今は読む人もいない『南総里見八犬伝』。私らの子供時代はチャンバラゴッコが流行っていましたからね、「学校低能児」のランキング上位の者でも、大雑把なスジは知っていました。映画とか老人の夜話とかでしょうよ。ですから、字も書いてないけどビー玉を霊玉だと言う事にして、「俺は八犬士の誰々だ」とかやったものです。良くしたもので、大概は名前に霊玉の一字が含まれていたので、スンナリ決まったものでした。ちなみに私の本名は孝幸なので、孝すなわち犬塚信乃ですな。ただ悌とか仁、それと戦後の生まれなので忠もいませんでした。でも忠は犬山道節なので希望者は多かったのです。子供だから忍術使いは人気が有るんですよ。
犬塚信乃と犬坂毛野は始めは女装ですな。「子供は女の子として育てると丈夫に育つ」、」こういう各種の迷信に基づく習慣は幼児の死亡率の高かった戦前までは有ったらしいのですが、もう当時(昭和30年代)では「変態趣味」でした。中学高校は男子校でしたので、学園祭でやむをえずオンナ役をやった演劇部のヤツ、後の数か月、ほとぼりが冷めるまでは地獄が待っていましたぜ。
今は「オカマ芸」も人が楽しんでくれます。
インターネット動画で見た人もいるかと思いますが、台湾で振袖を着て、振り付け入りで美空ひばりの「乱れ髪」尺八でを吹いているオジサンがいます。前の台湾尺八協会の会長さんで、別に女装が趣味ではありません。でも芸として、とても面白い。私も台湾で実見して感心しました。日本ならテレビで金をとれる。
ところで、私の住んでいる街周辺に出没するオッサン。推定40歳、ガタイも良い。それでオカッパ頭、膝上20センチの女子高生の制服を着て、だれかれ構わず大声で声をかけながら街を徘徊しているんです。この人については2説有ります。「単なる変態」、そしていま一つ、「売名目的」。そんなのが売名になるか?ですと。なりましょうよ。テレビなんかで「恐妻」、「霊感」、そして「オカマ」、いろんなキャラを偽造してまで売っている人達がいますな、そういう路線で、そのうちに雑誌、テレビなんかで採り上げられるとの思惑ではないかと、私はじめ疑う人もいます。だってヤリスギなんですもの・・・。たぶん演技ですよ。
尺八も今はパフォーマンスを大きく取り入れられる時代になりました。6年前の京都での「尺八世界王座決定戦」で一位をとった『認定世界一」の岩田卓也さんが、そのコンクールで披露したパフォーマンスについては、審査員10人の中でも評価が割れました。あれから6年経った今では尺八界もパフォーマンスが大流行りです。
パフォーマンスをやって何か悪い事って有りますか?私は、もっと過激なパフォーマンスをやって世の「心有る」尺八吹きの眉を顰めさせるくらいの人が出てくるのを待望しています。ナニ心配しなくとも芸無しなら、すぐ消えますって。むしろ尺八では芸無しで「正統性」だけが売り物だった人達が消えなかった昭和までの時代の方が問題だと思います。
「それは分ったけどよ、それで何で八犬伝なんだよ?」ですと。青木鈴慕先生の葬儀の日に石井透山さんに会ったんですよ。私と同じく鈴慕会ですが、日本尺八連盟の2人しかいない技術指導員でもあります。学生邦楽出身という事も共通しています。駒沢大学ですから曹洞宗の方が多く、彼も5百年続く曹洞宗のお寺の住職です。彼の館山に在る慈音院、南総里見家の菩提寺なんですよ。
八犬伝には尺八が出てきます。名笛嵐山、一節切です。また犬山道節の乳兄弟に尺八と云う名の人物がいて、その奥さんが単節(ひとよ)です。
19世紀、江戸の後期と言うより晩期に近い時代。神谷潤亭が「ひとよぎり復興運動」をやり、なおかつ成功しなかった時代でもあります。でも、多くの人は「尺八」という言葉に、なお一節切を連想していたのですね。
今、時代を経ましたんで、一節切が廃れた時代、神谷潤亭が復興に奮闘していた時代の事がピンときません。でも、多くの人が、まだ記憶の中に一節切をとどめていた時代でもあるんです。つまり「皆が知っていて退勢に歯止めがかからなかった時代」なのです。
『南総里見八犬伝』は明治の文士達には評判の悪い小説です。坪内逍遥、二葉亭四迷、志賀直哉などがコケにしていたことは有名です。彼らは新しい文学を成立させる為にも、「八犬伝」は何としても乗り越えなければならないものだったのです。
その後、30年かかって近代文学には必須の文章日本語も確立しました。もし彼らの努力が無ければ、あと数十年は「八犬伝」のままです。ですから、「復興」では駄目なんですよ。目に見えない努力を積んででも新天地を開かなければ。
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