引退後
- 2019/01/07
- 14:33
私みたいな自由業をやっていて、ですよ。若いのに引退後の事を考えてやってる人間は、まずいませんわな。自由業を選択する動機は、それぞれ人によって違うのでしょう。私の場合は、中学時代から「自分が中心、自分の人生、だから自分が面白いと思った事しかやらない。それでどうなろうと、オメエに迷惑はかけねえよ」という簡単な理由です。それで何とか人生を全う出来ました。人生は言うまでもなく、一回限りです。でも、仮に「もう一度」が有っても、やっぱり同じ生き方を選びますよ。
では、生まれた場所が日本じゃなかったら? 分かりませんね。もしアメリカ、西あるいは北のヨーロッパだったら、「勤め人も良い」と思ったかも知れません。
日本て、私みたいな刹那的、享楽的なタイプには、勤め人をやるのは辛いと思います。私の前後3年ずつの法政大学三曲会ОBでは、20代からの自営・自由業は、私以外には虚無僧の野入と死んだカメラ屋の後藤だけです。野入は、まあ発狂した結果ですから置くとして、後藤と私とは人生観が似てました。「サラリーマンて、生涯賃金はともかく、若い時は給料が安すぎますよ。でも楽しいのは何をおいても若い時ですから、後になって良くなる、とか言われてもネエ・・・」。これが後藤の主旨で、「そうだそうだ」と私も賛同していました。今と違って、勤め人には「生涯の安定」がまだ感覚の中で有った頃です。「イソップ物語」の「蟻とキリギリス」ですよ、日本では捉え方の意味がダイブ違いますが、その頃の日本はそういう時代だったのです。
小説家、画家、音楽家とか、あらゆる芸術・芸能産業で「プロをやってる」と言う事は「専業者」と同義語ではありません。その9割は大卒給与所得者の生涯年収に、はるか及ばないでしょう。でも「好きだから、楽しいから」やるんであって、動機はソレゾレでも、精神的な快楽を含めて「金銭的不足」を補っている、そう思えばこそ、そういう道を選んだのです。
それでも、やがて否応なしに引退の時が来ます。これまで邦楽家には「年齢による引退」は、あまり有りませんでした。「売れなくなった時が引退」も有りません。何故なら将棋や漫画家、スポーツ選手みたいなガチンコの世界では無かったからです。地位を得るのは大変でも、いったん居場所を確立してしまえば、容易くは「元の木阿弥」にはならなかったのが、この邦楽界です。ですから、新陳代謝が業界としては起こりにくかったわけです。
私自身、林嵐山(梅毒庵)を引き込むにあたって、「尺八業なら、あの世に行く前の日まで稼げるぞ」と口説いたくらいです。当然言葉通りのワケはありませんが、少なくとも、ある年齢で一律退職ということはありませんでした。ですから、演奏家、製管師のほぼ全員が国民年金です。「ほぼ」と言うのは厚生年金資格者と、今はまだ、それより多い無年金者がいるからです。あまり引退した後を考えなくて良かったのですな。
それが、この20年で様相がガラリと変わりました。伝統邦楽の市場は小さくなりましたし、この後も限りなく縮小します。そして、今の中心である「和楽器を使った現代オリジナル音楽」は、目まぐるしく人気の交代が起こります。才能を枯渇させたり古くなったりすれば、それこそアッと言う間に客が引いてしまいます。製管業だって、傍からは固定している様に見えるかも知れませんが、20年前の一流で今も通用している人って、極めて少ないのですよ。現在はまだ「営業努力の差」の方が大きいのですが、やがって商品競争力が前面に出てきます。
10年前くらいですか、邦楽ジャーナルのインタビューに「これまでの10年はだんだん苦しくなった10年、これからの10年は業界に食えなくなる者が続出する10年」と答えました。では、これからの10年は? 「必死で努力して、かつ成功した人しか報われない10年」だと思います。
「何を言ってるんだ。成功した人が報われるのは当たり前だ」と言いますかい?ここで言う「成功」は「目論見が成功」と言う事です。ですから、いつ来るかも分からない引退後を考えての計画、主として資金計画ですわな、「それをしっかりやっておけ」と言う事です。「それが出来るくらいなら苦労は無い」ですと、アホ、出来るように考えるんだよ。今の尺八界は「何世紀に一回か」と言う構造変革期なのです。必死で努力する人にだけ、これまで無かった幾つもの道が開けます。それに、プロって専業を意味しないのは、日本以外では常識ですぜ。
では、生まれた場所が日本じゃなかったら? 分かりませんね。もしアメリカ、西あるいは北のヨーロッパだったら、「勤め人も良い」と思ったかも知れません。
日本て、私みたいな刹那的、享楽的なタイプには、勤め人をやるのは辛いと思います。私の前後3年ずつの法政大学三曲会ОBでは、20代からの自営・自由業は、私以外には虚無僧の野入と死んだカメラ屋の後藤だけです。野入は、まあ発狂した結果ですから置くとして、後藤と私とは人生観が似てました。「サラリーマンて、生涯賃金はともかく、若い時は給料が安すぎますよ。でも楽しいのは何をおいても若い時ですから、後になって良くなる、とか言われてもネエ・・・」。これが後藤の主旨で、「そうだそうだ」と私も賛同していました。今と違って、勤め人には「生涯の安定」がまだ感覚の中で有った頃です。「イソップ物語」の「蟻とキリギリス」ですよ、日本では捉え方の意味がダイブ違いますが、その頃の日本はそういう時代だったのです。
小説家、画家、音楽家とか、あらゆる芸術・芸能産業で「プロをやってる」と言う事は「専業者」と同義語ではありません。その9割は大卒給与所得者の生涯年収に、はるか及ばないでしょう。でも「好きだから、楽しいから」やるんであって、動機はソレゾレでも、精神的な快楽を含めて「金銭的不足」を補っている、そう思えばこそ、そういう道を選んだのです。
それでも、やがて否応なしに引退の時が来ます。これまで邦楽家には「年齢による引退」は、あまり有りませんでした。「売れなくなった時が引退」も有りません。何故なら将棋や漫画家、スポーツ選手みたいなガチンコの世界では無かったからです。地位を得るのは大変でも、いったん居場所を確立してしまえば、容易くは「元の木阿弥」にはならなかったのが、この邦楽界です。ですから、新陳代謝が業界としては起こりにくかったわけです。
私自身、林嵐山(梅毒庵)を引き込むにあたって、「尺八業なら、あの世に行く前の日まで稼げるぞ」と口説いたくらいです。当然言葉通りのワケはありませんが、少なくとも、ある年齢で一律退職ということはありませんでした。ですから、演奏家、製管師のほぼ全員が国民年金です。「ほぼ」と言うのは厚生年金資格者と、今はまだ、それより多い無年金者がいるからです。あまり引退した後を考えなくて良かったのですな。
それが、この20年で様相がガラリと変わりました。伝統邦楽の市場は小さくなりましたし、この後も限りなく縮小します。そして、今の中心である「和楽器を使った現代オリジナル音楽」は、目まぐるしく人気の交代が起こります。才能を枯渇させたり古くなったりすれば、それこそアッと言う間に客が引いてしまいます。製管業だって、傍からは固定している様に見えるかも知れませんが、20年前の一流で今も通用している人って、極めて少ないのですよ。現在はまだ「営業努力の差」の方が大きいのですが、やがって商品競争力が前面に出てきます。
10年前くらいですか、邦楽ジャーナルのインタビューに「これまでの10年はだんだん苦しくなった10年、これからの10年は業界に食えなくなる者が続出する10年」と答えました。では、これからの10年は? 「必死で努力して、かつ成功した人しか報われない10年」だと思います。
「何を言ってるんだ。成功した人が報われるのは当たり前だ」と言いますかい?ここで言う「成功」は「目論見が成功」と言う事です。ですから、いつ来るかも分からない引退後を考えての計画、主として資金計画ですわな、「それをしっかりやっておけ」と言う事です。「それが出来るくらいなら苦労は無い」ですと、アホ、出来るように考えるんだよ。今の尺八界は「何世紀に一回か」と言う構造変革期なのです。必死で努力する人にだけ、これまで無かった幾つもの道が開けます。それに、プロって専業を意味しないのは、日本以外では常識ですぜ。
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