風水
- 2018/09/29
- 17:02
今年の2月、展示会で上海に行ったおり、お客の中国人の誕生会に招待されました。その人は個人営業の建築士で、かなり羽振りが良い様子でした。
自宅兼事務所での12,3人の仲間を呼んでのパーティーに招かれたのです。その時、何気なく壁一面の本棚に目をやると、半分は建築関係の書籍でしたが、後の半分は驚くなかれ風水の本でした。中には易経などの真面目な本(内容が非科学的でも編集の意図は真面目でしょう)も並んでいます。
しばらく易や風水について話をしましたが、話が弾んで、奥から立派な風水盤を持ちだしてきました。それが香港や台湾で簡単に買える子供だましのチャチイ物では無く、豪華で複雑極まる品です。たとえ構造が単純でも複雑でも本質に違いは無いのでしょうが、それでも見てくれが立派だと、「信用」の度合いも違うように思います。香港の夜店で売っている風水盤や風水塔と違って、私みたいな者でも何となく有難みを感じる立派な物でした。
私は風水自体は全くの迷信だと思っていますが、そのビジネス構造には興味が有ります。日本では多くの人達に眉に唾を付けられている風水を、一つのビジネスとして成功させたドクター・コパみたいな人もいますし、そもそも、その昔には本気で信じられていたのでしょう。「平安京が風水に基ずいて造られた」と言う説は、ある程度は信じても良いと思いますし、風水だけでなく、この種のものがマトモに信じられていた時代が有った事までは否定できません。だからって、「江戸が風水都市だ」とまで言うと世の中のトンデモさんしか相手にしなくなります。でもトンデモさんやオカちゃんに顧客を限定してさえ成り立つ、そういうビジネス構造に私は興味が有るんです。
話しているうちに分った事。それは建築士当人が信じている、いないを別にして、今の中国では風水の知識無しに建築業は営めないという事です。
これまで、うっかり見過ごしてきましたが、「どうして香港に行くと、いたる所に占い所が有って、風水グッズが売られているか?」、「バカが多いからだろう」ではなく、この疑問をもっと前から誰かに訊くべきだったと思いました。
考えてみたら簡単です。香港は土地が狭く、ビルを建てるのに、そうそう適した土地が有るわけでは無い。どうしても風水上の悪い場所でも建てざるをえない。そこで建築士に「方違えの知識」が必要となるのです。「自分なら土地の吉凶も見れますし、方角の悪い土地を良い土地に変えられる。その為には、こういう方法が有ります」とかやるわけです。
「迷信だ」とか言っても始まりませんぜ。相手は何千万、何億もの金をかけて家やビルを建てるんですもの、「縁起が悪い」で値引きを求められたり、買い手がつかなくなったらお手上げです。それを回避する為なら、少々の金を出し惜しみしますかいな。かくて、「どんな大きな建築会社にも必ず風水師がいる」という構図が出てきたわけですな。中国本土でも、これと全く一緒です。風水を信じていなくとも肝心なのは、「費用対効果」でリスク管理です。
私のお客の建築士は、どうも信じていたみたいです。「アホか」と言いますかい? でもね、日本だって個人はともかく、会社だと地鎮祭はやるでしょう。今では一種の儀式ですが、時代を遡るほど「何となく方位は気になる」という人も多かったのでしょう。
昭和8年に松下電気、今のパナソニックですわ、それが門真に移転した頃、そこは広大な空き地がゴロゴロしていたといいます。その理由の一つに、「門真は大阪の鬼門にあたるため、企業が進出をためらっていた」と言うのが有ったそうです。確かに門真は大阪の鬼門(東北)ですわ。この辺り、トンデモ風水屋(トンデモでない風水屋の有無は別として)が「江戸城の鬼門封じは寛永寺」とか宣うのと違って、本当に門真は大阪中心部の北東です。
私のお客、易学の大家K先生、尺八では新都山流所属でした。2014年の10月のブログでも書きましたが、易に関しては日本有数の碩学でありながら、そのくせ御本人は「筮竹なんかで人間の運命が分かってたまるか」と公言する人でした。でも、その「飯のタネ」は、「悪い方角に、封じる杭を打つ」でしたから、形は違っても、日本でも商売になるのでしょう。こういう人の心の内面に入りこんだ「伝統」は、容易くは払拭されないのだと思います。
尺八音楽は「伝統」と主張する人が言うほど「伝統芸術」かどうかは別にして、やはり「日本の伝統芸術」と言う事が「売り物」の一部ではあるのでしょう。「伝統」という言葉にイカガワシサを感じる人が多いのは分かりますが、大いに魅力を感じる人だっていたからこそ、今まで商売になってきたのです。
大切なのは、口だけの伝統ではなく、やはり「売る」からには、しっかり「伝統」を学ぶことだと思います。中国の建築士は易学をしっかり勉強していますぜ。そうでなければ競争に勝てやしませんわ。学ぶことを疎かにして、口先だけで「伝統」を売ってきた尺八界が、その「伝統芸」の方面では他人から相手にされなくなったのは当然ですな。
本人が信じていようがいなかろうが、仮にも商売にするのなら、せめて相手に「信じたい」と思わせましょうや。夜店で売っているレベルの風水盤じゃ到底人は納得しませんぜ。
自宅兼事務所での12,3人の仲間を呼んでのパーティーに招かれたのです。その時、何気なく壁一面の本棚に目をやると、半分は建築関係の書籍でしたが、後の半分は驚くなかれ風水の本でした。中には易経などの真面目な本(内容が非科学的でも編集の意図は真面目でしょう)も並んでいます。
しばらく易や風水について話をしましたが、話が弾んで、奥から立派な風水盤を持ちだしてきました。それが香港や台湾で簡単に買える子供だましのチャチイ物では無く、豪華で複雑極まる品です。たとえ構造が単純でも複雑でも本質に違いは無いのでしょうが、それでも見てくれが立派だと、「信用」の度合いも違うように思います。香港の夜店で売っている風水盤や風水塔と違って、私みたいな者でも何となく有難みを感じる立派な物でした。
私は風水自体は全くの迷信だと思っていますが、そのビジネス構造には興味が有ります。日本では多くの人達に眉に唾を付けられている風水を、一つのビジネスとして成功させたドクター・コパみたいな人もいますし、そもそも、その昔には本気で信じられていたのでしょう。「平安京が風水に基ずいて造られた」と言う説は、ある程度は信じても良いと思いますし、風水だけでなく、この種のものがマトモに信じられていた時代が有った事までは否定できません。だからって、「江戸が風水都市だ」とまで言うと世の中のトンデモさんしか相手にしなくなります。でもトンデモさんやオカちゃんに顧客を限定してさえ成り立つ、そういうビジネス構造に私は興味が有るんです。
話しているうちに分った事。それは建築士当人が信じている、いないを別にして、今の中国では風水の知識無しに建築業は営めないという事です。
これまで、うっかり見過ごしてきましたが、「どうして香港に行くと、いたる所に占い所が有って、風水グッズが売られているか?」、「バカが多いからだろう」ではなく、この疑問をもっと前から誰かに訊くべきだったと思いました。
考えてみたら簡単です。香港は土地が狭く、ビルを建てるのに、そうそう適した土地が有るわけでは無い。どうしても風水上の悪い場所でも建てざるをえない。そこで建築士に「方違えの知識」が必要となるのです。「自分なら土地の吉凶も見れますし、方角の悪い土地を良い土地に変えられる。その為には、こういう方法が有ります」とかやるわけです。
「迷信だ」とか言っても始まりませんぜ。相手は何千万、何億もの金をかけて家やビルを建てるんですもの、「縁起が悪い」で値引きを求められたり、買い手がつかなくなったらお手上げです。それを回避する為なら、少々の金を出し惜しみしますかいな。かくて、「どんな大きな建築会社にも必ず風水師がいる」という構図が出てきたわけですな。中国本土でも、これと全く一緒です。風水を信じていなくとも肝心なのは、「費用対効果」でリスク管理です。
私のお客の建築士は、どうも信じていたみたいです。「アホか」と言いますかい? でもね、日本だって個人はともかく、会社だと地鎮祭はやるでしょう。今では一種の儀式ですが、時代を遡るほど「何となく方位は気になる」という人も多かったのでしょう。
昭和8年に松下電気、今のパナソニックですわ、それが門真に移転した頃、そこは広大な空き地がゴロゴロしていたといいます。その理由の一つに、「門真は大阪の鬼門にあたるため、企業が進出をためらっていた」と言うのが有ったそうです。確かに門真は大阪の鬼門(東北)ですわ。この辺り、トンデモ風水屋(トンデモでない風水屋の有無は別として)が「江戸城の鬼門封じは寛永寺」とか宣うのと違って、本当に門真は大阪中心部の北東です。
私のお客、易学の大家K先生、尺八では新都山流所属でした。2014年の10月のブログでも書きましたが、易に関しては日本有数の碩学でありながら、そのくせ御本人は「筮竹なんかで人間の運命が分かってたまるか」と公言する人でした。でも、その「飯のタネ」は、「悪い方角に、封じる杭を打つ」でしたから、形は違っても、日本でも商売になるのでしょう。こういう人の心の内面に入りこんだ「伝統」は、容易くは払拭されないのだと思います。
尺八音楽は「伝統」と主張する人が言うほど「伝統芸術」かどうかは別にして、やはり「日本の伝統芸術」と言う事が「売り物」の一部ではあるのでしょう。「伝統」という言葉にイカガワシサを感じる人が多いのは分かりますが、大いに魅力を感じる人だっていたからこそ、今まで商売になってきたのです。
大切なのは、口だけの伝統ではなく、やはり「売る」からには、しっかり「伝統」を学ぶことだと思います。中国の建築士は易学をしっかり勉強していますぜ。そうでなければ競争に勝てやしませんわ。学ぶことを疎かにして、口先だけで「伝統」を売ってきた尺八界が、その「伝統芸」の方面では他人から相手にされなくなったのは当然ですな。
本人が信じていようがいなかろうが、仮にも商売にするのなら、せめて相手に「信じたい」と思わせましょうや。夜店で売っているレベルの風水盤じゃ到底人は納得しませんぜ。
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