道を訊く
- 2018/07/17
- 09:57
先週土曜日、行きましたで、2年に1度の高校の同期会。中学高校の6年間を過ごした懐かしい早稲田で有りました。20年ぶりくらいですかね、もう浦島太郎ですよ。会場は大隈講堂の前の大隈記念タワーなのですが、それでも2人連れの学生さんに道を訊きました。親切に教えてくれましたが、2人とも中国人でした。その前に高田馬場の東西線構内で、たぶんインドかパキスタンと思われる人に路線を訊かれ、良く分からなかったので、確認の為に前の女性に声をかけたところ中国人でした。東京で外国人に、道を訊かれる、反対に訪ねる、もう毎回の事です。
同期会はいつも大体70人ですが、招く教師先生は年を追うごとに少なくなって、2年前からは生き残り1人です。私達も年をとって言葉使いを憶えました。10年前ですと開会の辞も「いまだ、御クタバリあそばさない誰先生をお招きして・・・」でしたからね。
まだ元気に来て下さるW先生は専門はフランス喜劇の評論ですが、歌舞伎の世界でも有名な方で、私達の卒業後10年くらいして教師を辞めました。
私って歌舞伎は好きではないんです。はっきり言ってキライ。同じ伝統文化の世界たって、何処に興味の焦点が来るかで、それこそ奈良朝文化と前衛芸術くらい違いますぜ。これ言葉であえて言わなくとも、尺八家として食っている者なら誰でも当たり前だと分かります。
以下、先生との会話。
「大橋は歌舞伎は嫌いか?」。 ええ、悪いけど好きになれません。
「そうかね…」。 先生だって昔ですけど「プロレスは3文芝居で面白くない」っておしゃったじゃないですか。私って、お祭りで見た3文芝居とか乞食芝居の方が、歌舞伎よりまだ面白いんですよ。でもシェイクスピアは大好きです。
「どうしてかな?」 シェイクスピアたって実演を見た事って、たぶん10回も無いです。でもシェイクスピアは「読むことでも楽しめる演劇」、けど歌舞伎って台本を読んでも全然面白くないじゃないですか。学生時代に教養として代表的な歌舞伎の筋を憶えましたが、つまらなかったです。
相手は各種人名辞典にも載ってる「その道の大家」です、かたや私は辞典にこそ載らないが「知らない人以外は全員知っている尺八の超大家」です。大家文化人同士の会話ですから、だからどっちが上とか良い悪い、まして優劣比較をしているんではない、なんて事は前提として話しています。
「邦楽ってどうなのかね?」 おっしゃっている意味でなら「面白くない」と思います。その証拠に誰も「聴く対象」にはしていないじゃないですか。
「古典邦楽だからって着物でやる必要はない」という意見が邦楽ジャーナルに載っていました。賛成です。でも着物で演奏する事にも賛成です。
本気で古典邦楽が「聴いて楽しめる音楽」だと思うなら、そうすれば良い。単に「着物が窮屈だ」と言う理由から着ないというのでも良いでしょう。でも私は邦楽って「日本の伝統」という一種の虚構を売り物にもしている音楽だと思うのです。ですから現代人、あるいは外国人から見ての「エキゾチズム」が大きな売り物としての要素なのです。
古典本曲を吹いている人が、しばしば作務衣を着ますが、作務衣って戦後の物なんです。また背広に袈裟懸けで尺八を吹く光景も珍しくありません。それを尺八音楽の一要素と好意的に捉える人の方が多いと思います。私達の世代までの心をギュッと捉えた五音階陰旋法、「ド真ん中伝統音楽」の演歌。いまだに着物です。でも着なくとも良い。歌舞伎やファンだって現代衣装の歌舞伎なんて見たくないですわな。でも時代設定しだいではシェイクスピアは現代版にも成り得る。それぞれの個性ですわ。
こういう事って、素人や外国人ともっと話した方が良く理解できますよ。そう、もう外国人に「道を訊く、訊かれる時代」なのです。
同期会はいつも大体70人ですが、招く教師先生は年を追うごとに少なくなって、2年前からは生き残り1人です。私達も年をとって言葉使いを憶えました。10年前ですと開会の辞も「いまだ、御クタバリあそばさない誰先生をお招きして・・・」でしたからね。
まだ元気に来て下さるW先生は専門はフランス喜劇の評論ですが、歌舞伎の世界でも有名な方で、私達の卒業後10年くらいして教師を辞めました。
私って歌舞伎は好きではないんです。はっきり言ってキライ。同じ伝統文化の世界たって、何処に興味の焦点が来るかで、それこそ奈良朝文化と前衛芸術くらい違いますぜ。これ言葉であえて言わなくとも、尺八家として食っている者なら誰でも当たり前だと分かります。
以下、先生との会話。
「大橋は歌舞伎は嫌いか?」。 ええ、悪いけど好きになれません。
「そうかね…」。 先生だって昔ですけど「プロレスは3文芝居で面白くない」っておしゃったじゃないですか。私って、お祭りで見た3文芝居とか乞食芝居の方が、歌舞伎よりまだ面白いんですよ。でもシェイクスピアは大好きです。
「どうしてかな?」 シェイクスピアたって実演を見た事って、たぶん10回も無いです。でもシェイクスピアは「読むことでも楽しめる演劇」、けど歌舞伎って台本を読んでも全然面白くないじゃないですか。学生時代に教養として代表的な歌舞伎の筋を憶えましたが、つまらなかったです。
相手は各種人名辞典にも載ってる「その道の大家」です、かたや私は辞典にこそ載らないが「知らない人以外は全員知っている尺八の超大家」です。大家文化人同士の会話ですから、だからどっちが上とか良い悪い、まして優劣比較をしているんではない、なんて事は前提として話しています。
「邦楽ってどうなのかね?」 おっしゃっている意味でなら「面白くない」と思います。その証拠に誰も「聴く対象」にはしていないじゃないですか。
「古典邦楽だからって着物でやる必要はない」という意見が邦楽ジャーナルに載っていました。賛成です。でも着物で演奏する事にも賛成です。
本気で古典邦楽が「聴いて楽しめる音楽」だと思うなら、そうすれば良い。単に「着物が窮屈だ」と言う理由から着ないというのでも良いでしょう。でも私は邦楽って「日本の伝統」という一種の虚構を売り物にもしている音楽だと思うのです。ですから現代人、あるいは外国人から見ての「エキゾチズム」が大きな売り物としての要素なのです。
古典本曲を吹いている人が、しばしば作務衣を着ますが、作務衣って戦後の物なんです。また背広に袈裟懸けで尺八を吹く光景も珍しくありません。それを尺八音楽の一要素と好意的に捉える人の方が多いと思います。私達の世代までの心をギュッと捉えた五音階陰旋法、「ド真ん中伝統音楽」の演歌。いまだに着物です。でも着なくとも良い。歌舞伎やファンだって現代衣装の歌舞伎なんて見たくないですわな。でも時代設定しだいではシェイクスピアは現代版にも成り得る。それぞれの個性ですわ。
こういう事って、素人や外国人ともっと話した方が良く理解できますよ。そう、もう外国人に「道を訊く、訊かれる時代」なのです。
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