褒める
- 2018/09/10
- 18:00
テニスの大阪ナオミの快挙に日本中が沸いていますな。別に私はテニスファンではないので、とりたてての感慨も有りませんが、それでも大したもんだと思います。彼女も凄いけど、そのドイツ人コーチのバインさんという人、何人もの選手を一流に育てているそうじゃありませんか。
そのバインさん、選手としてはランク1100位程度だったらしいですね。だから、さっさと見切りををつけて指導する側にまわったんですと。その指導は俗に云う「褒めて伸ばす」というようなものですとよ。
褒めるのと叱るのと、どっちが良いのでしょうか、ともかく言える事は、名選手が必ずしも名コーチではないですわな。私の経験では、天才的な才能を持った人って、他人がどうして出来ないのか分からなくて、しばしばイラつくみたいです。自分の事を言ってるんじゃありませんぜ、私って、アナタ方が思うよりズット謙虚ですよ。
ほとんどの大学邦楽部の出身者がそうであったように、私が初めて尺八を他人に教えたのは、大学2年の時でした。考えてみたら大学では毎年新入生が入りますから、、誰もがキャリア数か月で他人にコーチするんですな、こりゃ上手くなるわけだわ。3年になる時点だと、もう吹奏力では当時の大方の尺八師範は問題にならなかったですね。これは、ほとんどの大学生尺八吹きが実感していたことです。当時の大学クラブから、そのままプロになった人も多いですが、そういう連中は、その頃の尺八界だと3年生になった時でトップ1パーセントに入っていたでしょうね。
私の代の法政大学三曲会の尺八は6人、うち4人は卒業までいました。一番上手かったのは・・・、マア言うまでも無い事だから「言わぬが華」です。でも、誰が一番音楽センスがあったかって言うと、私は吉田(ネズミ男)だと思っていました。この男は練習嫌い、と言うより「邦楽」があまり好きではなかったみたいです。部室でもギターを抱えて、当時流行していたフォークをよく歌っていました。
それで一度喧嘩になりかけましたな、「大橋よ、こういう歌も良いと思わないか?」、「オレ、そういうの軽蔑してんだ」、「どこがだ、ハッキリ言ってみろ」。
フォークは嫌いでしたが、それよりカボソイ裏声を出して自分に酔って歌っている吉田のフォークが嫌いだったんです。だってそうでがしょう、物凄い醜男のくせに、私と同じナルシストだというだけで許せないですよ。ヤツにそんな資格は無い。
吉田は決して他人と争う様な男ではありませんが、不思議と私とだけは、よく言い争いをして後輩に不思議がられていました。でも同期や先輩なら知っていた様に、きわめて仲は良かったのです。でも、たがいに遠慮しない関係だったんでしょうね。
ヤツの顔については私にもいささかの責任が有ります。4年になる春休みの合宿で、練習時間になっても2日酔いで起きてこない吉田を、いくら怒鳴ってもラチがあかないので、3,4人で顔を踏んずけて起こした事が有ります。それ以来ですよ、ヤツがあんな顔になってしまったのは・・・。
ただ、この男、後輩の指導は極めて上手い。基本的に音楽センスが良いだけでなく、絶対にイラついたり怒ったりしない。自分では練習不足で音が出ないが、指摘の的確さは、そばで聞いていて感心しました。それで相手が出来ると実に上手に褒めます。クラブでは正座の練習が決まりでしたが、彼の指導だと2つ折りした座布団を足の下に入れても良い、同じ事をくどくど言わない、出来ない手さばきを繰り返しやらせたりしない等、諸事に緩いものでした。それだから後輩達は彼のコーチを喜んでいましたが、私達は「もっとちゃんとやれ」と思っていました。
私達は今考えると練習時にはテンパっていた様に思います。吉田とは25歳まで一緒に暮らし、同じ仕事をしていましたので、彼の尺八に対する考えは分かりましたが、大体こういう事だと思います。
多くの人は邦楽は嫌い、何年かやって大筋は理解出来ても、なお他の音楽との比較選択では敢えて選ぶ対象とはならない。だからこそ卒業したら聴きもしなくなる。それに、そもそもクラブはプロ養成所ではない、頑張ってやろうと思う人間ばかりではない、人間関係で繋がっている者、一つの楽器が段々コントロール出来る事に率直な喜びを見出している者、明日やめようと思っている者など様々、だから「音楽としては、つまんねえな」と思っている人達の居場所は「邦楽は正直言えばつまらないけど、それでも仲間といるのが楽しいし、段々楽器や譜面を操れるようになるのが面白い」、ここに在ると思う。だからこそ楽しくやる事が肝心。邦楽が好きで頑張ってやるヤツはホットイテモやる。
これからの日本の尺八界はホットイテモこうなると思います。、教授産業としての尺八が行き止まりになってカルチャーに主体が移った以上は、これ以外の在り方では、たぶん生き残れないのでしょう。楽しく、気楽に、和気あいあいと・・・。
そのバインさん、選手としてはランク1100位程度だったらしいですね。だから、さっさと見切りををつけて指導する側にまわったんですと。その指導は俗に云う「褒めて伸ばす」というようなものですとよ。
褒めるのと叱るのと、どっちが良いのでしょうか、ともかく言える事は、名選手が必ずしも名コーチではないですわな。私の経験では、天才的な才能を持った人って、他人がどうして出来ないのか分からなくて、しばしばイラつくみたいです。自分の事を言ってるんじゃありませんぜ、私って、アナタ方が思うよりズット謙虚ですよ。
ほとんどの大学邦楽部の出身者がそうであったように、私が初めて尺八を他人に教えたのは、大学2年の時でした。考えてみたら大学では毎年新入生が入りますから、、誰もがキャリア数か月で他人にコーチするんですな、こりゃ上手くなるわけだわ。3年になる時点だと、もう吹奏力では当時の大方の尺八師範は問題にならなかったですね。これは、ほとんどの大学生尺八吹きが実感していたことです。当時の大学クラブから、そのままプロになった人も多いですが、そういう連中は、その頃の尺八界だと3年生になった時でトップ1パーセントに入っていたでしょうね。
私の代の法政大学三曲会の尺八は6人、うち4人は卒業までいました。一番上手かったのは・・・、マア言うまでも無い事だから「言わぬが華」です。でも、誰が一番音楽センスがあったかって言うと、私は吉田(ネズミ男)だと思っていました。この男は練習嫌い、と言うより「邦楽」があまり好きではなかったみたいです。部室でもギターを抱えて、当時流行していたフォークをよく歌っていました。
それで一度喧嘩になりかけましたな、「大橋よ、こういう歌も良いと思わないか?」、「オレ、そういうの軽蔑してんだ」、「どこがだ、ハッキリ言ってみろ」。
フォークは嫌いでしたが、それよりカボソイ裏声を出して自分に酔って歌っている吉田のフォークが嫌いだったんです。だってそうでがしょう、物凄い醜男のくせに、私と同じナルシストだというだけで許せないですよ。ヤツにそんな資格は無い。
吉田は決して他人と争う様な男ではありませんが、不思議と私とだけは、よく言い争いをして後輩に不思議がられていました。でも同期や先輩なら知っていた様に、きわめて仲は良かったのです。でも、たがいに遠慮しない関係だったんでしょうね。
ヤツの顔については私にもいささかの責任が有ります。4年になる春休みの合宿で、練習時間になっても2日酔いで起きてこない吉田を、いくら怒鳴ってもラチがあかないので、3,4人で顔を踏んずけて起こした事が有ります。それ以来ですよ、ヤツがあんな顔になってしまったのは・・・。
ただ、この男、後輩の指導は極めて上手い。基本的に音楽センスが良いだけでなく、絶対にイラついたり怒ったりしない。自分では練習不足で音が出ないが、指摘の的確さは、そばで聞いていて感心しました。それで相手が出来ると実に上手に褒めます。クラブでは正座の練習が決まりでしたが、彼の指導だと2つ折りした座布団を足の下に入れても良い、同じ事をくどくど言わない、出来ない手さばきを繰り返しやらせたりしない等、諸事に緩いものでした。それだから後輩達は彼のコーチを喜んでいましたが、私達は「もっとちゃんとやれ」と思っていました。
私達は今考えると練習時にはテンパっていた様に思います。吉田とは25歳まで一緒に暮らし、同じ仕事をしていましたので、彼の尺八に対する考えは分かりましたが、大体こういう事だと思います。
多くの人は邦楽は嫌い、何年かやって大筋は理解出来ても、なお他の音楽との比較選択では敢えて選ぶ対象とはならない。だからこそ卒業したら聴きもしなくなる。それに、そもそもクラブはプロ養成所ではない、頑張ってやろうと思う人間ばかりではない、人間関係で繋がっている者、一つの楽器が段々コントロール出来る事に率直な喜びを見出している者、明日やめようと思っている者など様々、だから「音楽としては、つまんねえな」と思っている人達の居場所は「邦楽は正直言えばつまらないけど、それでも仲間といるのが楽しいし、段々楽器や譜面を操れるようになるのが面白い」、ここに在ると思う。だからこそ楽しくやる事が肝心。邦楽が好きで頑張ってやるヤツはホットイテモやる。
これからの日本の尺八界はホットイテモこうなると思います。、教授産業としての尺八が行き止まりになってカルチャーに主体が移った以上は、これ以外の在り方では、たぶん生き残れないのでしょう。楽しく、気楽に、和気あいあいと・・・。
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