にとってはワクワクする様な状況ではないですかね。
一昨日、3Ⅾプリンターが届きましてね、現在実験の真っ最中なんです。勿論、本格生産までには紆余曲折も有りましょう、機械ももっと高度な物が必要でしょう。
一か月後には上海で2回目の製作講習会、古屋輝夫さんの実技講習会と演奏会、そして4回目となる上海尺八展示会。
8月にはロンドン。そして9月からは中国全土展開。勢いずいてきました。もう言って良いでしょう、後3~5年先には竹製尺八の製造法に革命が起こります。技術の進歩で、竹の中で直接、3Ⅾプリンター作業が可能になります。実は、もう40年も前から竹の中にプラスチックを流し込む製作法は、商品として存在しているんですが、そういう段階を遥かに超えた技術として実現します。
その結果、外側の竹にさえウルサイ事を言わなければ、あらゆるタイプの最高性能尺八が理論的には3万円以下で実現出来ると思います。こういう点で、尺八の様に「音と材質との間には何の相関関係も無い」という吹奏楽器は恵まれていますね。だからって「尺八の材質って音と関係無いんだろう。だったらワザワザ竹の中で作る必要無いじゃないか」とはならない所が、尺八の文化としての「奥の深い所」、「楽器としての底の浅い所」です。
もう何年も先まで尺八に関しての夢が広がっています。それというのも、他人がまだ下駄をはかせてくれている、尺八にとっての良い状況がまだ続くからです。
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