伝統芸能
- 2019/01/10
- 11:14
20年前に死んだジャイアント馬場。50過ぎてからの試合は「伝統芸能」と言われていました。馬場ギライの人達は悪意を込めて「盆踊りプロレス」とか言っていましたが、そこへ行くと、この「伝統芸能」という表現は、いささかの侮蔑の中に、同情と大いなる親愛の情を含んでいました。とっくに真剣勝負の偽装を放棄して「形を見せる世界」に入り込んだ、そういう意味でしょう。
馬場の全盛時代は30歳くらいまでだったと思います。公称209センチ、実際でも203、4センチくらいの身長であるにも関わらず心肺機能が強い為、1時間でも動き回れましたし、下半身の強さは後輩の坂口征二と並んで歴代プロレス界1位2位。それでいて運動神経が抜群だったので動きもスムーズ。当時では、あんな動けた2メートル超えの人っていませんでした。強いて挙げればアメフトの大スターで、膝と腰を悪くしてプロレスに転向したアーニー・ラッドくらいです。
それが30を越えると急速に衰えました。「巨人症の人は衰えが早い」とか言われますが、医者ではない私には分かりません。ともかく、その上に糖尿病を患い、腰を悪くした40前後からの試合は酷いものでした。「昔の名前でやってます・・・」という試合ぶりでしたな。「客をナメてる」と言えばそうでしょうが、馬場が出ないとチケットが売れなかったので仕方有りません。本人も辛かったと思いますよ。
そうして何の間違いか、50を越えた頃から、再び脚光を浴びました。今度は「様式をなぞる伝統芸能として」ですと・・・。そこに半ばの好意と半ばの軽侮が含まれているのは、日本人が「伝統」というものに感じる一般的感情です。
伝統芸能は、いわゆる「ガチンコの世界」ではありません。分かり易く言えば「実力一辺倒で決まる世界」ではない。ですから世襲で何代も続けられるのです。
歌舞伎役者がタレントと一緒にドラマやコマーシャルに出ていますね。そこだけ「顔の悪い人」が混じっているという感じですが、でも良く見れば、別に顔は悪くないです。ただ「普通の顔」なので、大勢の中を勝ち抜いて、そこにいる俳優やアイドルの中に混じると、顔がとても見劣りして見えるだけです。「伝統の世界」は、そういう環境で幼少時から厳しく訓練されていれば、「天才でなくても、それなりに恰好がつく」という事です。少なくとも、人並外れた才能を持った、いわゆる天才が必死で努力しなければトップをとれない世界とは違います。
「それがどうだと言うんだ。そんな事は皆が知っている」という御感想を抱かれたと思います。でも、この「物心ついた時からブッコム」、これって大切ですよ。
私の若いころ、そう40までは邦楽界に頻繫に出入りしていました。その後の様に、尺八だけとの付き合いではありませんでした。同じ邦楽と言っても、箏三味線の世界には「化物みたいな人」が沢山いたんですよね。その頃は、また一時的にクラシックのピアニスト達とも交友関係が有りましたが、そういう人達みたいな「音楽の怪物」が生息していたのが筝曲の世界です。当り前ですよ、子供の時からやっていて、そこで順次勝ち抜いてプロをやってるわけですから。
同様の人が尺八では、当時心当たりが無かったのは、ナカナカ男の場合は、子供の時から尺八を最優先で訓練する環境が作れないからです。何しろ青木鈴慕や横山勝也でも親から「尺八のプロになってはならん」と言われて育ったのですから。余程に約束された環境が無ければ、そりゃ無理ですよ。尺八では都山流、後かろうじて琴古の竹友社(川瀬)ですかね。
尺八って、今は芸大が有りますが、私の時代の尺八プロは、ほとんど大学の邦楽クラブ出身者です。この人達のほとんどは大学まで尺八と縁が有りませんでした。そして、「伝統邦楽」で生活をたててきた人達ではありません。オーダーが有れば古典邦楽も演奏するというスタンスで無いと、当時から生活は出来ませんでした。「伝統邦楽の世界」は、家元に連なる「正統派邦楽人達」の指定席でしたから、とりあえずは下積みの仕事、オコボレ仕事、つまりニッチからのスタートで、オーダーされたことを何でもこなせなければ、続く仕事はお呼びがかからない現実が有りました。
そして現在の段階ですと、芸大卒の優位は明らかになりました。一つは、芸大に入ると言う事は、高校卒業までの時点で相当の尺八吹奏力を持っているということですし、また同級生に箏三味線のプロがいることも大きいですね。
高校卒業までの段階で、尺八を将来の生活手段として希望する事から分かるように、その人達は親が何らかの和楽器に携わっていたケースが多いのです。ですから、本人が意識するしないは別として、「伝統邦楽」の影響を受けています。
何だかんだ言われても、この「芸大卒」という仕組みが、邦楽についてさえ、これまでの「伝統芸能」の仕組みより各段に有効と考えるのは、家柄でほぼ決まるのではないからです。「邦楽は入学基準が他に対して圧倒的にアマイ」、この事は事実としても、それでも厳しい試験を突破しなくてはならないのですから、「子供の時から強制的にやらせてれば、仕組みで何とかなる」ではありません。ここに伝統芸においてすら大いなる可能性の芽が有るのです。なまじ組織力で喰える仕組みが無い尺八だったから、かえって将来性が出てきたと言えますね。
大学まで尺八と縁が無かったプロ達。坂田誠山、三橋貴風、田嶋直士、ネプチューン海山、三塚泉州、彼らは圧倒的な素質、力量にもかかわらず、ついに「伝統邦楽の中枢部分」に座れませんでした。今後は「中枢」と言えるようなものは、こと尺八については、話にならないくらい小さくなるので、本当の才能を持った人には生きやすいでしょう。そして、芸大が有る以上は、「世襲の世界」では通用した、「素人に毛の生えた程度の伝統芸能プロ」もいなくなります。
馬場の全盛時代は30歳くらいまでだったと思います。公称209センチ、実際でも203、4センチくらいの身長であるにも関わらず心肺機能が強い為、1時間でも動き回れましたし、下半身の強さは後輩の坂口征二と並んで歴代プロレス界1位2位。それでいて運動神経が抜群だったので動きもスムーズ。当時では、あんな動けた2メートル超えの人っていませんでした。強いて挙げればアメフトの大スターで、膝と腰を悪くしてプロレスに転向したアーニー・ラッドくらいです。
それが30を越えると急速に衰えました。「巨人症の人は衰えが早い」とか言われますが、医者ではない私には分かりません。ともかく、その上に糖尿病を患い、腰を悪くした40前後からの試合は酷いものでした。「昔の名前でやってます・・・」という試合ぶりでしたな。「客をナメてる」と言えばそうでしょうが、馬場が出ないとチケットが売れなかったので仕方有りません。本人も辛かったと思いますよ。
そうして何の間違いか、50を越えた頃から、再び脚光を浴びました。今度は「様式をなぞる伝統芸能として」ですと・・・。そこに半ばの好意と半ばの軽侮が含まれているのは、日本人が「伝統」というものに感じる一般的感情です。
伝統芸能は、いわゆる「ガチンコの世界」ではありません。分かり易く言えば「実力一辺倒で決まる世界」ではない。ですから世襲で何代も続けられるのです。
歌舞伎役者がタレントと一緒にドラマやコマーシャルに出ていますね。そこだけ「顔の悪い人」が混じっているという感じですが、でも良く見れば、別に顔は悪くないです。ただ「普通の顔」なので、大勢の中を勝ち抜いて、そこにいる俳優やアイドルの中に混じると、顔がとても見劣りして見えるだけです。「伝統の世界」は、そういう環境で幼少時から厳しく訓練されていれば、「天才でなくても、それなりに恰好がつく」という事です。少なくとも、人並外れた才能を持った、いわゆる天才が必死で努力しなければトップをとれない世界とは違います。
「それがどうだと言うんだ。そんな事は皆が知っている」という御感想を抱かれたと思います。でも、この「物心ついた時からブッコム」、これって大切ですよ。
私の若いころ、そう40までは邦楽界に頻繫に出入りしていました。その後の様に、尺八だけとの付き合いではありませんでした。同じ邦楽と言っても、箏三味線の世界には「化物みたいな人」が沢山いたんですよね。その頃は、また一時的にクラシックのピアニスト達とも交友関係が有りましたが、そういう人達みたいな「音楽の怪物」が生息していたのが筝曲の世界です。当り前ですよ、子供の時からやっていて、そこで順次勝ち抜いてプロをやってるわけですから。
同様の人が尺八では、当時心当たりが無かったのは、ナカナカ男の場合は、子供の時から尺八を最優先で訓練する環境が作れないからです。何しろ青木鈴慕や横山勝也でも親から「尺八のプロになってはならん」と言われて育ったのですから。余程に約束された環境が無ければ、そりゃ無理ですよ。尺八では都山流、後かろうじて琴古の竹友社(川瀬)ですかね。
尺八って、今は芸大が有りますが、私の時代の尺八プロは、ほとんど大学の邦楽クラブ出身者です。この人達のほとんどは大学まで尺八と縁が有りませんでした。そして、「伝統邦楽」で生活をたててきた人達ではありません。オーダーが有れば古典邦楽も演奏するというスタンスで無いと、当時から生活は出来ませんでした。「伝統邦楽の世界」は、家元に連なる「正統派邦楽人達」の指定席でしたから、とりあえずは下積みの仕事、オコボレ仕事、つまりニッチからのスタートで、オーダーされたことを何でもこなせなければ、続く仕事はお呼びがかからない現実が有りました。
そして現在の段階ですと、芸大卒の優位は明らかになりました。一つは、芸大に入ると言う事は、高校卒業までの時点で相当の尺八吹奏力を持っているということですし、また同級生に箏三味線のプロがいることも大きいですね。
高校卒業までの段階で、尺八を将来の生活手段として希望する事から分かるように、その人達は親が何らかの和楽器に携わっていたケースが多いのです。ですから、本人が意識するしないは別として、「伝統邦楽」の影響を受けています。
何だかんだ言われても、この「芸大卒」という仕組みが、邦楽についてさえ、これまでの「伝統芸能」の仕組みより各段に有効と考えるのは、家柄でほぼ決まるのではないからです。「邦楽は入学基準が他に対して圧倒的にアマイ」、この事は事実としても、それでも厳しい試験を突破しなくてはならないのですから、「子供の時から強制的にやらせてれば、仕組みで何とかなる」ではありません。ここに伝統芸においてすら大いなる可能性の芽が有るのです。なまじ組織力で喰える仕組みが無い尺八だったから、かえって将来性が出てきたと言えますね。
大学まで尺八と縁が無かったプロ達。坂田誠山、三橋貴風、田嶋直士、ネプチューン海山、三塚泉州、彼らは圧倒的な素質、力量にもかかわらず、ついに「伝統邦楽の中枢部分」に座れませんでした。今後は「中枢」と言えるようなものは、こと尺八については、話にならないくらい小さくなるので、本当の才能を持った人には生きやすいでしょう。そして、芸大が有る以上は、「世襲の世界」では通用した、「素人に毛の生えた程度の伝統芸能プロ」もいなくなります。
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