AI(人工知能)の脅威がますます高まってきました。AIが、「この先の十年で事務職の半分の仕事を奪う」と言う人もいます。同時に商店も軒並み潰れると言われます。確かに、今起きている「アマゾンショック」を見ると、時期の早い遅いはともかく、やがては人工知能が人間の仕事にとってかわるのは確実でしょう。
20年先、そう考えたら「生き残っている仕事が何か」を考えた方が早いのでしょう。今年の2月に私の顧問税理士と雑談していて、人工知能の話になりました。税理士は「全く脅威ではない」と言っていましたが、嘘ですよ。だって現時点においてすら種々の会計ソフトに仕事を奪われているではないですか。
実は私は、尺八のプロを目指す若い人に「単体では生活できないから、公務員の女性を探すか、税理士とかの資格を採れ」と言ってきました。もう言えないですよ。税理士が先の見えない職種になってしまいました。
だけじゃないですね、銀行員、公務員など、これまで安定した職と言われてきた仕事が今後は大きく揺らぐのです。その先の時代には医者とか弁護士、裁判官といった専門性の高い職種にも及ぶと考えられます。あらゆる法文と判例を記憶して必要に応じて適宜使用する人工知能、正確な診断や手術を行う人工知能も25年以内には間違いなく出来るという事です。
音楽産業も様変わりするのは当たり前ですが、どう変わるかは私なんぞの考え及ぶところではありません。たとえば今のカラオケの尺八伴奏は演奏家が実際に吹いたものです。その仕事で本当の実力の有る尺八家達は一時は有卦に入りました。でも、次からは、たぶんシンセサイザーがやります。この辺り難しい所なのは、「いくら手間いらずでもシンセのプロより尺八家の方が安くあがる」という意見もあり、「たぶん」としか言えません。
このシンセサイザーによる尺八演奏の合成は、今だと「音の切れ目」で凄く耳の鋭い人には分かりますが、時間の問題で誰にも分からなくなります。
演奏会は存在を云々する前に、はたして「古典邦楽が演奏会を開催できる形態で残っているかどうか」の方が話が先でしょう。
私は尺八を「遊び半分で始められる楽器」、「時には邦楽を演奏する事も有る和楽器」にする事が目標だと常に言っております。ですから、「真面目な決心の元に始める人」も「古典邦楽に特化した尺八」も無くてはならないと思っていますし、ダイイチ個人的には、その方が好きなのです。
今の多くの尺八家がそうである様に「尺八は大好き、邦楽は好きではない」という現実も、尺八界という広汎な領域を形成する重要な一部分だと思っています。その上で、これまでに無かったジャンルを付け加えたいのです。すなわち「気楽な遊び気分で尺八を吹く」。
私の若い時。もう50年前ですよ、ギター、ドラムなんかをやっているクラスメイトが多かった。「楽しいから」というだけでなく、カッコよい、女にもてる、こういう感情は始める動機を後ろ支えする重要な要素です。
今だって、例えばパンクなんかは「下手だから良い」という意見が有るように、そもそも現代の音楽状況では、上手いとか下手とか言うのは大した問題ではなくなっています。「上手いに、こしたことはないだろう?」と訊いても、「そういう場合も有る」と答えが返ってきます。
「やりたい気持ちが溢れているから下手だってやる」んだそうです。
この部分。これが尺八とか邦楽に無かったのです。「面白くも無い」と思っても、芸の修行、勉強とかで、我慢してやっていて得られたモノって何ですか?一部に「心から面白い」とか「やっているうちに楽しくなった」という人がいても、大半の人の興味が、邦楽から離れている事は本当は皆知っているんでしょう?少なくとも私の師匠の青木鈴慕は知っていて、時に言葉に出しました。
「気やすく始めたい」という気持ちこそが今は重要だと思うのです。口先だけの「伝統、正統」も大いに結構。それもプラスになる。でも、「ミーハーの先走り、邪道、安易な気持ちでの開始」も何より大切で、この部分が人工知能の発達にも揺るがない領域ではないでしょうか。
「楽しいこと」の追求こそ人間性の根幹をなすものです。この「楽しい」という数値化出来ない不正確で不可思議なものは、たとえ人工知能がどうであれ、ここが生物を成り立たせている本源である以上は、人間がいる限り存在するのではないですかね。
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