女傑
- 2018/06/23
- 17:55
風の便りに、ジャイアント馬場夫人の元子さんが亡くなったと知りました。「女傑」として有名でした。この方には私は嫌な思い出が全く有りません。ただ40数年前の、それも短い間の事ですから、人間性の本当の所は分りません。その後も駒さんの法事や試合会場で会うたびに挨拶をしたくらいで、親しく付き合ったというわけではありません。
元子さんは当時から全日本プロレスの社員や関係者達からは嫌がられていました。短気で物言いがキツイんですわ。でも、私には優しく接してくれました。お願いした事はキッカリやってくれましたし、指示は明確だが言葉使いは丁寧です。私は「頭の良い、随分しっかりした女性だな。それに美人だし」と高く評価していました。でも嫌う人が多いというのも分かる。怒ると言葉に容赦がなく、相手をトコトン追い込むのです。でも女らしい所、優しく思いやりが有る、親切等の美点も忘れられません。
駒さんが死んで何年か経って、命日に墓参りに行ったところ、偶然元子さんに会いました。春先なのに小麦色に陽に焼けていましたので訊くと、「ハワイにチョット前まで行ってたんですよ」とハニカンで笑います。ハワイ帰り直後、それでなくても忙しい人なのに何年も前に無くなった人の命日を忘れない、そして律儀に墓参に来る。私は、ですから今でも良い印象しかありません。
世に女傑と言われる人は数多いです。でも世間では概ね「嫌われ者」です。中国では呂后とか則天武后、西大后とかは悪女の代表でした。「残虐で狭量、そして我儘」という定評が付いて回ります。でも、呂后は漢の創業期を大過なく乗り切り、次の文帝の安定期に継いだ人ですし、則天武后の時代は賢臣・狄人傑の補佐を受けて「周(武周)に乱無し」と評されるように民生がしっかりしていた時代です。また、西太后も清末の混乱期にあって「同治中興」と呼ばれる10数年の安定をなしとげました。
「夫殺し」で悪名高いロシアのエカテリーナ2世にしても、大黒屋光太夫に同情してくれた「お気の毒に」の一言で、日本ではむしろ人気が有りますし、プーシキンの『大尉の娘』を読むと、ロシア国内では好意的に受け止められている印象が有ります。小説ですが、ほぼ同時代に書かれた小説って、当時の時代気分を濃厚に反映しています。エカテリーナは事実としてロシアの大発展期をもたらした人で、その為「大帝」と呼称されます。ロシア人に評価されていなければ都市名になったりしませんわな。スターリンやレーニンは消えたのにね・・・。
ビクトリア女王の時代と言えばイギリスの極盛期です。でも御本人は私の若いころはサヨクから「帝国主義の権化」と言われていました。サヨクの言う事ですから当時でも多くの人は聞き流していましたが、でも我儘で怒りっぽく思慮の浅い人だったことは確かなようですね。
最近でも自分の秘書を「違うだろ、ハゲ」と口汚く罵って議席をパーにしたオンナ代議士がいました。でも、「あんなのオトコの代議士にはいくらでもいる」と言う人がいます。田中真紀子にしろ小池百合子にしろ、「口先だけで力量は無い」という評価がつきものでした。でも男には、それすら無い人が議員をやっているケースが有る事を皆知っています。
どうもまだ男の内心には「オンナに何ができるか?」という気持ちが有るみたいですね。「上司に女性が来るのはイヤ」、「オンナに怒られると頭にくる」、「オンナの命令は素直に聞く気がしねえ」。私は、こう口に出して言う者を何人も知っています。イヤ、大学の後輩達ではありませんよ。ヤツラは三曲会に所属して、過酷な体験をするうちに、完全に心が病気になり、「吉永小百合様、いけない僕を叱って、鞭でしばいて」とか「小巻オネエサマ、ブッテ、浣腸して」とか口走るヤツばかりでした。もっとマトモな連中の話ですよ。
尺八界って、別に強固な意思が有ったわけではないですが、昭和まで事実上「女性プロ」の誕生を阻んできました。尺八における本格的な女性プロって誰でしょうか?金子朋沐枝さんあたりでしょうかしら。それ以前でも、たとえば戸室藍翠さんの様に尺八専業で生活していた人はいるのですが、このあたり基準が難しいですね。「三代都山、新都山流家元とかどうなんだ?」とか言われそうです。
ともかく今は女性プロが多数輩出しています。でも私は物足りないのですよ。「女傑」と呼ばれる強烈な個性を持つ女性プロに出てきて欲しい。一般的に「女性の欠点」とされる、「嫉妬心の強さ、狭量、視野の狭さ、好き嫌いの感情の優先、残酷さ」、とかはオトコにも共通していますが、やはり女性に、より強く表れる感情だと思います。でも、そのどれもが芸術では必ずしも「マイナス感情」ではないですね。その反面、「粘り強い、執着心の強さ、優しさ、人間洞察力の鋭さ、行為の継続力」などの点で男を上回っています。
何より有利だと思えるのは、まだ今の日本の社会状況では、幼年期から始めた御稽古事を、女性の方が青少年期にも継続出来るのです。「どうせ勉強したって知れている。芸事で食えなきゃ結婚すれば良い」。反対に男だと「もう高校だぞ、芸事なんかで生活できるのかよ」ですからね。
私は前にピアノの同好者の会に入っていましたが、そこにいたクラシックのプロ演奏家やファン達から「尺八って絶対音感の有る人っていないのですか?」とか「大学からでもプロになれるんですか?」とか訊かれていました。別に訊く方も悪気は無いし、普通の会話ですから私も「恥ずかしかった」なんて思った事は無いのです。洋楽でもジャンル別の特性が有り、吹奏楽では絶対音感の有無はあまり話題になりませんし、声楽みたいに天性が大きな要素をもつものなら「20歳すぎて」も有ります。そんな事は相手は私より余程に良く知っています。
でも、今の尺八のスケールを劇的に大きくするには、幼年期から継続して訓練をしてきた人、粘着性の努力を集中出来る人、尺八コントロールに強い執着心を持つ人、他の影響を受けない世間知らずで頑固な人、感情を爆裂させられる人。そうした性向は女性により強く表れると思いますし、仮にそうでなくとも、こういった人も是非とも必要だと思いませんかな。今みたいに皆が紳士だと、尺八芸術はだんだん詰まらなくなります。
ですから私は女傑の出現に期待しているんですよ。
元子さんは当時から全日本プロレスの社員や関係者達からは嫌がられていました。短気で物言いがキツイんですわ。でも、私には優しく接してくれました。お願いした事はキッカリやってくれましたし、指示は明確だが言葉使いは丁寧です。私は「頭の良い、随分しっかりした女性だな。それに美人だし」と高く評価していました。でも嫌う人が多いというのも分かる。怒ると言葉に容赦がなく、相手をトコトン追い込むのです。でも女らしい所、優しく思いやりが有る、親切等の美点も忘れられません。
駒さんが死んで何年か経って、命日に墓参りに行ったところ、偶然元子さんに会いました。春先なのに小麦色に陽に焼けていましたので訊くと、「ハワイにチョット前まで行ってたんですよ」とハニカンで笑います。ハワイ帰り直後、それでなくても忙しい人なのに何年も前に無くなった人の命日を忘れない、そして律儀に墓参に来る。私は、ですから今でも良い印象しかありません。
世に女傑と言われる人は数多いです。でも世間では概ね「嫌われ者」です。中国では呂后とか則天武后、西大后とかは悪女の代表でした。「残虐で狭量、そして我儘」という定評が付いて回ります。でも、呂后は漢の創業期を大過なく乗り切り、次の文帝の安定期に継いだ人ですし、則天武后の時代は賢臣・狄人傑の補佐を受けて「周(武周)に乱無し」と評されるように民生がしっかりしていた時代です。また、西太后も清末の混乱期にあって「同治中興」と呼ばれる10数年の安定をなしとげました。
「夫殺し」で悪名高いロシアのエカテリーナ2世にしても、大黒屋光太夫に同情してくれた「お気の毒に」の一言で、日本ではむしろ人気が有りますし、プーシキンの『大尉の娘』を読むと、ロシア国内では好意的に受け止められている印象が有ります。小説ですが、ほぼ同時代に書かれた小説って、当時の時代気分を濃厚に反映しています。エカテリーナは事実としてロシアの大発展期をもたらした人で、その為「大帝」と呼称されます。ロシア人に評価されていなければ都市名になったりしませんわな。スターリンやレーニンは消えたのにね・・・。
ビクトリア女王の時代と言えばイギリスの極盛期です。でも御本人は私の若いころはサヨクから「帝国主義の権化」と言われていました。サヨクの言う事ですから当時でも多くの人は聞き流していましたが、でも我儘で怒りっぽく思慮の浅い人だったことは確かなようですね。
最近でも自分の秘書を「違うだろ、ハゲ」と口汚く罵って議席をパーにしたオンナ代議士がいました。でも、「あんなのオトコの代議士にはいくらでもいる」と言う人がいます。田中真紀子にしろ小池百合子にしろ、「口先だけで力量は無い」という評価がつきものでした。でも男には、それすら無い人が議員をやっているケースが有る事を皆知っています。
どうもまだ男の内心には「オンナに何ができるか?」という気持ちが有るみたいですね。「上司に女性が来るのはイヤ」、「オンナに怒られると頭にくる」、「オンナの命令は素直に聞く気がしねえ」。私は、こう口に出して言う者を何人も知っています。イヤ、大学の後輩達ではありませんよ。ヤツラは三曲会に所属して、過酷な体験をするうちに、完全に心が病気になり、「吉永小百合様、いけない僕を叱って、鞭でしばいて」とか「小巻オネエサマ、ブッテ、浣腸して」とか口走るヤツばかりでした。もっとマトモな連中の話ですよ。
尺八界って、別に強固な意思が有ったわけではないですが、昭和まで事実上「女性プロ」の誕生を阻んできました。尺八における本格的な女性プロって誰でしょうか?金子朋沐枝さんあたりでしょうかしら。それ以前でも、たとえば戸室藍翠さんの様に尺八専業で生活していた人はいるのですが、このあたり基準が難しいですね。「三代都山、新都山流家元とかどうなんだ?」とか言われそうです。
ともかく今は女性プロが多数輩出しています。でも私は物足りないのですよ。「女傑」と呼ばれる強烈な個性を持つ女性プロに出てきて欲しい。一般的に「女性の欠点」とされる、「嫉妬心の強さ、狭量、視野の狭さ、好き嫌いの感情の優先、残酷さ」、とかはオトコにも共通していますが、やはり女性に、より強く表れる感情だと思います。でも、そのどれもが芸術では必ずしも「マイナス感情」ではないですね。その反面、「粘り強い、執着心の強さ、優しさ、人間洞察力の鋭さ、行為の継続力」などの点で男を上回っています。
何より有利だと思えるのは、まだ今の日本の社会状況では、幼年期から始めた御稽古事を、女性の方が青少年期にも継続出来るのです。「どうせ勉強したって知れている。芸事で食えなきゃ結婚すれば良い」。反対に男だと「もう高校だぞ、芸事なんかで生活できるのかよ」ですからね。
私は前にピアノの同好者の会に入っていましたが、そこにいたクラシックのプロ演奏家やファン達から「尺八って絶対音感の有る人っていないのですか?」とか「大学からでもプロになれるんですか?」とか訊かれていました。別に訊く方も悪気は無いし、普通の会話ですから私も「恥ずかしかった」なんて思った事は無いのです。洋楽でもジャンル別の特性が有り、吹奏楽では絶対音感の有無はあまり話題になりませんし、声楽みたいに天性が大きな要素をもつものなら「20歳すぎて」も有ります。そんな事は相手は私より余程に良く知っています。
でも、今の尺八のスケールを劇的に大きくするには、幼年期から継続して訓練をしてきた人、粘着性の努力を集中出来る人、尺八コントロールに強い執着心を持つ人、他の影響を受けない世間知らずで頑固な人、感情を爆裂させられる人。そうした性向は女性により強く表れると思いますし、仮にそうでなくとも、こういった人も是非とも必要だと思いませんかな。今みたいに皆が紳士だと、尺八芸術はだんだん詰まらなくなります。
ですから私は女傑の出現に期待しているんですよ。
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