因果は巡る
- 2018/12/09
- 17:58
私の子供の頃、60年前、その頃は何をやるにせよ、「傷ついた」だの言う人はいませんでしたし、まして人権云々だとかは、裁判にでもならない限り一顧だにされなかったものです。その証拠に見世物小屋の呼び込み、「可哀そうなのはコノ子にござい、親の因果が子に報い・・・」ですからね。「親が悪い事をした故に、その報いが子に現れてカタワモノや知恵遅れになった」てんですから、これは現代医学に対する明らかな挑戦で、ネオナチや極右翼が小躍りして喜ぶ「優生思想」ですがな。
この「因果応報思想」は仏教を商売道具にした坊さんの創作でしょうが、どの時代から始まったかも分からないほどに古くからの歴史を持っています。おそらくは根は仏教の生まれる、はるか前から人間の心に宿っていたんでしょう。ただ、「整備して産業上のアイテムにしたのが坊さんだ」と言うだけです。
ただ、良く考えると、これは迷信だとばかりは言えませんぜ。林嵐山、この男が一部の心無い人達からは「梅毒庵」と呼ばれて蔑まれている事は、このブログの読者なら御存知でしょう。このアダナが付(憑いた)いたのは、それなりに歴史は古く1971年のことです。法政大学三曲会の私達の1年上に梅沢という先輩がいました。この人は温厚で親切、大変結構な人でしたが、悪い事に名前が勤なんですよ。それでクラブでは「バイキン」と呼ばれていました。そこまでなら良いんですよ、みんな呼んでいましたからね。そこを、よせば良いのに林は「スピ郎、ヘイ太、淋病軒」などと人格者の梅沢さんを侮るものですから、「梅沢さんが淋病なら、テメエは梅毒庵だ」という事で、これ以上ない不名誉なアダナがついたというわけです。まさに「因果は巡る」ですな。このアダナから比べたら私の糞尿山とか池田さんの珍念なんか、場合によっては顕彰されても良い、むしろ名誉ですよ。
このところの流や会派の急激な衰退ぶりは完全に「伝統の呪い」ですな。尺八界でよく使われる「伝統」は単なる言葉ですから、当然良い意味と悪い意味が有ります。時代や社会変化を重要なものとは考えないのですから、どうしたって先行きは「天然記念物の保護区」。もっとも一部の伝統尺八社中の様に、むしろ、それを待望する人達もいますがね。「変わらない事」を自主的に選択して、「保護区でのみの生存を許された極く一部の存在」になるのも、それはそれでエリートですけどね・・・。
何にせよ、「何となく前から続いていたから良い」というだけなら誰も苦労しやしませんわ。
今現在演奏されている尺八の古典と称する曲が、果たして、どの程度までの「古い形」であるのかは置いといて、「古い形」を、ある程度保存していることは確かでしょう。でも、もう終わった事は皆が知っています。誰も口に出さないほどに、今は当たり前になりました。これは、私や貴方が「古典曲も好きだ」と言う事と、とりあえずは無関係です。
日本型教授産業を営む上から、ある程度の必然性を持って生まれた流や会派は、その成立基盤を「権威」に置いている以上、アイデンテティを守る為に「型の保持」、「事大主義」は必須のものになります。
「ただ、もう時代に合わない、無理」、そう思っても大多数の尺八吹きにとって、口で何と嘆こうと所詮は他人事。流の思想基盤を問題にして周りと悶着を起こしてまで、「改革案」を口にしませんや。
流や会派による「伝統」の創作が悪い事だなんて私は思わないです。でも尺八界の悲劇ですかね、全構成員の99パーセントが尺八では生活していない人達。それも多くが社会経験豊富な成人男性。ですから「お茶やお花を見てみろ。何で尺八の流だけ、あれこれ言われなくちゃならないんだ」とか言うのは見当外れなんですよ。流や会派の正体なんて本当は分っています。その上で「オレとは関係無い」と思っているから口に出さないんです。
「流みたいな纏まったパワーも社会的な存在感顕示の為には必要」と、むしろ親身になって心配しているのは、私達プロなんですわ。ある程度は流や会派とは運命共同体ですからね。
「因果は巡る」とか言ったって、流は教授産業の便宜的な必要から出てきたわけですから、その発生期に、流そのものを創った人は何も悪くない。今の運営する人達ですよ、「因果を続ける気なの?」と私が言いたいのは。因果で人を脅して、しこたま稼いだ仏教だって、変わってみたら、それは存立する上での絶対の必須アイテムではない事が明らかになりましたぞ。それどころか、あのまま一部の資産階級を対象とした「寄進ビジネス」の段階にとどまっていたら、きっと大多数の人達を別の宗教にとられていたと思いますがね。
会は個人的なものですから別として、尺八における流とかは、変わっても変わらなくても、どっちにしろ終わります。でも「人間はどっちにしろ死ぬのだから、健康に注意しなかったり、まして病気治療をしなくても良い」とは誰も思いませんでしょう。流や会派の寿命を少しでも伸ばすには、昔からの因果を断ち切って、変身するしかないよ。
この「因果応報思想」は仏教を商売道具にした坊さんの創作でしょうが、どの時代から始まったかも分からないほどに古くからの歴史を持っています。おそらくは根は仏教の生まれる、はるか前から人間の心に宿っていたんでしょう。ただ、「整備して産業上のアイテムにしたのが坊さんだ」と言うだけです。
ただ、良く考えると、これは迷信だとばかりは言えませんぜ。林嵐山、この男が一部の心無い人達からは「梅毒庵」と呼ばれて蔑まれている事は、このブログの読者なら御存知でしょう。このアダナが付(憑いた)いたのは、それなりに歴史は古く1971年のことです。法政大学三曲会の私達の1年上に梅沢という先輩がいました。この人は温厚で親切、大変結構な人でしたが、悪い事に名前が勤なんですよ。それでクラブでは「バイキン」と呼ばれていました。そこまでなら良いんですよ、みんな呼んでいましたからね。そこを、よせば良いのに林は「スピ郎、ヘイ太、淋病軒」などと人格者の梅沢さんを侮るものですから、「梅沢さんが淋病なら、テメエは梅毒庵だ」という事で、これ以上ない不名誉なアダナがついたというわけです。まさに「因果は巡る」ですな。このアダナから比べたら私の糞尿山とか池田さんの珍念なんか、場合によっては顕彰されても良い、むしろ名誉ですよ。
このところの流や会派の急激な衰退ぶりは完全に「伝統の呪い」ですな。尺八界でよく使われる「伝統」は単なる言葉ですから、当然良い意味と悪い意味が有ります。時代や社会変化を重要なものとは考えないのですから、どうしたって先行きは「天然記念物の保護区」。もっとも一部の伝統尺八社中の様に、むしろ、それを待望する人達もいますがね。「変わらない事」を自主的に選択して、「保護区でのみの生存を許された極く一部の存在」になるのも、それはそれでエリートですけどね・・・。
何にせよ、「何となく前から続いていたから良い」というだけなら誰も苦労しやしませんわ。
今現在演奏されている尺八の古典と称する曲が、果たして、どの程度までの「古い形」であるのかは置いといて、「古い形」を、ある程度保存していることは確かでしょう。でも、もう終わった事は皆が知っています。誰も口に出さないほどに、今は当たり前になりました。これは、私や貴方が「古典曲も好きだ」と言う事と、とりあえずは無関係です。
日本型教授産業を営む上から、ある程度の必然性を持って生まれた流や会派は、その成立基盤を「権威」に置いている以上、アイデンテティを守る為に「型の保持」、「事大主義」は必須のものになります。
「ただ、もう時代に合わない、無理」、そう思っても大多数の尺八吹きにとって、口で何と嘆こうと所詮は他人事。流の思想基盤を問題にして周りと悶着を起こしてまで、「改革案」を口にしませんや。
流や会派による「伝統」の創作が悪い事だなんて私は思わないです。でも尺八界の悲劇ですかね、全構成員の99パーセントが尺八では生活していない人達。それも多くが社会経験豊富な成人男性。ですから「お茶やお花を見てみろ。何で尺八の流だけ、あれこれ言われなくちゃならないんだ」とか言うのは見当外れなんですよ。流や会派の正体なんて本当は分っています。その上で「オレとは関係無い」と思っているから口に出さないんです。
「流みたいな纏まったパワーも社会的な存在感顕示の為には必要」と、むしろ親身になって心配しているのは、私達プロなんですわ。ある程度は流や会派とは運命共同体ですからね。
「因果は巡る」とか言ったって、流は教授産業の便宜的な必要から出てきたわけですから、その発生期に、流そのものを創った人は何も悪くない。今の運営する人達ですよ、「因果を続ける気なの?」と私が言いたいのは。因果で人を脅して、しこたま稼いだ仏教だって、変わってみたら、それは存立する上での絶対の必須アイテムではない事が明らかになりましたぞ。それどころか、あのまま一部の資産階級を対象とした「寄進ビジネス」の段階にとどまっていたら、きっと大多数の人達を別の宗教にとられていたと思いますがね。
会は個人的なものですから別として、尺八における流とかは、変わっても変わらなくても、どっちにしろ終わります。でも「人間はどっちにしろ死ぬのだから、健康に注意しなかったり、まして病気治療をしなくても良い」とは誰も思いませんでしょう。流や会派の寿命を少しでも伸ばすには、昔からの因果を断ち切って、変身するしかないよ。
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