古管の復権
- 2018/08/15
- 17:56
ヨーロッパに行く度に驚きます。「エっ、アンタこんな尺八を吹いてんの」。中古尺八とは云うモノのハッキリ言ってガラクタ。購入理由の大半は安いからです。確かに新しい尺八は高い。日本人が「高い」と感じる価格を「安い」と受け取る国民など世界の何処にもいませんぜ。ドイツに中古尺八を専門に扱っているステパン・レンズがいますが、今回のロンドン大会にも出店していて、「7本売れた」と言っていました。7本という数字は、全体で私に次ぎましょう。この一事を見ても中古の需要の多さが分かりましょう。
中古でもマトモなら私がとやかく言う事ではありません。けどヒドイ物が多すぎる。「ノークレーム、ノーリターン」で、ろくに修理も施していない物が「楽器としての尺八」として出回っています。
この事情は中国でも同じです。中国の尺八ファンの大半は、日本製の新管を買えなくて、安い中古をネットオークションで買っています。
よく「中国人の金満ぶり」が話題になりますが、一部にそういう人がいると言うだけで、中国全体から見たらホンの一握りの層でしかありません。中国国民の平均所得は日本や西欧の、まだ20~30パーセントでしかないのです。それも「過大である」と推定される公式発表の数字が正しいとしてです。
中古尺八とは、また違った理由で、ここのところ需要が増大しているのが古管です。今、中国では琴古、古童、琴童、古鏡といった銘柄だと50万円を越える高値で取引されています。こういった銘の管は強いて言えば、これまでの日本でも「売れない事は無かった尺八」です。黒沢琴古作の本物なら今までの日本でも、それこそ苦労なく売ることが出来ました。
でも、平成に入っての日本では「古管マニア」が激減して、10年前だと、余程に名の通った物でないと、中古尺八は売るのに苦労しました。同じく中国で人気の山口四郎とか井上重美、神如道(あくまで焼き印)といった銘は、一昔前の日本市場だと買い手がつかなかったものです。
中国では30~60万円で、すぐ売れる西村虚空管なんか、かつての日本では「ガラクタ扱い」でしたぜ。西村虚空と言う名、あるいは門田笛空あるいは桜井無笛なんか日本の尺八吹きでも知ってる人は絶対5パーセント以下です。こういう人達の作った尺八が今の中国では「すぐ売れる人気銘柄」なのです。
特に驚くのは蘭畝より勝也銘の方に人気が有る事です。横山勝也の名は中国では「神様扱い」だと言う事でしょうかね・・・。
「古管が再評価されている」と言うのだと良いのですが、果たしてそうでしょうか?私には骨董収集、「好事家趣味」に思えるのです。それは全く結構な事なのですが、その骨董が実用品と区別されない点を私は問題にしているのです。
古管が一概に悪い物だとは言いません。でも、夥しいガラクタの中から一握りの「まともな物」を取り出す様なものでしょう。私や多くのプロ尺八製作家が「こんなんじゃ他のマトモナ世界からは相手にされなくなる」と思い、何十年もかかって乗り越えてきた道の逆戻りは、なんか抵抗が有りますね。
古管の良い点、面白い点、それは個性的だというに尽きるでしょう。[邦楽の音程を保存している」などの言はタワゴトにすぎませんが、見所は楽器が西洋化する以前の「おおらかさ」と言ったものです。ソフトが本曲、せいぜいがプラス三曲だった時代には、また現在の尺八と違った楽器観の上に成立していましたから、それを現在の価値観で云々するのは良くない事でしょう。
古管のもつ「音のまろやかさ、なつかしさ」は、竹製近代楽器である現在の尺八が失ってしまったものです。「精神性」を問題にするなら、全ての楽器に「あえて理屈つけすれば出来る」程度のものでしかないですが、それでも古管は「膏薬の着きやすい楽器」という特性も否定出来ないでしょう。
ですから古管は古管で良いのです。それらの中には、一部の尺八であっても現在の尺八が失っている「別の価値観」に立脚する美しさを確かに所有する物が存在しています。でも区別が無くて良いとは思いません。
そういった意味で、次回の上海展示会には、ね色の石田さんの御協力を得て、中古尺八と古管のオークションを行います。今の「偽物」が出始めた古管市場にも、この辺で注意喚起をしなければならないでしょう。古管の「解説と見方」を合わせて説明します。
古管にはオークションの結果、たとえスゴイ高額値がついても良いと思います。ここは普及と関係ないですからね、ただ、そこでもルールが必要だと思います。相手が見る目の無い外国人(新管では同じようなものですが、古管となると日本のマニアは目が肥えています)相手に「贋作商売」をするのは、この辺りでストップをかけねばならないでしょう。
中古でもマトモなら私がとやかく言う事ではありません。けどヒドイ物が多すぎる。「ノークレーム、ノーリターン」で、ろくに修理も施していない物が「楽器としての尺八」として出回っています。
この事情は中国でも同じです。中国の尺八ファンの大半は、日本製の新管を買えなくて、安い中古をネットオークションで買っています。
よく「中国人の金満ぶり」が話題になりますが、一部にそういう人がいると言うだけで、中国全体から見たらホンの一握りの層でしかありません。中国国民の平均所得は日本や西欧の、まだ20~30パーセントでしかないのです。それも「過大である」と推定される公式発表の数字が正しいとしてです。
中古尺八とは、また違った理由で、ここのところ需要が増大しているのが古管です。今、中国では琴古、古童、琴童、古鏡といった銘柄だと50万円を越える高値で取引されています。こういった銘の管は強いて言えば、これまでの日本でも「売れない事は無かった尺八」です。黒沢琴古作の本物なら今までの日本でも、それこそ苦労なく売ることが出来ました。
でも、平成に入っての日本では「古管マニア」が激減して、10年前だと、余程に名の通った物でないと、中古尺八は売るのに苦労しました。同じく中国で人気の山口四郎とか井上重美、神如道(あくまで焼き印)といった銘は、一昔前の日本市場だと買い手がつかなかったものです。
中国では30~60万円で、すぐ売れる西村虚空管なんか、かつての日本では「ガラクタ扱い」でしたぜ。西村虚空と言う名、あるいは門田笛空あるいは桜井無笛なんか日本の尺八吹きでも知ってる人は絶対5パーセント以下です。こういう人達の作った尺八が今の中国では「すぐ売れる人気銘柄」なのです。
特に驚くのは蘭畝より勝也銘の方に人気が有る事です。横山勝也の名は中国では「神様扱い」だと言う事でしょうかね・・・。
「古管が再評価されている」と言うのだと良いのですが、果たしてそうでしょうか?私には骨董収集、「好事家趣味」に思えるのです。それは全く結構な事なのですが、その骨董が実用品と区別されない点を私は問題にしているのです。
古管が一概に悪い物だとは言いません。でも、夥しいガラクタの中から一握りの「まともな物」を取り出す様なものでしょう。私や多くのプロ尺八製作家が「こんなんじゃ他のマトモナ世界からは相手にされなくなる」と思い、何十年もかかって乗り越えてきた道の逆戻りは、なんか抵抗が有りますね。
古管の良い点、面白い点、それは個性的だというに尽きるでしょう。[邦楽の音程を保存している」などの言はタワゴトにすぎませんが、見所は楽器が西洋化する以前の「おおらかさ」と言ったものです。ソフトが本曲、せいぜいがプラス三曲だった時代には、また現在の尺八と違った楽器観の上に成立していましたから、それを現在の価値観で云々するのは良くない事でしょう。
古管のもつ「音のまろやかさ、なつかしさ」は、竹製近代楽器である現在の尺八が失ってしまったものです。「精神性」を問題にするなら、全ての楽器に「あえて理屈つけすれば出来る」程度のものでしかないですが、それでも古管は「膏薬の着きやすい楽器」という特性も否定出来ないでしょう。
ですから古管は古管で良いのです。それらの中には、一部の尺八であっても現在の尺八が失っている「別の価値観」に立脚する美しさを確かに所有する物が存在しています。でも区別が無くて良いとは思いません。
そういった意味で、次回の上海展示会には、ね色の石田さんの御協力を得て、中古尺八と古管のオークションを行います。今の「偽物」が出始めた古管市場にも、この辺で注意喚起をしなければならないでしょう。古管の「解説と見方」を合わせて説明します。
古管にはオークションの結果、たとえスゴイ高額値がついても良いと思います。ここは普及と関係ないですからね、ただ、そこでもルールが必要だと思います。相手が見る目の無い外国人(新管では同じようなものですが、古管となると日本のマニアは目が肥えています)相手に「贋作商売」をするのは、この辺りでストップをかけねばならないでしょう。
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