一つの時代の終わり
- 2018/08/30
- 23:05
青木鈴慕先生が亡くなってしまいました。御逝去は8月21日。昨日一昨日と葬儀に行って参りました。山口五郎、横山勝也、山本邦山、そして青木鈴慕、皆逝ってしまいました。気がついたら、とっくに老人の部類に入る私達が残されていました。
私の心境、「荒野にたたずむ」ではないですよ。もう覚悟もしていましたし・・・。でも寂しい。
青木鈴慕、この人こそは私は尺八史上の最高の名人だと思っています。青木先生は人に厳しく、また怒りの感情を制御出来ない人でした。その為、自分勝手で気難しく、すぐ激怒して怒鳴る、そういうマイナスイメージを多くの人達に与えていました。でも考えてみてください、それだけだったら、あんなに多くの人から慕われたわけが無いでしょう。
青木先生のプラス面。大変に面倒見が良い、人情家、怒っても後に引きずらない、頭が良く鋭い勘を持っていたので話が面白く、また物事の本質にズバリ切り込む。人を喜ばせるのが好き、茶目っ気の有る性格とか、良い所も数え切れません。
その演奏たるや性格のままでした。音の基調は冷たく金属的です。その立ち上がりの鋭さたるや比類が有りません。でも暖かく和ませる音が同時存在しています。演奏も計算しつくされている様でいて、遊びが入るのは天性の茶目っ気でしょう。
先生の演奏が高雅な雰囲気に満ちていたのは、その切れ味の良さと同時に「はずみ」をつけない点に有りました。私は、他の所は、到底先生の真似は出来ないので、せめてその「はずみ」を入れない所だけでも、そう思って常に演奏時には心がけてきました。
一度、夕顔の演奏で先生の「茶目っ気」を真似て手事を吹きました。優秀賞をいただき、後日、御はがきも頂戴しました。「面白い」、けど「オチャメ」をやったのは、その一回限りです。調子に乗って何度もやると「野暮」になり、先生は、そういうのを嫌います。
葬儀の時に、三つの音会の柴山先生にお話した事。「今年の初めからユーチューブに福田栄香先生と三世古童の末の契りがあがっています。昭和8年の演奏ですがチャンと音の処理もしてあって、これぞ地歌という演奏です」。
柴山先生は栄香先生の歌を聴いただけで今でも涙が出てくるそうです。
三世荒木古童。故青木鈴慕が「尺八史上最高の名人」と讃えた、この不世出の尺八家の演奏を聴く度に、随所に青木先生が影響を受けていたことが分かります。
私の心境、「荒野にたたずむ」ではないですよ。もう覚悟もしていましたし・・・。でも寂しい。
青木鈴慕、この人こそは私は尺八史上の最高の名人だと思っています。青木先生は人に厳しく、また怒りの感情を制御出来ない人でした。その為、自分勝手で気難しく、すぐ激怒して怒鳴る、そういうマイナスイメージを多くの人達に与えていました。でも考えてみてください、それだけだったら、あんなに多くの人から慕われたわけが無いでしょう。
青木先生のプラス面。大変に面倒見が良い、人情家、怒っても後に引きずらない、頭が良く鋭い勘を持っていたので話が面白く、また物事の本質にズバリ切り込む。人を喜ばせるのが好き、茶目っ気の有る性格とか、良い所も数え切れません。
その演奏たるや性格のままでした。音の基調は冷たく金属的です。その立ち上がりの鋭さたるや比類が有りません。でも暖かく和ませる音が同時存在しています。演奏も計算しつくされている様でいて、遊びが入るのは天性の茶目っ気でしょう。
先生の演奏が高雅な雰囲気に満ちていたのは、その切れ味の良さと同時に「はずみ」をつけない点に有りました。私は、他の所は、到底先生の真似は出来ないので、せめてその「はずみ」を入れない所だけでも、そう思って常に演奏時には心がけてきました。
一度、夕顔の演奏で先生の「茶目っ気」を真似て手事を吹きました。優秀賞をいただき、後日、御はがきも頂戴しました。「面白い」、けど「オチャメ」をやったのは、その一回限りです。調子に乗って何度もやると「野暮」になり、先生は、そういうのを嫌います。
葬儀の時に、三つの音会の柴山先生にお話した事。「今年の初めからユーチューブに福田栄香先生と三世古童の末の契りがあがっています。昭和8年の演奏ですがチャンと音の処理もしてあって、これぞ地歌という演奏です」。
柴山先生は栄香先生の歌を聴いただけで今でも涙が出てくるそうです。
三世荒木古童。故青木鈴慕が「尺八史上最高の名人」と讃えた、この不世出の尺八家の演奏を聴く度に、随所に青木先生が影響を受けていたことが分かります。
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